何でもないようなことが幸せなこんな世の中じゃ… AM8:00 今日は図書室に、俺がリクエストした世界の未確認飛行物体の本が入る日だ。 早めに行って借りてこなくてはいけない。 意気揚々といつものリムジンに乗り込んだところで、携帯が鳴った。 …嫌な予感しかしない。 メールボックスを開くと案の定「光」の文字。 文面は「すまん」の三文字。 何が「すまん」なのかなんて今更聞くまでもない。 俺は溜め息をついて、運転手に告げた。 「…すみませんが、学校に行く前に道場に寄ってください」 道場の門の前には既に光がいた。 寝癖も直さずボサボサの頭のまま、赤いマフラーに口元を埋めている。 その目はいつも以上に据わっていた。 門扉に車を付けると黙って俺の隣に乗り込んでくる。 「…おはよう」 「…ん」 「お前のせいで朝から図書室に行く予定が狂った」 「…そらおおきに。学校ついたら起こして」 光はそのままシートに凭れて目を閉じた。 冬場、光は寝起きが異常に悪くなる。 こいつは本来冬眠でもする生き物なんじゃないかと思うほどに。 毎日というわけじゃないのだが余りに遅刻が増えるので、仕方ないから一度迎えに行ったらこの有り様だ。 遅刻ギリギリまで寝て俺に迎えに来させる日が増えた。 まったく、ちょっと構ってやったら甘えが出た。手のかかる奴。 健やかに眠る姿にいつもの毒はなく、可愛いと思わないでもないんだけど。 AM8:30 教卓では知念先生が朝の連絡事項を伝えている。 今日もかっこいい。小さな声を一言も聞き漏らすまいと耳をすませる。 「…そういうわけで、しばらく居残りはなし。だから宿題忘れたらならんばぁよ」 最近物騒で日の落ちるのも早いから、俺の日々の楽しみが減るという話だった。 最後の言葉を言う時に俺をちらりと見てくれた気がする。 「残念やなぁ、若。居残りなしじゃ知念先生独占出来んやん」 すっかり覚醒した光がニヤニヤしながら俺をからかう。 鏡で髪型をセットしながら。 俺はそのセットされたばかりのワックスでべたべたする髪をぐしゃぐしゃに乱してやった。 AM10:40 休み時間。慧に日課の「昨日の知念先生」の話を聞く。 「昨日はソーメンチャンプルーだった」 「この寒いのに素麺か」 「炒めとるしあんま寒いとか関係ないさあ」 毎日毎日、特に変化のない話ではあるが俺にとっては特別な時間だ。 何しろ、俺の生活とはまったく違う。新鮮だ。 光が鼻で笑った。 「お前毎日よお飽きへんなあ」 「知念先生の話だぞ。飽きるなんてことはあるわけがない。あってはならない」 「帰って飯食って双子と風呂入って眠るだけの話やん」 「その日常プロセスを知念先生が踏んでいるという事実がありきたりな日常に具体性を出し俺を興奮に導くんだ」 「…キモいわ」 失礼な奴。 お前は知念先生の日常にケチをつけられるほど素晴らしく濃密な日々を送ってるとでも言うのか。 「…一回も俺んことは聞いてきたことない癖に」 何で俺が光が飯食って風呂入って眠るだけの話を聞かなきゃいけないんだ。 拗ねたような横顔が可愛いとか、別に思ってない。 休み時間終了のチャイムが鳴った。 PM12:05 初等部の給食はまずくはないがうまくもない。 以前「最低限の味」と言って敵を増やしたので、最近は文句は言わないようにしている。 慧曰く「一日で一番豪勢な食事」らしい。 …庶民は哀れだ。 「昼休みのうちに図書室に行かないと」 そう言うと何故か光も一緒に行くと言い出した。 「お前、本なんて読むのか」 「別に読まへんけど、たまにはええやろ」 「何なら俺のお勧めを教えてやってもいいぞ」 そう言うと光は少し考えて、頷いた。 PM12:30 図書室は今日も人気がない。 カウンターに図書委員がいる以外は誰もいないみたいだ。 新刊のコーナーに俺の狙いの本を見つけてすぐに確保した。 今日は夜更かし確定だ。 光はつまらなそうに何冊か新刊をパラパラと捲っている。 「光」 「ん」 人がいないとはいえ図書室なので、小声で言葉少なに奥の棚を指差す。 光に勧める本、給食を食べながらずっと考えていた。 普段本を読まない光でも読みやすくて、俺が面白かった本。 「…あった。ほら、光」 目当ての本を見つけ出して渡すと、光は眉を寄せた。 「…学校の怪談」 「低学年用だから読みやすいぞ。ほら字も大きい」 「バカにしすぎやろ」 「そうでもない。面白さは保証する」 光は少し不満げだったが「まぁええか」と本で自分の肩をとんとん叩いた。 「カウンターに行くぞ」 「…なぁ」 貸出手続きのために出入口に足を向けると、光が俺の手を握る。 振り返ると少し真剣な目が俺の顔を覗き込んでいた。 「…なんだ。どうかしたか?」 「…俺んために考えてくれたん?」 何の話だ、と一瞬思ったが、光が本を掲げたので意味が分かった。 「そりゃあな。どうせ勧めるなら面白いと思って欲しいし、」 「その間は、知念先生でも他の誰でもなくて俺のことだけ考えてくれたんやな」 「……………っ!」 言われた言葉の意味に顔がかっと熱くなった。 何て返したものか分からなくて口をパクパクさせていると光がニヤリと意地悪く笑う。 「…おおきに。読んだら感想言うわ」 「いっ、いらん!」 「図書室では静かに」 勝ち誇ったような光の言い種が憎たらしい。 かっこいいなんて思ってない、絶対。 PM14:30 道場がある日の帰り道は光と肩を並べて通学路を歩く。 今日はそこにいつもと違う顔があった。 「古武術っておもしれーの?」 「ああ。精神統一にいい」 「桃には向いてへんやろ」 「ははっ、そーだな!俺には向いてねーや!」 桃は普段はグラウンドで遊んでから帰るみたいだが、今日は下校時刻が早くなってるから一度家に帰るらしい。 まぁどっちにしろ暗くなるまで遊んでるんだろうから下校時刻が早まったところで意味はない。 「しっかし光と若、仲いいよな〜」 俺と光は同時に桃を殴った。 「何で殴るんだよ!?」 「お前がバカなこと言うからだ」 「別に仲良くあらへんし」 勘違いも甚だしい。だけど桃は容赦なく続けた。 「だって朝も一緒に来るし休み時間も一緒にいるし昼飯も昼休みも一緒だし帰り道も一緒じゃん!」 それには全て理由があって、朝は光が起きないからだし休み時間は光が勝手に絡んでくるだけだし給食は席が隣だからだし昼休みは…今日はたまたまだし、帰り道は道場があるから、だし。 まぁ俺が迎えに行かなきゃいいだけだし休み時間も無視すりゃいいだけだし給食だって話さなくてもいいんだし昼休みに本を勧める必要なんかないし道場だって一度帰ってからでも間に合う、けど。 でもそれを桃に伝えるのは骨が折れそうだから、俺は言い訳するのを諦めた。 悪い気はしないから、じゃない。断じて。 PM5:30 道場での稽古を終えて外に出ると、光がいた。 一番下の弟と遊んでいるらしい。 「…おう。お疲れさん」 「ああ。…明日は自分で起きろよ」 「んー、頑張るわ」 気のない返事だ。明日も期待は出来ない。 翌日AM8:00 今日は別に早く行かなきゃいけない理由はない。 携帯も鳴っていない。まだ。 いつものリムジンに乗り込んだところで、携帯が鳴った。 メールボックスを開くと「光」の文字。 文面は「すまん」の三文字。 何が「すまん」なのかなんて今更聞くまでもない。 俺は溜め息をついて、運転手に告げた。 「…すみませんが、学校に行く前に道場に寄ってください」 今日も一番最初に光に会える、なんて、思ってない。 |