温室にて





その場所を見つけたのは、偶然だった。

その日俺は久々に仁王の悪戯に遭って、終わりの見えない階段に嫌気が差して授業をサボった。
静かな校舎を出て裏庭を通って、今まで足を向けたことのない部室棟へ向かう途中、そこを見つけた。



部室棟の裏に、荒れ果てた温室を。



「…もったいないな。立派な温室なのに」

見たところ随分長い間放置されているらしい。
ガラスは所々ヒビ割れているし、中は雑草が生い茂って蜘蛛の巣も張っている。

この学校にこんな場所があったなんて。

確かこの学校には園芸部があったはずだ。
屋上庭園は綺麗に整備されてるし、中庭にも常に季節の花が咲いている。
園芸部ならこんな立派な温室を放置なんてしないだろうに。

「…蓮二に聞いてみよ」

俺は踵を返して、恐らくは蓮二がいるであろう図書室に向かった。






「人間はどのくらいの暴力に耐えられると思う?」
「んー…気合い入った人間なら鬼くらいなら撃退出来ると思うッス!」
「幸村を基準に考えるな」
「考えてないッスよ!幸村さんなら鬼どころか魔王様でも撃退出来るっしょ」

図書室では日当たりのいい席で蓮二と赤也が何やら失礼な話をしていた。
魔王を撃退するつもりは今のところない。

「…あ、幸村さん」

赤也が俺に気付いて気まずそうに笑いを浮かべる。
蓮二は溜め息をついて開いていた本を閉じた。

「勉強中かい?」
「ああ。赤也が人に危害を加えないようにと思って教えているんだが、いかんせん環境が悪いな。人間の強度の基準が幸村じゃ」

失礼極まりない。
俺だって普通の人間と強度自体は変わらないはずだ。
…ちょっと特殊なだけで。

「授業中のはずだが?」

勉強はもう諦めたのか、蓮二は俺を見上げて首を傾げた。

「授業をサボったのは仁王のせいなんだけど、ちょっと面白いもの見つけたから」
「ほう?」
「部室棟の温室。知ってる?」
「…知ってるが」

心なしか蓮二の表情が曇った。

「見つけたのか、あれを」
「何、見つけちゃいけないものだった?」
「そういうわけじゃないが…」

言い淀む蓮二も珍しい。
赤也も興味津々といった表情だ。 
 
 
「いわくつき、ってやつぜよ」


蓮二の後を続けたのは、いつの間にか赤也の隣に座った仁王だった。



「…やぁ仁王。よく俺の前に顔を出せたね」
「階段のことならもう時効じゃろ?」
「幽霊は俺とは違う時間軸なのかな、数十分と経ってないけど」
「数十分ありゃ時効成立じゃ」

不満はあったが、お仕置きは後だ。

それよりも気になることをハッキリさせたい。

「いわくつきってどういう意味?」
「この学校の特性を考えりゃ難しいことじゃなか」
「………霊関係?」
「………それも、ちょっと悪質な類いだ」

蓮二は言いにくそうに続けた。
温室にまつわる「いわく」とやらを。



蓮二によると、あの温室には霊が出る。
彼はかつてはこの学校の生徒だった。
園芸部に所属して、あの温室をとても大切にしていたらしい。
だが彼は酷い虐めに遭っていた。
この真面目な学校にもそんなものがあったなんて少し意外だが、まぁ珍しくもないことだろう。
一年以上に渡る度を越えた虐めの末、彼は死んだ。

あの温室で、首を吊って。

発見された時、温室の中は毒草で溢れ返っていたらしい。彼が一年以上、一人で育て続けた毒草で。
結局彼がその毒草を使うことはなかったが、彼が誰に使うつもりだったのかは想像に難くない。

その後温室に足を踏み入れた者は一人残らず彼を目にすることになる。
天井の桟にかかったロープで首を吊る彼の姿を。
そして、一人残らず倒れた。
命を落とした者こそいないものの、症状は彼が栽培していた毒草の効果に酷似しているという。



「………この学校にしちゃえげつない霊だねぇ」
「…恨みを持ってこの世に留まる霊は珍しくない。彼はもう悪霊だ。ここまで人間に害を与えてしまった以上、地獄は免れないだろう」

蓮二は浮かない顔だ。
悪霊とはいえ同じ学校霊だ。悪く言いたくはないんだろう。
きっと蓮二は、生きていた彼も知ってるんだろうし。

「俺でさえ温室は近寄れん。悪霊はいい霊も巻き込むからのう」

仁王が「いい霊」かは別として、俺的には自分の通う学校に悪霊がいるのは嫌だ。

「…なんか、かわいそうッス。悪霊は悪霊になるだけの理由があるのに」
「理由があっても人間に害を及ぼすのは霊律違反だ。ルールを破る以上は罰は避けられない」

悪霊に感情移入してしまったのか赤也は涙目で「でも、」と言い返そうとする。
赤也の言いたいことも分かる。
この世にはルールを破っても罰せられない輩もいる。
元々は何も悪くない彼が地獄に行くなんて理不尽だ。

でも問題はそんなことじゃない。



「…何が腹立つって、あんな立派な温室にこの俺が足を踏み入れられないってことだよ」



理不尽なのは最もだ。
虐めは、虐める方が悪い。間違いなく。

だがこの俺に迷惑をかけるのならそれが一番の悪だ。ゆるせん。

「ゆ、幸村?」
「蓮二、赤也、行くよ。お前達は九十九神と悪魔だから平気だろう」

俺は仁王を置いて図書室を出た。

向かう先は当然温室だ。



温室を俺の新たな憩いの場として明け渡してもらうため、悪霊退散。






「いわく」を知ったせいか、温室はさっきよりも物々しく見えた。
中に生い茂る雑草と思っていたものはもしや毒草なのだろうか。

「幸村、何をする気だ」
「駄目ッスよ、入ったら!幸村さんが死んじまうッス!」

必死に俺の制服を引っ張る赤也に笑いかける。

「大丈夫だよ、赤也。俺は魔王でさえ撃退出来るんだろう?」

蓮二はさすがに俺のしようとしてることに気付いたらしい。
強張らせていた表情を少し和らげた。

温室の扉を開ける。

太陽の光で暖められた空気が、むっとした草の匂いを伝えた。



「…あれか」

中央の天井から、先端が輪になったロープがぶら下がっている。
だがそこに人の姿はない。
やるなら早い方がいい。



「…魔王サタンよ」



ああ、久しぶりにこのセリフ言ったな。

「ここに居る霊よ、姿を現せ!」

ロープの真下に白い影が浮かび上がる。
次第に人の形を取ったそれは、ゆっくりと顔を上げた。



「………お、前……………」



……………



知っている。

俺は、コイツを。






「……………白石」






背後で様子を見ていた蓮二が、小さく「ああ参ったな」と呟いた。






「…残留思念?」
「そう。これは厳密に言うと霊じゃない。白石の生前の記憶だ」

微動だにしない白石を囲んで、俺は蓮二に説明を求めた。
蓮二はやはりこの霊が白石だということを最初から知っていたらしく、淀みなく話してくれた。

「白石は生前非常に霊感が強くてな。だから残留思念も強く残ってしまっている」
「死神って元は人間なの?」
「白石は特別だ。生きている時はそれこそ幸村レベルの霊力があった。死後死神にスカウトされた」

ということは俺も死んだら死神になれる可能性があるわけか。わぁい。嬉しくねえ。

「だって柳さん、悪霊って、」
「残留思念だろうが害があることは間違いない。悪霊という他ないだろう」
「残留思念でも地獄に行くの?」
「…いや、消滅するだけだと思う。ただ生前の記憶は白石に取って黒歴史らしいからな。うまく取り繕ってくれと頼まれていた」

先程図書室で聞いた話は微妙に事実とは違ったわけだ。
少しでも理不尽だと憤った俺の怒りや同情した赤也の涙を返せ。

「つーか被害者出しといて放置ってどういうことなわけ?」
「自分ではどうにもできないんだよ」
「それは霊律違反じゃないんだ?」
「残留思念は霊じゃないからな。薄れるのを待つしかない」

蓮二は無表情に立ち続ける残留思念の白石とやらを見ながら続ける。

「俺としては幸村がこれを消滅させてくれるなら願ったりだ」
「…白石だと思うとやる気なくすなぁ」
「そう言うな。自分だけの温室を手に入れるチャンスだぞ」

…それは確かに、悪くない。

「白石に恩も売れるし」

…それもなかなか、悪くない。

「白石から氷帝に頼んでもらってリフォームしたらどうだ」

…それは相当悪くない!



「魔王サタンよ!」



俺の新たな憩いの場!
ここが俺のものになった暁には何を育てよう。
家から苗を持ってくるのもいい。
部屋じゃ育てられない木もここなら悠々育てられる!



「此処に残る過去の記憶を消し、新たなる生命の息吹を!」



呪文を唱え終わるとそこにはロープも白石の姿もなく、生い茂っていた草は全て枯れて塵と化した。

ヒビの入った植木鉢に小さな芽を見つけて、俺は自然と微笑んでいた。






しかしあの白石が生前はいじめられっ子だったなんて、意外だ。
しかも本人的に黒歴史だなんて。



そうだな、この温室がもっと綺麗になったら、たくさんの花で満たされたら、一番最初に白石に見せてあげるよ。

この世界は毒ばかりじゃない、綺麗なものもあるって、白石は思ってくれるだろうか。



 


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