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若き日の永四郎は、それはそれは目立った。
凛とした目に、高く通った鼻筋、厚い唇は扇情的で、鍛えられた筋肉に覆われた体からは常に溢れでるような色香があったものだ。
そんな永四郎が一人、背筋を伸ばして歩く姿が目立たないわけがない。
ただ永四郎は、他人を誰も寄せ付けなかった。

…わん以外、誰も。

わんも人のことは言えないやしが、身長のせいで人目を引くことは多かったので、沖縄というちいさな世界でわったーは異質だった、と思う。



大学に入学してすぐ、永四郎のことを知った。
頭が良く、いつも一人で、人々は口を揃えて言った。
「綺麗だし頭はいいが、それを鼻にかけている」と。

その永四郎が何故わんに声をかけてきたのかは、未だに分からない。

ただ、いつしか距離は縮まり、永四郎はわんが一人暮らししていた安アパートに転がり込んできた。

わんも永四郎も、元来人付き合いの上手い方ではない。
ちいさな世界の、更にちいさな二人の世界。二人だけのワンルーム。
特に会話という会話もない。それでも沈黙は苦じゃなかった。 
隣の永四郎の体温。呼吸。瞬きさえ空気を震わせるような、そんな沈黙は、永四郎そのものだった。

誰も訪ねては来ない。
誰もこの部屋にわったーがいることを知らない。
電話も鳴らない。
誰もこの部屋の電話番号を知らない。

それがいいんです

永四郎は言った。

二人だけの世界に、どんな邪魔者がいりますか?
この部屋はこれ以上ない程に満たされているのに

…と。

あの頃わったーはたぶん、狂っていたんだと思う。
他者を排除した生活に、他者に対する優越感を持ちながらも疲れていた。
たぶん、満たされてはいけなかったのだ。
足りないと感じるくらいが、人は正しく生きていける。



子供が出来たと知った時、喜びよりも恐怖を感じた。
このワンルームに、今いるのはわんと永四郎の二人だけじゃない。

生む気はないですよ

永四郎は言った。

俺はまだまだ子供で、人の親になれるような度量はないからね

自分のことを客観的に卑下することが出来る、そんな自分を大人だと感じてしまう、そんな年頃だった。
何も知らない、ちいさな世界の更にちいさな二人だけの世界。
そこにいるわったーは口で言うほど真剣に将来を思っていたわけじゃなかった、と思う。

子供は決して嫌いじゃない。むしろ好きだ。
だが自分の子供となるとまた違う。
まだ学生で、金もロクになくて、永四郎の親御さんへの挨拶とか、育児、責任、不安―――
全て知らない。経験すらない。
そんなことをどうやって真剣に考えろというんだ。



でも、

「…永四郎、生んで欲しいさぁ」

わんがこう言った時、永四郎はじゅんに優しい顔して頷いた。



危うく生まれないところだった子供の名前は「慧」とつけた。

生まれた瞬間から大きくて、わんはわからねーやしが、永四郎は相当大変だったらしい。
お産直後の永四郎は、いつもは綺麗に整えられた髪の毛をぐしゃぐしゃに乱して、顔色も真っ青で、なのに口元に笑みを浮かべてこう言った。

来世ではキミを同じ目に遭わせてあげるよ

それは永四郎なりの誓いの言葉だった。…とわんは勝手に思っている。

何度死んでも巡り逢う。

「永四郎のためなら我慢するばぁよ」

目が、少しわんに似てる。
生まれたばかりの慧くんを抱きながらわんはそう思った。



不思議なものだ、子供というのは。たった数年しか生きていないにも関わらず、もうずっと自分の人生に寄り添っていたかのように感じる。

慧くんがテーブルを伝い歩きする様を、家事の傍ら横目で見る永四郎は、いつからか変わった。
以前よりずっと、喋るようになったし、ずっと、社交的になった。
そうならなければいけなかったのだ、他ならぬ慧くんの為に。家族の為に。

気高くて、美しくて、孤独で、狂った永四郎はここにはいない。
わんと一緒に本土に渡る時、沖縄の海に捨ててきたんだそうだ。 
 
この俺の美しさを捨てたんだからこの先100年は美しいままであってほしいものですね

冗談ぽく笑う、その時の永四郎ほど美しい人を、わんは生涯見付けられないに違いない。






「凛と裕次郎の母さんって美人だよな」
「えぇ?そうかぁ?」
「いつもすごくキリッとしててカッコイイ」
「カッコイイのは母ちゃんより父ちゃんあんに!」
「そうだな、永四郎さんはどちらかと言うとセクシーだ。人妻の色気がある」
「自分の親がそっち方面で誉められるん気持ち悪いばぁよ」

数年経った今、新たに生まれた双子達も成長し、永四郎は教育ママとして子供達に恐れられている。
口数の少なかった永四郎が、今では10分置きにゴチャゴチャと子供達に文句を言う姿はなかなかに愉快だ。

あんなに神経質な永四郎に厳しく育てられた割には、子供達は伸び伸びしたものだ。
今日も友達を大勢呼んで部屋を盛大に散らかしている。

「ちょっと、凛クン。また玄関の靴脱ぎっぱなしですよ。何回言わせるの!」
「まぶやーまぶやー…母ちゃんわっさん!なまやるさぁ」

あの頃の永四郎が今の自分を見たらどう思うだろう。

「知念クンも甘やかすばっかりじゃなくてたまにはキチンと叱ってくれないと、」

あの頃のように満たされてはいないのかもしれない。
でも人は、足りないと思うくらいが正しく生きていける。

「わっさん、気を付けるさぁ」
「まったく…そう言っていっつも知念クンは…」

文句を言う顔は、それほど満更でもなさそうだ。
平穏に慣れきって口をつく悪態は、悪くない。とても健全だ。

背伸びをして大人でいなきゃいけなかった頃は終わったのだ。

だから、いいんだ。

「…永四郎、しちゅん」
「…いきなりなに…」

この子供みたいな笑顔の永四郎は、とても健全で正しい。



今が幸せだからこそ思い出す、あのちいさなちいさな狂ったワンルーム。


 


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