鬼の居ぬ間に





「二人とも、いいですか?絶対に赤也クンのお家の人にご迷惑のないように」
「わかってるさぁ」
「そんなにしつこく言わなくてもわかってるあんに」
「慧クンもですよ。若クンの家のもの全部食い尽くすんじゃありませんよ」
「若んちの冷蔵庫の中身はわんでも食いきれんし」

玄関でリュックを背負った三人の息子達にしつこく言い聞かせる。
分かった分かったと面倒臭そうなリアクションを見る限り、とても分かっているようには思えない。

今日は息子達がそれぞれクラスメイトのお宅に泊まりに行くのだ。

慧クンはともかく、凛クンと裕次郎クンは心配でならない。
注意の声もしつこくもなろうというものだ。

「そうそう、これを持って行きなさい」

用意しておいた紙袋をそれぞれに渡す。
凛クンはちらりと中を覗いて小さい悲鳴を上げた。

「ぎゃっ!ゴーヤやっし!」
「母ちゃん、こんなんいらんし!」
「手土産くらい当然でしょう」
「もっと他になかったんばぁ!?」
「我が家にゴーヤ以外にあげれるようなものは何一つありません」

慧クンはゴーヤと共に中に入っていたビニール袋を引っ張り出した。

「母ちゃん、これは?」
「若クンにあげるように」

中身は知念クンが昨年までよく締めていたネクタイと、履かなくなった靴下だ(もちろん洗ってある)
知念クンの私物をコレクトするのがライフワークになりつつある若クンには喜んでもらえるだろう。
こうして定期的に私物を渡すことで、慧クン経由で怪しげなものが彼の手に渡らないように牽制しているわけだ。



「「じゃあいってきまーす!」」
「若んちの居心地良かったら一週間くらい居座ろうかな」
「はいはい帰って来なくていいですよ」

三人の子供達が元気に出ていく背中を見送る。
友達の家に泊まりに行くなんて随分成長したものだ。



ふと感慨に耽って溜め息をつくと、家の中のあまりの静けさに少し寂しくなった。






「え、じゃあ今日は二人っきりかやー」

仕事から帰って来た知念クンは、玄関を開けても双子が飛び付いてこないことに首を傾げて、理由を知って(彼にしては)大袈裟に驚いた。

「大丈夫なんばぁ?凛と裕次郎、泊まりなんて初めてやっし…」
「ま、本人達が平気だって言ってるんだから平気でしょ」

小学一年生にもなったんだ。一晩くらいそんなに心配することでもない。
それでも子煩悩なこの男は「でも」だの「やしが」だのブツブツ言っている。

「…俺と二人きりが不満ですか」

首に腕を回してしなだれかかれば、知念クンはその長い腕で俺の腰を支えた。

「…そんなこと言ってないさぁ」

ついさっきまで子供達の心配をしてる父親の顔だったのに、今は少し悪い顔をして笑っている。
共犯者の笑み。
子供がいなきゃいないで、夫婦には過ごし方は腐るほどあるのだ。

「さっさとご飯食べて、遊びましょうか」
「だーるなぁ。着替えてくる」

触れるだけのキスをして、知念クンは着替えに二階に、俺は食事の支度に台所に向かった。

離れがたい指先は、また後で繋げばいい。



子供達がいないのならと簡単に済ませた食事はすぐに終わった。
知念クンが手伝ってくれたおかげで片付けも早く終わり、今はリビングのソファでテレビを見るともなしに眺める。
知念クンは俺の膝に頭を乗せて。

「…えーしろ、何か見たい番組ある?」
「いえ、特には」

チャンネルを回す手は、自然といつも見てるアニメのチャンネルで止まった。

「せっかく二人きりなのにこれですか」
「いやぁ毎週見てると続きも気になるさぁ」

今はいないのに、子供達がいかに自分達の生活を占めているのかがわかる。

「映画でも借りに行きます?」
「いいさぁ、またの機会で。…どうせこの後は観てる暇なんてない」

暗に夜のことをさらりと言及されて、俺らしくもなく照れる。
この男は本当に、変なところで照れがない。
そういうところも好きなのだけど、不意打ちで言われると反応に困ってしまう。

返す言葉が思い付かなくて、とりあえず膝の上の頭を撫でる。
手をかけているだけあって艶やかで触り心地のいい髪。

「耳かきでもしてあげましょうか」

ふと思い付いてそう言うと、知念クンはちらりとこちらを見て顔をしかめた。

「…永四郎の耳かき、痛い」
「痛くないですよ。よく取れるでしょ」
「でも痛い。奥まで入れすぎやっし」
「知念クンが入口だけしかやらなすぎるんですよ」
「耳垢は溜まれば自然に出てくるから入口だけで充分なんばぁよ」
「充分じゃないから俺がやると異常に取れるんでしょうが」
「やだ。やだやだ痛い。やだ」
「子供じゃないんだから。ほら、動かないの!」

半ば無理矢理耳かきを敢行している間、知念クンはずっと膝の上で小声で「痛い痛い」と呟き続けていた。
少し奥に入れただけで小さくビクビク震える肩に、何か物凄く気分が良くなったのは黙っていよう。

「…あー痛かった…」
「スッキリしたでしょう」
「でも痛かった」
「またやらせてくださいね」

上機嫌でそう言う俺に、OKの返事が返ってくることはなかった。



「…風呂入る」

しばらくダラダラとテレビを見てたものの、早いものでもう10時前だ。
知念クンは俺を後ろから抱き締めた状態で座ったまま呟いた。…立つ気配はない。

「…お風呂、入るんじゃないんですか?」
「分かってる癖に永四郎は意地悪さぁ」
「言ってくれなきゃ分かりません」

後頭部に唇の感触。
リップ音が聞こえなければそれがキスとも気付かなそうな。

「…一緒に入るさぁ」

耳元でそう囁かれて、くすぐったくて思わず笑った。



「永四郎と一緒に入るの久しぶりばぁね」
「そうですね。いつもは凛クンに取られるから」
「言えば三人で入るんに」

狭い浴場でお互いに髪と体を洗って、湯船に浸かると久しぶりの感覚。
知念クンの低い小さい声も、お風呂場なら反響でいつもよりよく聞こえる。
そういえば昔はそれが好きでよく一緒に入ったっけ。
後ろから抱えられるようにして狭い浴槽の中でぴったりくっついているのは、嫌いじゃない。

「…少し髪伸びてる」

知念クンの細い指が濡れた髪をなぞる。

「知念クンも伸びたね」

首を反らして胸に凭れながら、俺も知念クンの髪を撫でた。
知念クンは目を細めて俺のこめかみにキスをする。

「…永四郎、」
「ん?」

首だけ振り返ると、今度は唇に。
いつもはキスの最中も開けられてる目がしっかり閉じられているのを確認して、俺も目を閉じた。

「…早く上がるさぁ」
「せっかちですね」
「…ベッドに行きたい」

同感だ。

俺の意を察したのか、知念クンはいつもより少し急いた仕草で俺の手を引いた。
脱衣場で少しばかり乱暴に、でも気遣わしげに体や髪を拭かれて、また笑ってしまった。

この男はどれだけ俺が好きなんだろう。



どうせ脱ぐことになるもののパジャマは一応着て、一階の戸締まりをする。
一戸建ては掃除と戸締まりが面倒なのが難点だ。特に、今夜みたいな場合は。



…ピンポーン



「……………」
「……………」



台所でガスの元栓をしめていた知念クンが顔を出す。
俺達は目を合わせて眉を寄せた。

「…こんな時間に誰でしょうか」
「…わんが出る」

知念クンの後について俺も玄関に出る。



扉を開けた瞬間、外から小さな影が知念クンの腰に飛び付いた。



「うわあああああん!父ぢゃぁぁぁぁぁんんん゛!!!」



…まぁ、予想してなかったと言えば、嘘になる。



「り、凛」
「父ちゃん母ちゃんただいまー」
「…裕次郎クン」

二人の後ろには見慣れない青年の姿。

「夜分遅く申し訳ありません。幸村蓮二と申します」

そのご丁寧な挨拶でやっと分かった。
幸村家の自慢の長男。話には聞いたことがある。
凛クンと裕次郎クンもなついているとか。

「凛くんが夜になってやっぱり寂しいから帰りたいと言い出しまして…」
「ああ…予想はしてたんですけどねぇ…言ってくれれば俺から迎えに行ったのに、すみません」
「いえ、買い物の用事もありましたから。では失礼します」

好青年は爽やかに我が家を去った。
幸村家の自慢というのも頷ける。
うちの子供達は逆立ちしたってあんな育ち方はしないだろう。



「う゛ぁぁぁぁあん!ざびじがっだあああああ゛」
「凛…分かったからもう泣くなー」
「わんもうねむいからねるー」

しがみついて泣き続ける凛クンを宥めながら、知念クンが困った顔でこっちを見る。

その表情がどこかおあずけくらった犬みたいに見えて、俺は笑いを噛み殺した。



 


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