青学裏の池にて





「…釣り、やりたいな…」
「随分唐突ですね」

音楽室で柳生のミステリ談義を聞くともなしに聞きながら窓の外を眺めていたら、ふとそう思った。

柳生は犬神家の一族の話を中断して俺の呟きに答えてくれる。
一緒に話を聞いていたはずの赤也はとっくに隣の机に突っ伏して寝ていた。

「幸村くんは釣りがお好きなんですか?」
「いや、やったことないけど。今池の話してたから」
「スケキヨですね!私の話を聞いていただけて嬉しいです」

明らかに話を聞いていなかったから脱線したのに、柳生はポジティブだ。
嬉しそうに輝いている。眼鏡が。

「魚が釣れる池なんてこの辺ないよね?」
「そうですね…河じゃ駄目なんですか?」
「こじんまりとやりたい」
「では釣り堀など」
「ロマンがない。ヌシとかいてほしい」

柳生は首を傾げて考えている。
俺の思い付きをこんなに真剣に考えてくれるなんて、柳生はいいやつだ。
俺は隣の赤也の癖の強い髪の毛を引っ張った。赤也はまだ起きない。

「確か柳君に聞いた話だと、青学の裏には池があるそうですね」
「へぇ。ヌシいるかな」
「ヌシは分かりませんが魚はいるみたいですよ。たまに青学の皆さんは釣りをしてるようですから」
「ふぅん…」

くい、と今度は強めに赤也の髪を引く。
何本か毛が抜けて、赤也は飛び起きた。

「…っい、ってぇ〜…」
「よし、赤也。行くぞ」
「はっ?何?行く?どこに?」

頭の上にクエスチョンマークを浮かべる赤也にはっきり言い放つ。



「青学だよ」






思えば、立海の誰かと連れ立って外を歩くのは初めてだ。
赤也も昼間街を歩くのは初めてらしい。
(深夜蓮二と一緒に青学に行ったことはあるらしいが)

「やっぱ昼間は人多いッスねぇ!」
「夜中は人に会ったりしないの?」

赤也はともかく蓮二が歩いてる姿を見たら普通は大パニックだろうに。

「大抵は酔っ払いとか周りなんか気にしないカップルとかッスから。道の端っこで止まってれば新しい銅像だと思ってもらえますよ」

なるほど。
蓮二のことだからうまいことごまかすんだろうな。

「俺も今度蓮二と外歩きたいな」
「その時は俺も行くッス!」 
 
 
物珍しいのか、あちこちの店の前でいちいち立ち止まる赤也をその都度殴りつつ、いつもの倍の時間をかけて青学に向かう。
途中であまりに赤也がねだるものだから仕方なしにプリクラを撮ってあげた。






今日は別に妖怪達に用はないし、俺達はまっすぐ裏の池に向かった。

…そこで、気付いた。

「釣り道具持ってない」
「素潜りはどうスか?」
「バカ。何月だと思ってんだ」

池の水面は静かなものだ。
覗き込むと水は澄んでいる。
水中にはちらほらと魚の影が見えた。

「釣り竿召喚するってのはどうスか?」
「…釣り竿に魂があるならな…」

せっかくはるばる青学まで来たのに肝心の釣りが出来ないなんて。

「参ったなぁ…赤也、青学に釣り部とかないの?」
「さぁ…聞いたことないッスけど」

赤也と二人並んでぼんやりと池のふちで水面を眺める。

しばらくそうして無言の時間を過ごしていたら、茂みの向こうでガサリと草を踏む音が聞こえた。
赤也と顔を見合わせる。



「…だから最近俺も出番がないわけよ」
「桃先輩じゃなかったんだ」
「当たり前だろ、俺は雨降らしなんだから」

聞き覚えのある声。

「越前と桃ちゃん先輩だ」

赤也が小声で囁く。
向こうはどうやらこちらには気付いてないらしい。

赤也の手を引いてしゃがみこんだまま茂みに近付いた。
…いや別に隠れる理由なんかないんだけど、なんとなく。
赤也に向かって人差し指を立てると、赤也も小さく頷いた。



「雪童が来てるとさ、街に雪が降るんだよ」
「雪童って?」
「雪女の子供。雪女は冬に雪童を街に放して遊ばせるわけ」
「なんで?」
「それは知らねーけど。とにかく雪童が来てる間は俺の仕事はないの」

茂みの向こうでは越前と桃城が普通じゃない会話を繰り広げている。
何をしてるのかと思えば、手にはテニスボール。
ここまで飛んできてしまったテニスボールを拾いに来たようだ。
そういえば「ナントカカントカ部、略してテニス部」だったっけ。

「お前こそ最近どこ行ってんの?」
「最近は神奈川攻めてる。幸村さん家行って以来あっちの方ばっかり」

我が家を幸せにしに来て以来あまり見かけないと思ったが、座敷童は近くにいたらしい。
あ、お隣の奥さんが庭で温泉掘り当てたのはもしかして越前の業績だろうか。

二人は会話を続けながらどんどんボールを拾う。
どんだけ飛んできてるんだ。

「おーい、二人とも!」

どうやらテニスコートがあるらしい方角から、大石が走ってきた。
この前のフライング誕生日パーティーで貰った地蔵のことを思い出す。
あれは場所を取るし邪魔だが、効果は絶大だった。
あれのおかげで体調がすこぶるいい。
感謝の気持ちを込めて部屋の一番日当たりのいい窓辺に鎮座させている。

「ボール拾いが遅いって手塚がご立腹だぞ」
「ゲッ!マジですか!?」
「…こんな大量のボール、そんなすぐに拾いきれるわけない」

越前が不服そうに唇を尖らせるのももっともだ。

「タカさんの打つ球は割とコントロール悪いからなぁ」
「桃、そう言うもんじゃない」
「サーセン。ほら越前、お前も急げって!」

大石も加わって三人でボール拾いに精を出す。



「…何か、青学って爽やかッスね…」

隣で赤也が呟いた。

…うん、確かに立海の異形の者は、スポーツのために汗を流したりしない。

「あいつらに頼んだら釣り竿くらい持ってんじゃないスか?」

赤也の言葉に少し考える。
悪くない考えだが借りは作りたくなかった。
不二あたりにつけこまれそうだから。

「…とりあえず、テニスコート見に行ってみよっか」
「ッス!」

ボールを拾いきったのかいつの間にか視界から妖怪達は消えていた。
ラケットでボールを打つ音は聞こえるから、そっちに足を向ける。

「何かスパイ映画みたいッスね」

何となくコソコソした足取りの俺を見て赤也が目を輝かせた。
大方蓮二と視聴覚室で見た映画の影響でも受けているんだろう。






「あ…いたいた」
「へー、ほんとにテニスやってんだ」

少し離れた場所からテニスコートを眺める。
偉そうに腕を組んで立っている手塚の後ろ姿と、コートの中で球を打ち合う妖怪達が見えた。
みんななかなかの腕前だ。よほどやり込んでるんだろう。



手塚の隣でコートを眺めていた不二がふと振り返った。

「あ、こっち見た」
「不二は勘がいいなぁ」

そう言った次の瞬間には、目の前には不二がいた。

「やぁ、不二」
「ああ。珍しいね、青学に来るなんて」
「ちょっとね」

今更いきなり目の前に出てきてもいちいち驚いたりしない。
赤也はまだ慣れてないのかささっと俺の後ろに隠れた。

「青学に何か用かな?」
「青学には用はないよ」

用があるのは裏の池だ。
だがそんなことを知らない不二は首を傾げる。

そうしてるうちにラリーを終えた河村がこっちにやってきた。

「不二ー、次は不二の番…って、あれ」
「やぁ、河村」
「立海の幸村くんだね。こんにちは」

不二は俺達に軽く挨拶をしてコートに戻っていった。
後には河村だけが残り、どこか気まずい雰囲気が漂う。
だって河村とはほとんど話したことがない。

「……………」
「……………」
「…き、今日はどうしたの?」
「釣りしに来たんだ」

少し考えて、俺は正直にそう言った。
河村なら恩を着せてくるようなこともないだろう。

「…釣り?もしかして、裏の池で?」
「うん。駄目かな」
「いや、俺達もたまにやるよ」

そうなのか。テニスをしてみたり釣りをしてみたり、青学は本当にアクティブだ。

「いつもこんなにアクティブなの?」
「テニスのことかい?…そうだね、ほとんど毎日やってるよ」
「……………」

道理で妙にうまいわけだ。

「妖怪保護といっても基本的にはすることないからね。俺達妖怪が身心共に健康に過ごすことが一番の保護に繋がるって手塚が…」

説得力があるようなないような。
まぁ楽しげにテニスボールを追いかける連中は充実してるようだから、苦言を呈する気はないが。

「それはともかく、釣り道具がないんスよ」
「それなら手塚に言えばいいよ。部室に常備してるから」

赤也が切り出した本題に、河村は人のいい笑顔で答えた。
そしてすぐに手塚を呼んできてくれた。



河村から事情を聞いたらしい手塚は、部室から釣り道具を持って俺達の前に現れた。

「幸村、釣りが好きだったのか」
「やったことはないんだけど」
「そうか。…初心者はこの竿と餌がいい。キャッチ&リリースで頼む」

手塚に渡された竿を軽く振る。意外と重かった。

「あの池、ヌシとかいる?」
「………いる」

相変わらずの無表情で手塚は言った。

「ヌシ狙いなら餌はこれにしろ。キャッチ&リリースで頼む」
「うん、ヌシ釣れても飼えないしね」

貰った餌は緑色の四角くカットされたものだった。
何だろう、野菜か何かかな?

ともあれ釣り道具は揃った。
これで本来の目的である釣りが出来る。
俺と赤也は手塚にお礼を言って、テニスコートを後にした。

ちらりと見たテニスコートは、誰か一人足りない気がした。






「良かったッスね!快く貸してもらえて」
「そうだな。釣れるといいけど」
「ヌシってどんな魚なんスかねぇ…でっかいのかなぁ」
「そりゃヌシだし。とびきり大きくなきゃね」

再び池のふちに立った俺達は針の先に餌をつけた。
手塚に貰った対ヌシ用の餌は妙に青臭くて、何だか嫌な予感がする。



俺は池に糸を投げた。

「どのくらいでかかるものなんだろ?」
「結構長丁場になりそうッスねぇ」

揺れる水面を眺めながら、赤也と他愛ない会話を交わす。

「キャッチ&リリースってことは食えない魚なんスかねぇ」
「お土産がないのは残念だな」
「そうッスね!ブン太さんがいたらその場で強引に食うだろうけど………あっ、」



赤也の小さな叫びに池に視線を戻すと、糸が引いている。



「かかった!赤也!このあとどうすんの!?」
「え゛!?えーとえーとえーと確かクルクルするんス!」
「クルクル!?何を!?」

その場でくるくる回り出す赤也をよそに、俺はとにかく竿を引っ張った。重い。
釣り経験のない俺でも分かる。これは大物だ。

「絶対ヌシだ…!赤也、手伝え!」

自分のしっぽを追う子犬のように回り続けていた赤也が、俺の言葉に慌てて竿を掴んだ。
二人で力任せに竿を引っ張る。
水面に黒い影が見えた。

「…よし…!もう少しだ!」
「うおおおおおおっ!」



ざば、と水飛沫をあげながらヌシが水面に現れる。



「……………」
「……………」



……………



俺は竿から手を離した。
赤也もそれに倣う。

手から離れた竿は勢いよくヌシ…らしきものの頭に当たった。



「…赤也、帰るよ」
「うぃーす」

池に背を向けてその場を後にする。
拍子抜け感が半端ない。



釣れたのは全裸の乾だった。



『キャッチ&リリースで頼む』

手塚の声が頭に蘇る。
頼まれたって持って帰るか、あんなもん。



「あの河童、そういや水神だったっけ」
「この寒いのに何してたんスかねぇ」
「あいつはテニスしないのかな」
「さぁ…でも青学の奴らの普段の姿見れて結構面白かったッス」
「うん…俺もそう、かな」



何だか疲れきった二人で帰る立海への道のりは、意外に穏やかだった。



 


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