紅茶と珈琲と素敵な何もかも





私、幸村比呂士は優雅な午後の一時の為、キッチンに立っています。
私には紅茶を。
兄である雅治くんには珈琲を。
ティーポットでは既にたっぷりの紅茶が葉を開かせています。
あたためられたカップも準備万端。
お茶菓子にブン太くんお勧めのケーキ屋さんで購入した焼き菓子も。
後はコーヒーメーカーから最後の一滴が落ちるのを待つばかりです。

外は木枯らしが吹いていますが家の中は春。
窓から冬景色を眺めながらの暖かなティータイム。
なんと贅沢なんでしょう。






「…何を浸っとるんじゃ。遅いぜよ」
「雅治くん」

キッチンの入り口から雅治くんが顔を出して不満げに私に声をかけました。

「お待たせしてすみません。何しろ珈琲はあまり飲まないので手間取ってしまって…」
「……………」

雅治くんは私の背後のキッチンを見て、一瞬驚いたように眉を上げます。



「…どうしたら珈琲一杯のためにキッチンが爆発するんじゃ」



……………



………私が知りたいです。 
 
 
 
事の起こりは20分前、雅治くんに珈琲を頼まれキッチンに入った私は、とりあえず途方に暮れました。
当然の如くコーヒーメーカーに入っているだろうと思っていた朝の残りの珈琲がまったく残っていなかったのです。

私はコーヒーメーカーに触ったことすらありません。
でも雅治くんのご所望の珈琲は用意したい。
私は意を決してコーヒーメーカーに粉を入れ、スイッチを入れました。



………その結果、何故か爆発しました。



「……………」
「……………」

私の説明を聞いた雅治くんは、呆れ顔で溜め息をつきました。
怒られるだろうか。恐る恐る顔色を窺えば、雅治くんはコーヒーメーカーに視線を落としています。

「…こっちは普通に動いとるのう」
「以前使っていた古いものを探してきました。説明書はなかったので試行錯誤でしたが…」
「ふぅん。…爆発した方はお前さんの責任じゃき、しっかり謝れよ」

そ、そんな!

私の無言の叫びは雅治くんに届くはずもありません。



「まったく、爆発のショックで現実逃避なんて比呂らしい」
「それを言ったら爆発音に気付かない雅治くんもらしいです」

ともあれ古いコーヒーメーカーは最後の一滴を落としたようです。
雅治くんは自分でカップに珈琲を注ぐと、焼き菓子の皿を持ってキッチンを出ていきました。
私も自分の紅茶セットを持って後に続きます。






リビングには誰もいません。
蓮二兄さんはアルバイト、父さんと母さんは赤也くんと映画、ブン太くんはクラスメイトと遊びに出掛けました。
窓の外の犬小屋の前でジャッカルくんが昼寝しているのが見えます。

雅治くんが座ったソファの正面に腰掛け、紅茶をカップに注ぎます。
目の前で雅治くんがご自分のカップに口を付けました。

「…い、いかがでしょうか…?」

私が人生で初めて淹れた珈琲です。
感想は当然気になります。
雅治くんは一口飲んで、首を傾げながら私を見ました。

「…おかしいのう、爆発までさせた割には味は悪くないぜよ」
「ほ、本当ですか!?」

嬉しくないはずがありません。
それと同時にホッとしました。

「お前さんはほんに不器用じゃの」
「雅治くんは器用なのに…兄弟といえど似ないものですね」

顔だけは(私が眼鏡を取れば)似ているようなのに…
性格も得意分野もまるで真逆な雅治くん。
私に出来ないことは大抵出来てしまう雅治くんには、迷惑を被ることもありますがやはり何より尊敬しています。

「私も雅治くんの半分でも器用になりたいですよ」

些か卑屈な口調になってしまったかもしれません。
このような口の利き方は紳士としてあるまじき行為でしょう。
一人反省していると、雅治くんがくすりと笑いました。

「俺に出来んことはお前が出来る。お互いを補い合うように、真逆に生まれたんじゃろ」

…雅治くん。
卑屈にいじけた発言をした私に何て優しい言葉でしょう。

私は彼の出来ないことを補うために、これからも一層努力することが紳士としての使命だと確信しました。

「あ、来週の小テスト変わってくれんか。俺英語嫌いじゃ」
「はい!喜んで!」

雅治くんは基本的に苦手科目はありません。ただ得意科目もない。
「出来るのと好きっちゅーんは別じゃ」とは彼の言い分で、気分次第でテストの出来が極端に違うので先生方は困っているようです。

「あと体育のマラソンも」
「はい!喜んで!」
「ウィッグ傷んできたから新しいの買うといて」
「はい!喜んで!」
「このドライフルーツケーキ、マンゴーだけ抜いて」
「はい!喜んで!」

まぁここまでやられればさすがの私も騙されているのは分かるのですが、文句は言いません。
だってさっき私の使命だと思ってしまったから。
一度言った発言を(口に出してはいませんが)翻すのは紳士としてあまりに狭量だと言えましょう。



「そういえば、最近雅治くんはアルバイト行ってないんですね」
「ん、もうやめた」

それは初耳です。

雅治くんは元々自分の話を進んでする方ではありません。
それ故こうして驚かされることは度々あります。

「それはそれは…何かあったんですか?」
「別に…元々ちょっと小遣い欲しかっただけじゃし」

きっと何か欲しいものでもあったのでしょう。
目標額が貯まったから辞めた、といったところでしょうか。

「…それで、今度は何を差し上げるんですか?蓮二兄さんに」

そう言うと雅治くんはニヤリと口の端を吊り上げました。

「何じゃ、勘がええのう」

雅治くんのお金の使い道など、双子じゃなくても予想がつきます。
蓮二兄さん絡み以外で彼が身を呈して働くなんて想像出来ません。
私の予想はどうやら当たっていたようです。

「何、ちょっとしたモンじゃ」
「そういえば玄関に見慣れない電動自転車がありましたね」

先程こっそり調べてみたところ、あれは12万円のものでした。
高校生がアルバイトで買うにしては随分所帯染みているように思います。

でも、私は覚えていました。
一月程前、蓮二兄さんがテレビのCMを見てその自転車を欲しいと言っていたことを。
アルバイトに行く時はともかく、帰りをわざわざ歩くのは面倒だと仰っていました。

玄関に今朝届いた大きな荷物の中身は、その自転車と同じものでした。

「比呂、参謀に余計なこと言うなよ」
「今回はどのような理由をつけてプレゼントなさるんです?」
「クラスメイトに自転車屋の息子がおって半額で譲り受けたことになる予定」

あまりに高価なものは受け取ってもらえない可能性があるため、雅治くんはいつも何らかの理由をつけます。
蓮二兄さんは頭が良くて本当に尊敬に値する素晴らしい方ですが、時折不思議になります。
蓮二兄さんは気付いてないのでしょうか。
雅治くんの言うことを本気にするということは、彼のクラスには何故かサイズの合わない服や靴を定期的に買う人や、発売されたばかりの鞄を買ったことを忘れてうっかり二つ買ってしまう人や、親のものである自転車屋の売り物を勝手に半額で友人に売り渡す人で溢れ返ったクラスになってしまいます。
不自然極まりないと思うのですが。

「…まぁ今回はご自分で働いたお金ですからね、不問にしましょう」
「え?」
「今回はアルバイトで貯めたお金で買ったのでしょう?」

普段は街で女性を手玉に取ってお金を使わせていることを私は知っています。
そのようにして手に入れたプレゼントを蓮二兄さんに贈るよりは今回は健全といえるでしょう。

「…いや、あのチャリは新橋のOLに買ってもらったモンじゃけど?」
「………は?」

では雅治くんがアルバイトで貯めたお金は?

「そんなモン自分の服やら靴買うんに使ったに決まっとるぜよ」



………………



「自分で稼いだ血銭は自分のために使わんとな」
「………私は貴方の将来が本気で恐ろしいです」

まさか本当に「ちょっと小遣い欲しかった」だけとは。
顔も知らない新橋のOLさんに心で謝罪します。
ああ、私の兄があなたの月給を食い潰して申し訳ありません。






気付くと雅治くんの珈琲も、私の紅茶も残り少なくなってきました。

「お代わりはいかがですか?」
「ん、もういい。ご馳走さん。美味かったぜよ」
「いえ、お粗末様でした」

ソファを立ち上がった雅治くんは窓を開けて昼寝中のジャッカルくんの側に近寄っていきます。
私は雅治くんのカップや私の紅茶セットを持ってキッチンに向かいます。



キッチンは先程のまま、爆発したコーヒーメーカーが少し煙を立てていました。
思わず溜め息が漏れます。
きっとこれの片付けも雅治くんは手伝ってくれないでしょう。
お父さんに怒られるのも助けてはくれないでしょうし。
不誠実な上に冷たい兄です。

私はコーヒーメーカーに残った珈琲を自分のカップに注ぎました。
片付けはこれを飲んでからでもいいでしょう。
自分が人生で初めて淹れた珈琲を味わってみたいし。



一口、含んだ瞬間に私は珈琲を吹き出しました。



「………!?ごほっ、ごほ、っぅえ、」

酷い味でした。
苦味のみでまるで漢方薬のよう。
色と香りこそ珈琲のそれでしたが、恐らく入れる粉が少なかったのでしょう。
それは珈琲とはとても言えない代物でした。

「…まず…」

なかなか口の中から消えない苦味。
眉を寄せて水を一杯煽って、私はやっと一心地つきました。



「……………」



―…おかしいのう、爆発までさせた割には味は悪くないぜよ

―ご馳走さん。美味かったぜよ



雅治くんの言葉が脳裏に過ります。

こんな、色のついた雑草を煮詰めたようなお湯を表情にも出さずに全部「美味しい」と飲んでくれたなんて。



雅治くん…



雅治くんは…



…雅治くんは、味覚障害なんじゃないだろうか…!?



不誠実で冷たくて、更に味覚障害だなんて…
私は本日二度目の彼の将来に不安を感じながら、残った珈琲を流しに捨てたのでした。



 


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