君のいる部屋





「何や千里、また帰ってきたんか」

玄関を開けた途端、居間から顔を出した親父にそう言われた。

「別によかっちゃろ。金ちゃんはおらんと?」

靴を脱いで慣れた廊下を進む。
居間に入ると親父一人しかいなかった。

「金太郎ならリョーマくんとデートやで」
「金ちゃんおらんとやったら帰ろうかな」
「そう言いなや。茶ぁ飲んでき」

大学生になった金ちゃんは、小学生の頃から仲良しだったリョーマくんと付き合うことになったらしい。
そのせいで休日はいつも家にいないから、俺は寂しいことこの上ない。
あんなに小さかった金ちゃんが今では俺とさほど身長も変わらないほど大きくなった。
俺も年を取るわけだと思う。

…まぁ目の前で楽しげに茶を淹れる親父は、まったく変わらないけれど。
いくつなのか正確には知らないが、見た目だけなら余裕で30代だ。



「今日仕事は?」
「休みや。明日から舞台の稽古」

親父が淹れた茶は不味い。
小春がおった頃は毎日美味い茶が飲めたのに。

「ケン坊は?」
「あいつは仕事や」 
 
未だにケン坊だけは落とせない親父に笑いが漏れる。
だが今までこんなにも一途に誰かを追いかけたことなんてなかった親父だ。
その点を評価して、今では少しは応援してやってもいい気持ちにはなっている。



「お前こそ今日はせっかく日曜なんに、橘くんはええんか」
「桔平は俺がおらんのに慣れちょるけん」
「新婚の言葉とは思えへんわ。俺やったら毎日イチャイチャして過ごすで」

そう、二ヶ月前に俺は桔平と籍を入れた。

だけどもう数年前から同棲していたし、籍を入れたところで特に何も変わらない。
俺は相変わらず金ちゃん第一だし、桔平も文句はないようだし。

「親父はそうやって最初だけベタベタしとるからすぐ飽きるんじゃなか?」

鼻で笑いながらそう言うと、親父は心外そうに眉を寄せた。

「好きな人とはイチャイチャしたいもんやろ」
「そういうもん?」
「そういうもんや!前から思っとったけどお前らには初々しさが足りんわ」

そんなこと言われても、中学時代から一緒にいた仲なんだから仕方ない。
今更肩が触れたの手を握ったのとベタベタしたりする方が恥ずかしいだろう。

「はぁ〜あ、あの金ちゃんでさえ甘酸っぱく青春しとるっちゅーのにうちの長男は…」
「え、初耳ばい」
「お前知らんの?金ちゃんとリョーマくん、端から見とるだけで震え上がるほどラブラブやで。光なんか見るたび舌打ちしとる」

意外だ。子供だ子供だと思っていた金ちゃんが…
未だに結構な頭の弱さで俺を萌え殺す金ちゃんが…

俺が家にいない間に何が起きているのか、見たいような見るのが怖いような。

「橘くん可哀想やな。ゴタゴタ引き延ばしてやっと結婚まで漕ぎ着けたんに新婚気分が味わえんなんて」
「桔平はそういうタイプじゃなかとよ」

桔平は昔からイチャイチャベタベタしたがるタイプじゃない。
友達だった期間が長かったのもあるだろうが、俺達の関係はいたってドライで、だからこそ心地好い。






しばらく親父と他愛ないことを話しながら渋い茶を飲んでいたら、携帯が鳴った。
メールの着信音。桔平だ。
元々機械の類は得意じゃない桔平は滅多にメールはしない。
でも俺と付き合うようになってから、放浪癖があってあまり電話に出ない俺といつでも連絡出来るようにメールを覚えてくれた。
そういうさりげない気遣いに、桔平に思われている自分を知って嬉しくなるのは秘密だ。



短いメールの内容は少し珍しいもので、俺は目を見張った。

「…へぇ」
「どしたん?」
「桔平、今日迎えに来るって」
「え、ここに?珍しい」

桔平はこの家にはあまり来たことがない。
まぁ、自分が受け持った生徒達の家だし気まずいのも分からないでもない。

俺の言葉に親父は部屋を見渡した。

「アカン、めっちゃ汚いやん。最近掃除しとらん」

言われてみれば確かに汚い。
小春もいないし、銀じいちゃんも道場で忙しい今この家を綺麗に保ってくれる人はいないのだ。
(光は自分の生活スペースさえ綺麗なら後は放置するし、金ちゃんは言わずもがな)

「千里、ちょお掃除するで!手伝え!」
「え〜?構わんばい。うちよか綺麗やし問題なかよ」
「…お前新婚家庭の掃除もしとらんのか…」

俺も桔平も掃除は得意じゃないから仕方ない。

「ええから掃除機取ってこい!」
「掃除機どこ?」
「…え…?知らへん…」

親父も家のことはほとんど何もしないから知らないらしい。
二人で掃除機を探すために家中をひっくり返して、見つかった頃には部屋は更に荒れていた。



「……………」
「………これ、どうすっと?」
「………どないしよう…」

掃除機をかけようにも床が見えない状態に呆然と立ち尽くす。

とりあえず床に散らかった親父の台本やら服やらをかき集めて親父の部屋に片っ端から突っ込んでいたら、インターホンが鳴った。



「アカン…!白石蔵ノ介の自宅がゴミ屋敷やと思われる…!」
「しょんなか。普段から掃除せんからいかんばい」
「何を偉そうに…!…けどまぁええか。部屋は汚くても俺は綺麗やし…」

何の解決にもならないことを呟きながら親父は玄関に向かう。
その姿に苦笑しながら、俺は散らかりっぱなしの居間に座り込んだ。
やらなくてもいいと言うのなら部屋はこのままでもいいのだろう。
どうせ銀じいちゃんに怒られるのは親父だ。






「橘くん久しぶりやなぁ。元気しとった?」
「ええ、お陰様で」

当たり障りのない会話をしながら居間に足を踏み入れた桔平は、一瞬絶句した。 
「よぉ、桔平」
「……………」

義父の手前言えないのだろうが、その顔にはありありと「汚ねぇ」と書いてある。

「やー、すまんなぁ橘くん!ちょお散らかっとって」
「いえ…」
「その辺座りや。千里、そこの洗濯物どけて!」

親父に言われて桔平の座るスペースを確保する。
桔平はその狭いスペースにちんまりと正座した。

「お茶淹れるから待っとってな〜」
「親父のお茶不味いから桔平淹れ直してくれんね」

親父から急須を奪って桔平に渡す。

「コラッ、千里!お客に何させとんねん」
「桔平は客じゃなか。あんたの息子っちゃろ」

そう言うと親父は途端に頬を染めた。
どうやら嬉しいらしい。
確かに桔平はうちにはいないタイプの息子だ。新鮮なのだろう。

「そ、そっかぁ…橘くんは息子かぁ…せやんなぁ…」
「あ、お義父さん、台所借りますね」
「お義父さんかぁ…ええ響きやなぁ…」

感動する親父をよそに、桔平は急須ごと台所に消えた。

「ええなぁ…ああいう真面目な息子欲しかってん…優しいしええ子やんなぁ…」

キラキラした眼差しで桔平の消えた台所を見つめる親父。
うちにも一人だけ真面目で優しいええ息子がいるのに、忘れているんだろうか。
桔平と同じ金髪の弟のことを思い、俺は少し悲しい気持ちになった。






桔平の淹れた茶は、親父の淹れたものよりは美味かった。

「橘くんのお茶美味いわぁ。ええなぁ、光はお茶なんか淹れてくれへんし」

親父はしきりに感動している。
今の我が家には父親のために茶を淹れるような息子はいないのだから仕方ない。

でも、続いた言葉に俺は茶を吹きそうになった。

「なぁなぁ、橘くん達ここに越してきや!部屋は余っとるんやし!」
「ハァ!?」
「ええやん!ここからなら二人とも職場近いし家賃の心配いらんし!」

親父は名案とばかりに推してくる。
桔平はちょっと困ったように笑う。

「でも今のマンションのローンがありますし…」
「そんなん俺が払ったるわ!」
「そういうわけにはいきません」
「ならあのマンションは千里が住んで橘くんだけうちに来たらええんちゃう!?」
「ええわけあるか。何で新婚早々別居せんといかんとや」

余程桔平が息子だという事実に喜びを覚えているのか、段々形振り構わなくなってきた親父に一発キメて黙らせた。
顔を殴らなかったのは俺なりの善意だ。






尚も桔平を引き留めようとする親父を無理矢理引き離して実家を出た頃にはもう夕方になっていた。



「すまんばいね、桔平」
「いや、いいさ。相変わらず元気そうで安心した」

桔平はそう言って笑ったが、しばらく実家には近付かないようにしようと思う。
会うたび同居を勧められるのは嫌だ。

「千里はどうして同居したくないんだ?俺は構わないのに」
「…俺は構う」

例えば同居したとして、桔平なら確かに銀じいちゃんとも親父とも光とも金ちゃんとも仲良くやれるだろう。

いつかはそれもいいかもしれない。
でも、今は嫌だ。



「…せっかく新婚やけん、もっとイチャイチャしたか」



桔平は驚いたように瞬きして、すぐに笑って俺の頭を小突いた。

俺がどこにいてもメールをくれて、何をしていてもたまに迎えに来てくれる。
いつでも桔平が待ってくれているあの部屋に、もうしばらくは帰りたい。

時にはこうして手を繋ぎながら、二人で。



 


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