愛とは何かと問われれば





現実を後回しにして君に逃げる俺を笑ってもいい。
変わらないものがあると、君に知ってもらいたいから。



久々に出来た恋人は、健康的な笑顔で俺を見つめる人だった。

千里には似ていない。
千里は、どこか冷めた目をしている。

たぶんそれは彼の過去がそうさせているんだろう。
それとも、過去を知る俺だからそう見えるだけなのか。

恋人がいる間、千里とは意識して連絡を取らないようにしていた。

何故なのかは、分からない。






「…桔平、結婚するんかと思った」

恋人と別れてしばらくして、久しぶりに会った千里はそう言って笑った。

「考えたけど、何か違う気がして、な」
「運命の相手じゃなかったとや」
「そんなもの信じてるわけじゃないけど」

そう、考えなかったわけじゃない。
ただあの人と一生一緒にいる自分が想像出来なかった。

「どんな奴なら桔平と一生一緒にいることが出来っと?」

俺の理想が高いわけじゃない。…と思う。

「一生なんて考えるからいかんばい。始まったモンはどうせ終わるけん、もっと気楽に考えたらよか」

…千里のこういう考え方は、変わらない。
終わらない愛情なんて千里にとって幻想以外の何物でもない。

いや、少し変わったか。

「一生変わらんモンなんて俺の金ちゃんへの愛くらいっちゃろ!」

…信じるものがあるだけ昔よりマシだ。



「…友情は?」
「うん?」

焼き鳥の串を弄りながら呟くと、千里は首を傾げた。

「友情も、いつかは終わるのか」
「…桔平、俺達の友情は一生モンたい!とか言って欲しかと?」
「…少し気持ち悪いな」
「いい年こいた大人が友情なんて語り合うモンじゃなか〜」
「そうだな…」

それは言葉になどしなくても、俺は千里の傍にいてもいいと、そういう意味なんだろうか。



千里にとって終わらないものはない。

でも、変わらないものがあるからこそ「家族」は今も増えているんじゃないだろうか。
千里にはそれさえも「叶わないからこそ手を伸ばす滑稽な人間」に見えるのかもしれない。

人は人を変えられない。
自分の言葉で誰かを救えるなんておこがましい。
そんなことは分かってる。



ただ、千里には知って欲しい。
世の中お前が思うより薄情じゃないってこと。



それを教えられるのが俺であればと、そう思うんだ。千里。






「橘先生!恋人と別れたらしいやん」

放課後、職員室で仕事をしていたら白石謙也が面白そうに声をかけてきた。
噂が広まってるのは知ってたが、出来たら職員室では遠慮して欲しい話題だ。
さりげなく職員室内に視線を走らせる。

「先生の元カノやったらおらんよ。さっきグラウンドにおったし」
「………謙也、あんまり人のプライバシーに侵害するのは感心しないぞ」

見透かされたようで決まり悪くてつい冷たくそう返すと、謙也は大袈裟に肩を竦めた。

「侵害して欲しくないんやったら校内で手近に済ませたりせんかったらええんや」

謙也の言うことは最もだ。
だがいつもは人に気を使う優しい謙也らしからぬ辛辣さに少し驚く。

「恋人出来たらダチほったらかすとか、最低やん」
「…千里のことか」
「別れたら連絡寄越すとか。千里のことなんやと思っとるん?」

どうやら俺が千里を都合よく振り回しているように見えて怒っているらしい。

…いや、現に俺は、随分千里を振り回しているのかもしれない。



「…別に、千里がそう言うたわけやないからな」
「ああ。分かってる」

黙り込んだ俺に何を思ったのか、謙也はそう付け足した。

「千里を心配してるんだろ。謙也は優しいな」
「せやったらあんま千里で遊ぶなや」
「遊んでるつもりはないんだがなぁ」
「天然タラシとかタチ悪いわ。もっと自覚せえや」

謙也は少し笑って、持っていたノートで軽く俺の頭を叩いた。
教師と生徒、まるで立場が逆だ。

「それ、赤澤先生に渡しといて」
「おいおい、自分で渡せよ」
「今日急いでんねん。頼むわ」

それだけ言うと謙也は凄い速さで職員室を出ていった。
まったく、校内を走るななんて怒る暇さえなかった。



恋人出来たらダチほったらかすとか、最低やん



千里もそう思っただろうか。






数日後、千里に会った。
相変わらずののんきな笑顔で片手を上げる仕草に少しホッとした。
謙也に言われた言葉は意外なほど俺の核心をついていたらしい。
子供は無意識に深い言葉を発するから、気付かされることがたくさんある。

「桔平、なんかあった?」
「…何がだ?」
「考え込んどる顔しちょる」

付き合いが長い分千里には隠し事が出来ない。
隠しているつもりでも容易く彼は懐に飛び込んでくる。

それを許せるのは、たぶん千里だからだ。

「いや…大したことじゃない」
「ふうん?」

心配はするけど、余計な詮索はしないところは千里のいいところだ。

「ま、飲みなっせ」

慣れた居酒屋で最初のビールのジョッキを合わせて、千里は無言でジョッキを空にしていく。

酒に強い俺と同じペースで飲んでも潰れない千里が好きだ。
無言でいても苦痛じゃないところも。
目が合うと穏やかに笑ってくれるところも。

「……………」
「…何ね、じっと見て」
「お前の好きなところを考えてた」

そう言うと千里は吹き出した。

「どうしたとや、桔平」
「…お前が好きだ」
「……………」

自分の口から出た言葉に、誰よりびっくりしたのは自分だった。



「…桔平、何言うとると?」

さすがの千里もびっくりしたのか目を見開いている。
驚いているのにどこか冷静な自分が、子細に千里の表情を観察していた。
こいつはこんなに整った顔をしてただろうか。

「…すまん」
「…謝られるのも困るばい」
「そうだな…すまん」

重ねて謝る俺に千里は小さく笑った。

あ、笑った時の目尻の皺の寄り方が可愛い。歯並びも綺麗だし。
こんなに千里の顔を観察したのなんて初めてかもしれない。



好き、なんだろうか。



少なくともついこの間までいた恋人と同じように千里を好きだとは思ってない。
でも俺はあの恋人を好きだったんだろうか。
千里に対する好意が、本当の恋愛感情だったらどうする?

考え始めると何も分からなかった。



「桔平、」
「…すまん、忘れてくれ」

間違いなく千里のことは好きだ。
でも恋愛感情と結論付けるには早すぎる。

「…桔平」

千里は少し寂しそうに笑って、ジョッキの水滴を指で拭った。

その指先を、俺の手が捉える。



「…いつかちゃんと、言うから」



今はまだ、うまく言葉を選べない俺を許して欲しい。

千里が変わってゆく姿を、目に見えない何かを信じられるようになる姿を、傍で見続けていられたら。
千里を変える何かを、俺が与えられたら。

そしたらこの気持ちをうまく言葉に出来るだろうか。



「…待っちょるけん、早よ言うて」



俺に握られた指先を見つめながらそう言って笑う千里は、何に気付いているんだろうか。



変わっていく俺を笑っても、いい。
それでも俺は変わらず君の傍にいるから。



繋いだ指先があたたかくて、俺は何故か泣きたくなった。



 


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