体育館にて せっかくの冬休みだってのにバスケ部の練習試合の応援に駆り出されてしまった俺の機嫌は、あまり芳しくない。 この俺が応援に出向いてやった甲斐あって試合は立海が勝ったのだけが救いだ。 他校生も来ているせいで蓮二達は動かないし、つまらない。 俺は人の体温で気温と湿度の微妙に上がった体育館で一人コートの襟を合わせた。 バスケ部の連中はよくあんな寒々しい格好で球遊びに興じれるもんだ。 気温と湿度が多少上がったくらいじゃこの寒さは凌げない。 その瞬間、開け放たれた体育館の出入口から、変な風が吹いた。 あたたかくも冷たくもない、でも勢いのある風は体育館の中を駆け巡る。 「やぁ、幸村」 「…やぁ」 風が止むと目の前にはいつの間にか知った顔がいた。 不思議な風の正体に一人頷く。 「今日は何か用?…鎌鼬兄弟」 不二はニッコリ笑って、弟の裕太は礼儀正しく頭を下げた。 体育館の中は騒然とした。 どうやら今の風で怪我人が続出したらしい。 …まぁほとんどの人間は風のせいだなんて思っちゃいないだろうけど。 立海の生徒だからって妖怪にまで精通してる奴は多くないだろう。 「…俺に被害がなくて良かったよ」 次々に保健室へ運ばれる生徒達を見ながら俺は呟いた。 「君に怪我させたらタダじゃ済まないだろうからね」 「うん、余計な体力を使わずに済んだ」 「そうか…じゃあ君はむしろ僕にお礼を言うべきだね。体力を使わせないでくれてありがとう、って」 「うん、体力を使わせないでくれてありがとう」 「ふふ、どういたしまして」 俺と不二のやり取りを裕太が気味悪そうな眼差しで見ている。 心なしか息を弾ませながら。 「…裕太、君まだ兄貴に付いてけないの?」 俺の疑問に不二は眉を寄せて困ったように笑った。 「これでもだいぶ早くなってきたんだよ」 「…だから…!兄貴が傷を小さくすれば済む話………っ、いや…もうどうでもいい………」 裕太は諦めたように目を逸らした。 「で?今日は何か用?」 俺が聞くと、不二は手に持った封筒をヒラヒラさせた。 「用は用だけど、君にじゃないんだ」 「あ、そう」 「柳くんに用があるんだけど、君に聞いた方が早いかなって」 蓮二なら恐らく今は台座の上でしっかり銅像やってると思う。 他校生が全員捌けるまでは、慎重な蓮二のことだ、絶対動かない。 そう言うと不二は顎に手を当てて少し考えた。 「…全員病院送りにすれば校内は空になるよね」 「…なるけど、新聞記者とか来ちゃうかも」 中学校で謎の突風、重傷者多数。 そんな見出しは出来れば見たくない。 「まぁどうせじきに皆帰るから気長に待てば」 俺に用があるわけじゃないなら俺は帰っても構わないだろう。 そろそろ冷えきった指先がかじかんで辛い。 じゃ、と不二兄弟に片手を上げて体育館を出ようとしたら、首根っこを掴まれた。 …畜生、この俺の首根っこを掴むなんて生意気な。 「…なんだよ。俺は帰ってもいいだろ」 「せっかくだから色々話そうよ。裕太も待つだけじゃ退屈だろうし」 「…物届けるだけならむしろ裕太もいらないだろ」 不二の後ろで裕太が何度も頷く。 振り返った兄の視線に気付いて肩を震わせていたが。 「まぁいいじゃない。せっかくだから、ね」 何がせっかくなんだ。 そう思ったが心なしか不二の爪がぎらりと光ったので俺は諦めた。 不二の爪は普段は普通だが、鎌鼬として傷を負わそうとする時はビジュアル系並に伸びて尖るらしい。 怪我をしてまで避ける相手でもない。 俺は体育館の舞台に座った。不二と裕太もそれに倣う。 「不二って蓮二と仲良かったっけ?」 ボールを片付けるために残った何人かの部員を眺めながらそう聞くと、不二は首を振った。 「あんまり話したことはないけどね。今日は乾のお使い」 乾…というとあのデカい河童か。 「彼は一応水神だから、忙しいんだよね」 「ふーん…意外と凄い奴なんだな」 「年明けは神様達はあちこちで人間に拝まれるから大変らしいんだけど、どうしても柳くんに渡さなきゃいけないデータがあるって」 日本はたくさん神様がいるから大変だな。 しばらく不二兄弟と他愛ない話をしているうちに、体育館の中に人はいなくなっていた。 「そろそろ来るかな」 「中庭にまだ他校生がおる。もうちょいかかるじゃろな」 誰にともなく呟いた声に返事があった。仁王だ。 いつからそこにいたのか、舞台の上のキャット・ウォークに仁王は立っていた。 「おや仁王、久しぶり」 「に、仁王さん、そんなとこにいたら危ないですよ」 不二と裕太が仁王を見上げてそれぞれ声をかける。 「仁王、お前に見下ろされるのは不愉快だから降りておいで」 俺の言葉に仁王は苦笑して大人しく舞台に降りてきた。 霊だから当然だが、足音も立てずに身軽な動きをする仁王は猫みたいだ。 「さっき校長室覗いたら真田も来る言うとったぜよ」 「真田も?ふふ、彼に会うのも久しぶりだな」 どうやら不二は真田とも知り合いらしい。 何やら黒い笑顔を浮かべてるように見えたのは、隣の裕太がうんざりと肩を落とした姿を見る限り気のせいじゃないだろう。 「…頼むからあんまり問題起こすなよな」 裕太の呟きに不二が微笑んだが、それが了解の意味なのかどうかは分からない。 「不二ぃぃぃぃぃ!!!!!手合わせ願おう!!!!!」 ほどなくして、体育館に野太い声が響き渡った。 確かめるまでもない、真田だ。 俺は突然のことに耳を塞げなかったので小ダメージを受けた。 不二を見るとちょうど耳栓を外しているところだった。 いつの間に。あんな装備があるなら貸してくれてもいいのに。 「…参ったな。今日は真田と遊びにきたわけじゃないんだけど」 そう言いつつ不二は蓮二宛の封筒を裕太に渡した。 「裕太、危ないから下がっておいで」 「だから何でそうすぐ戦闘体制に入るんだよ!」 「心配してくれるのかい?」 「ちげーよ!兄貴の爪は霊体も切れるんだから真田さんが成仏しちまうだろうが!」 え、そうなの?羨ましい。 あの爪俺も欲しい。 今度日吉に頼んで人工鎌鼬の爪作ってもらおうかな。 そんなことを考えているうちに、真田は腰の剣を抜いて不二に斬りかかった。 あれ、確か真剣だ。 不二は妖怪だけど実体はあるから、ダメージはあるんだろうか。 「…真田が扱っとる時点であれは霊剣じゃから、当たればダメージにはなるぜよ」 「へぇ」 「ま、当たればな」 仁王の思わせ振りな言い方に首を傾げる。 その時、風が吹いた。 「…ぐぁ…っ!」 瞬きをしている間に、隣にいたはずの不二は体育館の出入口にいた。 そして体育館の中央で真田が膝を付く。 押さえた腹からしゅうしゅうと音を立てて煙が立っている。 霊体がダメージを受けるとああなるのか。 「ああ、今回も駄目じゃのう」 「さすが兄貴!やっぱり真田さんより断然速い!」 だが真田はまた立ち上がった。 そして剣を振り上げながらまた不二に向かう。 「「…勇気ある行動と取れなくもないが、賢くはないな」」 俺の声と不二の声が重なった。 「え」 「ハモっちゃった」 「幸村と不二は性格がよう似とるのう」 予想外のハモりにびっくりしてるうちに、無謀な武士は案の定床に倒れた。 やっぱり賢くない。猪突猛進以外出来ないのかあいつは。 「…くっ…まだまだ!」 それでも懲りない真田を易々とかわして不二は次々真田にダメージを与えていく。 あいつそろそろ成仏するんじゃないか。 気付けば二人の剣と爪の攻撃のとばっちりで体育館のいたるところに傷が付いている。 こりゃ明日怒られる。そろそろ止めないと駄目だ。 「兄貴、強い…!カッコイイ…!」 兄の活躍に目を輝かせる弟の頭を軽く叩く。 「そろそろ止めたいんだけど、あれいつもどうやって止めんの」 「心配いらん。そろそろじゃ」 裕太に代わり仁王が答える。 どういうことだと聞き返そうとしたら、金属がぶつかり合うような鋭い音が体育館に響いた。 「……………」 …………… 「不二、遅くなってすまないな」 「ああ柳くん。久しぶり」 「真田、引け」 「しかし…っ!」 「…引け」 不二と真田の間に、蓮二がいた。 右手で不二の手を、左手で真田の剣を止めている。 真田は蓮二に睨まれて渋々剣を下ろした。 「裕太!封筒を」 裕太が不二に駆け寄って封筒を渡す。 それを受け取った蓮二は中身を確認して満足そうに笑った。 「わざわざありがとう、不二」 「どういたしまして。幸村や真田と遊べて楽しかったよ」 朗らかに笑う不二に対して真田は不満そうだ。 「……………仁王」 「ん」 「この世で一番強い異形の者は銅像ってことかな」 そうじゃなあ、と呟いて、ハッキリしたことは言わないまま仁王は消えた。 傷だらけの体育館に吹き込む風が冷たくて、早く帰りたいとだけ思った。 |