椿散る夕暮れの閉ざされた部屋で





この狭い和室に彼は恐ろしく似合った。
薄い着物は外気の冷たさを感じさせるのか、はたまた冷たい目で彼を見つめる一人の男に恐怖を感じてのことか…

「…俺が怖いか」

男は彼に問う。はだけた着物の袷に指を這わせながら。
彼は抵抗らしい抵抗はしない。否、出来ないのだ。
その腕は紅い麻縄で幾重にも拘束され、白く細い脚は付け根まで露にされているものの彼には成す術もない。

「………雅治…、赦してくれ」

蚊の鳴くような、だがそれでも美しい声で彼は言った。
その声は震えている。雅治はにやりと口許を歪めた。

「駄目じゃ、参謀」
「俺はどうなってもいい。貞治だけは…貞治だけは、助けてくれ…」

己がこんな目に遭おうとも未だ恋人を守ろうとする姿に雅治は愛しさと同時に強い憎悪を抱いた。

「…ほうか。それなら俺を満足させてみんしゃい」

どのみち雅治に、貞治を助ける義理などない。
だが使える口実は使わせてもらう。
今頃雪の中で虫の息になっているであろう彼の恋人のことを思うと少し溜飲が下がった。

「…何でもする、何でもするから…」

彼をこの狭い和室に閉じ込めて何日経っただろう。
生命を維持する最低限の食事しか与えていない。
彼の恋人も同様だ。最も貞治については極寒の雪の中なわけだから、貞治の方が消耗は激しいが。

雅治は無言でジーンズの合わせを開いた。
何も言わずとも彼は這うようにして雅治の前に跪く。
薄桃色の唇がゆっくりと開いて、赤い舌が覗いた。

「のう、蓮二。あの男のことは忘れんしゃい」
「ぅ…ぐ、」

雅治自身を口に含ませた彼の頭を無理に押し付けて、雅治は小さく嘲笑う。
彼の伏せられた睫毛を濡らす滴を雅治の手が拭った。あたたかい。
冷えた自分の手が彼の温もりに包まれることに、覚えるのは幸福感。

「なぁ、俺を愛してるって言いんしゃい」

手を離してやれば、彼はえづきながら口を離した。

「…っ、雅、治…」
「言えよ」
「………あい、してる…」

どこか虚ろな彼の目に映る己もまた、虚ろだった。






「ええ子じゃ…けんしゃい。あっ…まさはる…!……はそのまま……を…し…し、……の…を…いた…だめ、そこは…!ここ、好きじゃろう?…あぁあっ…」
「赤也、珍しいな。読書か?」

父さんの書斎にあった本をリビングで読んでいたら、蓮二兄さんが声をかけてきた。

「表紙が絵だったからマンガだと思ったのに漢字いっぱいで読めねーッス」

蓮二兄さんは俺の後ろからひょいと手元の本を覗き込む。
次の瞬間にはその本は蓮二兄さんに奪われていた。

「?蓮二兄さん、返してくださいよぉ」
「………赤也、勝手に人の部屋の本を読んではいけないな」

ぐしゃり。

蓮二兄さんの手の中で潰される薄い本。
本はどんなものでも大事にする蓮二兄さんなのに、珍しい。

「じゃあ蓮二兄さん読んでくださいよ」
「駄目だ。漫画でも読んでいろ」
「いつもはもっと活字を読めって言う癖に」

食い下がろうとすると蓮二兄さんの目がゆっくり開いた。

「………あかや、」
「ごごごごごめんなさい!」
「分かればいい」

蓮二兄さんがこんな理不尽な怒り方をするなんて珍しい。
それほどまでに読んじゃいけない本だったんだろうか。

「これは有害図書だ。読まずに済むなら一生読まなくていいものだ」
「ゆーがい?…でもその表紙の絵、蓮二兄さんに似てますよね」
「……………」

俺がそう言うと蓮二兄さんは黙り込んだ。めちゃくちゃ嫌そうに眉をひそめている。

その顔はめちゃくちゃ怖かったけど、俺の言ったことは本心だ。
表紙に描かれていた綺麗な着物を着た男の人は蓮二兄さんによく似てる。
一緒に描かれた長い銀髪の男の人にも見覚えがあった。

「まさはるって雅兄と同じ名前ッスよね」
「…赤也…頼むから今見たことは全て忘れてくれ、頼むから」

俺の肩を両手で掴んで揺さぶりながら蓮二兄さんは必死に頼み込んでいる。
こんな蓮二兄さんは貴重だ。



「あ、蓮二ー。書斎にあった本知らない…って、やっぱ持ってたか」

リビングに入ってきたのは父さん。
蓮二兄さんの手元でぐしゃぐしゃになった紙の束を見て一人で頷いている。

「…父さん、頼むから赤也の目につく場所にだけは置くな」
「え、赤也が見つけたの?どうだった、赤也」
「漢字だらけでよく分かんなかったッス」

父さんは「なら別にいいじゃん」とか言いながら蓮二兄さんにニコニコ笑顔を向けている。
でも蓮二兄さんは相変わらず怖い顔だ。

「………父さん」
「分かってるよ、以後気を付けます。冬コミ近くてポスター書かなきゃいけなかったから色々忙しくてつい放置しちゃったんだよ」
「またあんなイベントに行くのか」
「またとは失礼な。結構楽しいじゃない。最近ペンタブ買って益々絵描くの楽しくなってきたから今度は漫画描いてみようかと思ってさ〜」

何の話か分からないが、父さんが漫画を描くだなんて初耳だ。

「父さん!俺も父さんの漫画読みたいッス!」
「よしよし、じゃあ赤也のためにも張り切っちゃおっかな」



蓮二兄さんがぐしゃぐしゃになった(元)本を更にビリビリと破り捨てている。
父さんはそれを気にも止めずに「来年にはオフで漫画出したいな〜。赤蓮…雅蓮…いやもういっそ俺蓮?」なんて言ってる。やっぱり何言ってるのか分からない。



ただ蓮二兄さんが無言で怒りのオーラをたぎらせているのだけは、分かった。



 


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