オサムちゃんに直接別れを告げて、3日が経った。
長いような、短い時間。

そこから何も、変わらない。

千歳にはまだ、何も告げてない。
浅はかやけど期待している俺がいる。



何かが、変わるんじゃないかと。



変わらないのは、分かっていた。

取り返しがつかないのは、分かっていた。

逃げられないのは、分かっていた。
 
救いなんてどこにもないことも、分かっていた。



表面上は至って何事もなく生活は続く。

ただ、

いつもより少し、機嫌の悪そうなオサムちゃんと、
いつもより少し、ぎくしゃくした謙也と、
いつもより少し、ご機嫌な千歳と、
いつもより少し、冷たい目をした財前…



いつもより少し、何かが違うだけ。



テニス部としては何も変わらない。

今俺が耐えれば、きっと元通りになる。
そのために今はオサムちゃんと別れたんやから…

いつかはきっと昔みたいに皆で笑い合えるよな?
いつかはまた、オサムちゃんと一緒に過ごすことが出来るよな…?

この悪夢が、続くわけがない。
いつかは皆目が覚める時が来る。



今だけ。

今だけ…



………どうにもならないことは、分かっていた。
 




 
「しーらいし♪」

水分補給にベンチに移動する俺の後を追うように声が聞こえる。
振り返ると珍しく鼻歌でも歌いかねないような機嫌の千歳が微笑んでいた。

今では千歳の機嫌の良さは恐怖―――
機嫌よく俺に話しかけてくる千歳の笑顔は、昔の面影なんてなくて…
ただひたすら冷たく俺の心を刺す。
直視していられなくて、目を伏せた。

「白石?何、無視?」
「ん…ごめ、何?」

改めて顔を上げたら、思いのほか目の前に千歳の顔があった。

「…白石さ…まだオサムちゃんと付き合っとうと?」

いきなり、核心をついた質問。



―――オサムちゃんと別れて?―――



数日前の千歳の声が耳に蘇る。



嫌なんて、言えるわけなかとやろ?
白石はいい子やけん、俺を怒らせたりせんばいね…?



オサムちゃんを

殺されたくないなら



俺を好きになって



首に未だ残る、千歳の歯の痕。
微かに残る痛みが、あれは夢じゃないと告げている。
その夜、俺はオサムちゃんに別れを告げたんや………
 


―――千歳が好きやから、別れて―――



オサムちゃんよりも、千歳が。



「白石が俺の言うこと聞けんとなら、」
「…言わんで」
「俺を好きにならんなら―」
「言わんで…!わかっとるから………」

この数日で、何度泣いたか分からないのに、まだ目からは涙が零れた。



「俺は、…ちとせ、が好き―――――」



目の前で涙に霞む千歳の顔が、昔のように柔らかく微笑んだ、気がした。
すぐに口付けられて、何も見えなくなったけど。



……………



オサムちゃん。

助けて、オサムちゃん。



オサムちゃん、好き―――



「…白石。オサムちゃんはもう、助けてくれんばい」

心を読んだかのような千歳の言葉に、恐怖を感じた。

「白石が好いとうのは、オサムちゃんじゃなくて俺っちゃろ…?」

言い聞かせるような言葉に、頷いた。



学校が永遠に終わらなければいいと思ったのは初めてで、だけど時間は滞りなく進み、一日は終わる。
そしてまさにこれからが、俺にとっての恐怖―――






「白石っ、早よ帰らんね♪」

一足早く帰り支度を済ませた千歳が楽しげに俺に近付く。
オサムちゃんがこっちを見た気がするけど、俺はそっちを見ることはしなかった。

一番愛しいオサムちゃんを、俺自ら、今日裏切る。

そんな時を前に、オサムちゃんをまっすぐ見つめることなんて出来やしない。
背後で、呆れ返ったような財前の溜息が聞こえた。
ゆっくり帰り支度を整えていた俺に焦れたのか、千歳も俺のジャージやら荷物やらを一緒に片付け始める。

「で、白石、今日どっちの家にする?俺んちでもよかけん」
「………ん…俺もどっちでもええよ………」

無理に作った笑顔。
顔の筋肉と心が痛い。

「じゃあ白石んちにせんね。久々に行きたいし」
「え…俺んち汚いけど…」
「そんなん平気ばい。白石んちなら汚くてもよか」

ここ最近の千歳からは考えられないような、優しい笑顔。

「じゃあ、うちにしよっか…」

…それさえ、恐怖を喚起する材料でしかない。



オサムちゃん。

助けて。



静かに扉の閉まる音がした。



振り返ると、オサムちゃんがいなかった。
 





早足で歩く千歳に腕を掴まれ引きずられるようにして、まっすぐ俺ん家に帰る。
途中どっかで飯でも食う?なんて話もしたけど、千歳はこれ以上先延ばしにするつもりなんてないようだった。

―――笑顔も限界。

出来ることなら今すぐ泣きたい。
泣いて、逃げ出したい。
オサムちゃんに全てを打ち明けて、抱き締めて欲しい。
大丈夫やでって、言って欲しい………

…叶わぬこと。






家に入った途端、千歳は荷物を玄関に投げ捨てた。
俺の持っていた荷物も強引に奪ってその辺に投げて。
そのまま俺の手を引いて俺の部屋まで行ったかと思うと、ソファに思いっきり押し倒される。
柔らかいソファは痛みこそないけれど、押し倒された衝撃で一瞬息が詰まった。

このソファ。

たった一度だけ家に誰もおらん時に来た、オサムちゃんと求め合った場所。

何で?
何でよりによってこの場所なん?
まるで、見てたみたいな―――

「ちと…!待って…ここじゃ、や…」
「やだ。俺はここがよか」
「ベッド…ベッドでしよ、な…?」

必死になってここでの行為を避けようとするのに、拒否すればする程千歳はここでの行為に執着するようだった。

「ね、何でそげん拒否すっと?ここ、何かあっとや?」
「………な、んも…ないけど………」
「ふぅん?…俺はてっきり、オサムちゃんとココでしたからかと思ったばい」

―――――怖い。

「ぃ………や………いや、ゃ…」
「白石…まだ分かっとらんみたいやけん」

千歳の舌が俺の唇をゆっくりなぞる。
その異様に冷たい舌の感触に、無意識に鳥肌が立った。



「白石に拒否権は、なかよ」



神様…



俺の罪を教えてください―――






その夜俺は、千歳の満足するまでそのソファで抱かれた。



どれだけ泣いても叫んでも、

愛しい人

あなたにこの声は届かない。


 



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