『俺は白石以外、殺したい程憎いのに』



千歳のその言葉が、ただ嘘や脅しのようには耳に響かなかった。

日々憔悴していくような財前。
頬の痣。

変わっていく千歳。

本当に

本当に殺さんばかりの勢いで、オサムちゃんを見つめる千歳を


俺は知ってる。


『千歳の前では…俺に触らんで…』


絶望的な表情でその言葉を受け止めたオサムちゃんを思い出す。
大好きなオサムちゃんの傷ついた表情は同時に俺を傷つけた。

でもそれがオサムちゃんのためだから。
俺達テニス部のためだから。

いや、単に俺の保身だったかもしれない。

千歳が怖い

ただそれ故の、弱い俺自身の保身。
そう思われたって、仕方ない。
 





翌日部活に行った俺は、早速オサムちゃんが俺とあまり口を利かないようにしてくれていることに気付いた。

少し申し訳ない気分になりながらも、オサムちゃんに感謝する。
いつかはきちんと話さないといけない。

オサムちゃんは知らない。

千歳が俺に告白してきたということ。
千歳が、俺を好きだということ。

もしかしたら薄々感づいてはいるのかもしれない。
そこは呑気なフリしとっても俺をよう見とるオサムちゃんのことやから。

だけど今、千歳が財前と付き合っているってことは変えようのない事実。
少なくとも俺達レギュラーはそう思っていた。
財前に日に日に増えていく痣や傷に、気付かないフリをすることも、口を出すこともできずにいる。

「白石、オサムちゃんと喧嘩でもしたん?」

ミーティングの時、敢えて離れて座った俺とオサムちゃんに疑問を抱いたのか、謙也が心配気に尋ねてきた。
優しくて、意外に勘のいい謙也。

「ううん、ちゃうよ?」

心配をかけたくはないけれど。
笑顔で切り返す。

向かいに座った千歳が薄く嗤ったように見えたのが気のせいであることを願う。



ミーティングもひとまず終わり、俺は購買の自販機でコーヒーを買った。
隅に置かれたベンチに座り、一息つく。

近くにオサムちゃんのいない部活なんて、久々に感じる。
どれだけいつも、オサムちゃんが傍にいてくれたか改めて実感した。
息もつけない部室。
前はこんなことなかったのに。



ミーティングの最中に俺が気付いたこと…

いつもより財前の元気が無かった。
眠そうに目を細めて、頬の痣はまだ濃くそこに残っていた。
珍しくジャージのファスナーを一番上まで上げて。
その下に何があるかは俺は想像したくない。

いつもよりどことなく楽しそうな千歳。
ミーティング中ずっと、楽しげに俺とオサムちゃんを見比べて。

その冷笑を思い出して、震えた。

いつもより、口数が少なくて機嫌の悪いオサムちゃん。
これは俺の責任。

心配気に見つめる謙也。
一人、いつだってレギュラー全員を見て気にかけてくれているのに。

今のテニス部のこの有様。

一体なんだというんだろう。
どこでおかしくなってしまったんだろう。
どこで壊れてしまったんだろう。

コーヒーの缶を強く握る。
知らずに溜め息が口をついて出ていた。


――チャリ…


100円玉が目の前に転がり込んできた。
それを追うような足音も聞こえて、自然に顔を上げる。



千歳 



とっさに目を背けていた。

「あれぇ?白石ばい」

昨日とは比べ物にならない、弾んだ声。
表情は見えないけど、あの冷淡な笑顔を向けられているんだろうと思うと、また恐怖を感じずにいられなかった。

「…ナニ、ビビっとうと」

俯いた俺の目の前に、唐突に千歳の顔。

転がした100円玉を拾うために、俺の前にしゃがみこんでいた。
そのまま意味ありげに微笑んだ。
ああ、こんなときでも千歳はやっぱりかっこいいんやけど。
怖いくらい冷たく嗤っていても。

「ねぇ、オサムちゃんと喧嘩でもしたとや?」

ミーティング前に謙也にも言われた言葉を千歳も繰り返した。
だけど謙也と違って、それは楽しそうな表情で。

「昨日俺と話した後、何かあったと?」

俺がどれだけ視線を逸らせても、千歳の目線は俺を逃がさない。
どこまでも追ってくる目線から逃げたくて
だけど立ち上がって逃げ出すこともできない。

「オサムちゃんと別れたとかだったら、俺嬉しかけんねぇ」

殊更楽しそうに声を上げて笑う。

「…ちゃうよ…何もないって」

途端に千歳はつまらなそうに立ち上がった。
ほっとしたのもつかの間、千歳の手にも缶コーヒーが握られていた。

「その割には今日、一回もオサムちゃんと目すら合わせとらんばい」
「………ッ………よく、見とんのやね」

俺の馬鹿。
よくこんな挑発的なことが言えたものだと呆れる。
男としての意地みたいなものも手伝ったのかもしれない。

「ま、白石のことはいっちょん見とるし?………オサムちゃんより」

プルトップが大きな音を立てて開けられる。
目の前に立ちはだかった千歳の、ちょうど太ももあたりに俺の目線があった。
逃げるように、視線は自販機を無意味に見つめる。

「俺が怖かと?」

あまりに唐突に、千歳が切り出した。
俺の確かな気持ちを。


―――読まれてる。

顔色も、心も。

怖い。

オサムちゃん…ッ



「そうたいねぇ…俺」

千歳は今度はかがんで俺に視線を合わせてきた。
逃げられないように、しっかりと。

「白石が俺のこと怒らせるんやったら」

嫌な予感がするも、もう遅いだろう。

「オサムちゃんのこと殺しちゃる」

ああ

「オサムちゃんが大切?」 
 
オサムちゃん。

大切や。俺の一番大切な人。
きっと千歳は本当に、俺の大切な人を殺すくらいするだろう。
妙にすんなり納得した。

「白石は頭のよか子やけん、俺を怒らせたりなんてせんとやろ?」

泣きそうだ。でも今この場で距離を置いているオサムちゃんからの助けなんて望めるはずもない。

「………白石、返事せんね」

俺が何とかしないといけないんだ。
千歳を怒らせてはいけない。
もう、直感がそう言っていた。



「……………分かっとる」



俺は弱い。

オサムちゃんをを守るために、テニス部を守るために、その全てを犠牲にしようとしてる矛盾に気付かないフリをした。



「………はは、ははははっ!あはははッ」



壊れたように笑う千歳。
千歳。
どうして。

どうして俺なん。

何で俺を選んだん。

廊下の向こう側、きっと俺達の声すら届かないくらい離れた場所。
そこにオサムちゃんの薄茶の髪が見えた気がした。


オサムちゃんの表情は


翳って見えなかった。




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