誰も知らない
カーテンの隙間から洩れる煩わしい太陽のせいで、目が覚めた。
まだ働かない頭でぼんやりと時計を眺める。
AM11:49。いつもより30分以上早い目覚めだ。
昨夜も午前3時までMXでアニメを見ていた。
その後ブルーレイに録ったお気に入りのアニメを見てから寝たから、寝たのは朝の5時くらいだっただろうか。
ベッドに横になったまま目線を天井に向けると、俺の嫁が今日も可愛い笑顔を向けてくれる。
この笑顔のために俺は毎日目覚めてると言っても過言じゃない。
「…おはよう、憂。今日も可愛いね」
天井の嫁にそう言って、俺はベッドから起きた。
壁際に隙間なく置かれたイタリア製の棚の中には無数のフィギュア。
保存用に箱入りと、観賞用に箱から出された子達が並んでいる。
「おはよう、みんな」
俺は棚の扉を開けて観賞用のフィギュア達におはようのキスをする。これは俺の日課だ。
全員にキスをし終わる頃、部屋の扉が静かに開いた。
「おはようございます、精市坊っちゃま」
「おはよう、俵田。今日は出かけるからすぐ食事にしてくれる?」
「かしこまりました」
俵田は恭しく頭を下げると部屋を出ていった。
彼は俺が子供の頃から幸村家に仕えている執事の一人だ。
何人もいる執事の中で、俺の趣味を知り部屋への出入りを許されているのは彼だけだ。
もう若くない彼が引退したらどうしよう。
この気持ちはニートが「親が死んだらどうしよう」と思うそれに似ている。と思う。
まぁ俺は親が死んでも困らないほど金はあるから、ちょっと違うか。
しばらくして俵田が部屋に食事を運んでくれた。
「紅茶はいかがいたしますか?」
「ダージリン」
「かしこまりました」
俵田が上等な紅茶を淹れてくれている間に着替える。
リュックはいつもはアニメイトで買った荷物が増えるから空で行くんだけど、今日は違う。
荷物をまとめてリュックに詰め込む俺に、俵田は目敏く気付いた。
「坊っちゃま、今日は秋葉原じゃないんですか?」
「うん…ねぇ俵田、この服似合う?」
俺はリュックに詰め込もうとした服を広げて俵田に見せる。
某アニメのヒロインのセーラー服。渋谷のまんだらけで買ったやつ。
「…涼宮ハルヒですね」
「うん、どう?」
「大変お似合いですよ」
俵田は優しい笑顔で頷いた。
うん、俵田が似合うって言ってくれたってことはたぶん大丈夫だろう。
俺は適当に畳んだそれをリュックに詰めた。
「今日はオフ会ですか?」
「うん。代々木公園で踊ってみたオフ。ハレハレユカイ踊るんだ」
「蓮二さんもご一緒に?」
「そう。蓮二殿の会社の後輩も来るんだって。ニコ動にアップするって」
蓮二殿はアニメはそんなに詳しいわけじゃないけど、オタ芸の権威なので、そのダンス力はかなりのレベルを誇る。
一度見せてもらったけど、蓮二殿がオタ芸を打つと周辺2mは空間が出来る。
凄いのかどうなのか分からないけどダイナミックなことは確かだ。
「坊っちゃま、」
「大丈夫、顔出しはしないから。これ被って踊るし」
俺は以前中華街で買ったデカい顔のかぶりものを俵田に見せた。
俵田は頷く。
俺の親はIT企業の社長で世界的に顔が割れている。
昔は俺も一緒に雑誌なんかにも載ったことがあるから、さすがに顔出しは出来ない。
俵田の淹れてくれた紅茶を飲みながら朝食(時間的には昼食か)を食べる。
「帰りはメイドカフェ寄るから夕飯いらない」
「かしこまりました」
待ち合わせの時間までもうあまり余裕がない。
流し込むように食べて、家を出た。
「幸村氏、遅いぞ」
代々木公園では既に蓮二殿が長門の制服に着替えて待っていた。
「ごめーん。今着替える!」
蓮二殿の後輩もみくるのコスプレで蓮二殿に振り付けを習っている。
さすが蓮二殿、教える時も全力だ。
みくる後輩が蓮二殿から2m離れた。
誰も俺を知らない場所。
ただの幸村氏でいられるこの場所こそが、俺の居場所。