音楽室にて
「あ、そうだ。音楽室に行ってくれないか」
ある日、中庭で花に水をやっていた俺は、突然頭上から降ってきた声に顔を上げた。
「…蓮二、珍しいね」
台座の上には蓮二が立っている。今日は気温が高いのに、だ。
普段喋っている時は人間と違和感なく見えるのに、こうして台座に立っているだけで途端に銅像らしく見えるのが不思議だ。
「今日は外部から人が来るからな。実体のある俺や弦一郎は動けない」
「成る程、そうやって体裁を守ってるんだ」
道理でこんな異質な学校なのに外には妙な噂ひとつ漏れ聞こえてこないわけだ。
「質の悪い輩に見付かるのは控えたいからな」
この学校に通う生徒達は不思議だ。
こんな怪現象にも友好的なのだから。
だからこそ今まで蓮二達は暮らしてこれたんだろうけど。
「で、何だっけ。音楽室?」
「ああ。本を返してきてほしい」
「…音楽室に?」
本なのに音楽室。ということは十中八九相手は異形の者だ。
そういえば音楽室の霊にはまだ会ったことがない。
壁の作曲家の写真の目が動いてるのは知ってたけど。
「ミステリーには詳しいか?」
「ぜんぜん」
「アガサ・クリスティは?」
「名前だけなら」
「じゃあそれでいい。アガサ・クリスティのお勧めは?と聞けばいい」
「…音楽室で?」
音楽室でミステリー。ミスマッチだ。
一体どんな霊なんだろう。
「そうだ、仁王を連れて行こう」
先日階段で初めてまともに顔を合わせて以来、仁王は俺の前にちょくちょく顔を出すようになっていた。
悪戯好きで嘘ばかりつくが、俺は彼が割と嫌いじゃない。
「それはいいな。仁王はあいつと仲が良いから」
「そうなんだ。会うのが楽しみになってきた」
「幸村は嫌いなタイプだろうがな」
それきり蓮二は何も言わなくなった。
台座にはいつの間にか一冊の本が置かれている。
アガサ・クリスティの「アクロイド殺し」
…確かに話は合いそうにない。
「おーい、仁王。いるかい?」
「何じゃ?」
階段の前で声をかけたら、すぐに目の前に仁王が現れた。
瞬きした瞬間に出てくるから、いつも少し驚く。
「音楽室に行くんだけど、一緒に行かない?」
「珍しいな、幸村が音楽室なんて」
「蓮二に頼まれて音楽室の霊に会いに行くんだ」
「幸村はアイツとは気が合わなそうじゃがのぅ」
くすくす笑いながら、仁王は蓮二と同じことを言った。
「ま、アイツも基本人前には出んからな。俺がおった方がええじゃろな」
「そうなの?」
「アイツは紳士じゃから。私が現れることで人々を驚かせるなんてあってはなりません!だそうじゃ」
「めんどくせっ」
俺達は喋りながら音楽室へ向かった。
いつもは楽器の音やら歌声やらが聞こえる廊下が今日はいやに静かだ。
吹奏楽部や合唱部が休みらしい。
成る程、だから今日ならその霊は出やすいということか。
音楽室の中は無人だった。
カーテンが全て閉まって電気も付いてない音楽室は薄暗い。
壁のモーツァルトの目がぎょろりと動いてこちらを見た。
意思があるわけじゃないんだろうけど、何となく軽く会釈しておく。
「おーい、やぎゅ。出ておいで」
静まり返った音楽室に仁王の声が響く。
だが何も起こらない。
壁のバッハが眠りから覚まされたかのように視線を動かしただけだ。
「何じゃ、今日は出てこない気か?」
「アガサ・クリスティの話しに来たんだけどなぁ…」
蓮二に言われたことを思い出してそう言ってみれば、正面に置かれたグランドピアノの鍵盤の蓋が静かに開いた。
そしていつの間にかピアノの前の椅子には眼鏡をかけた少年が座っていた。
「あ、柳生」
彼が音楽室の霊らしい。
茶色いまっすぐな髪が綺麗に七三に分けられている。
蓋が開いて出てきたということは彼はピアノの中に住んでいるんだろうか。
「…アガサ・クリスティに興味が?」
「いや、あんまりない」
「…!何ということでしょう。仁王君の入れ知恵ですか?」
アガサ・クリスティに釣られてまんまと出てきてしまったのが悔しいのか恥ずかしいのか、彼は仁王を睨んだ。
「違うよ。俺は蓮二のおつかい」
ステロイド殺しだか何だか忘れたけど、預かった本をひらひら振って見せれば、彼は顔を輝かせる。
「柳君の…、そうですか。彼の感想は聞いていただけましたか?」
「いや、特に聞いてない」
「それは残念です。また今度ご本人に伺うことにしましょう」
持って回った言い回しや、意外なほどくるくる変わる表情が少し鬱陶しい。
「では貴方にもその本をお貸ししましょう。是非読んでみてください」
「いい。俺ミステリー読まないし」
彼はそうですか…と露骨にがっくりと肩を落とした。
だがすぐに俺の隣の仁王を見て首を傾げる。
「…おや、仁王君が人と行動を共にするなんて珍しいですね」
「本当なら隠れておきたいんじゃが、幸村には何故か見つかってまうんじゃ。幸村、コイツが柳生ナリ」
「ああ、柳君が仰っていた転校生の方ですね。はじめまして、柳生比呂士と申します」
今更深々と頭を下げられて、俺も釣られて頭を下げた。
「柳生の力は音楽室の写真の目を動かすことなの?」
「いえ、あれは勝手に動くんです。私の力の影響かは分かりません」
柳生はキョロキョロと目を動かす作曲家達ににっこりと笑いかけた。
仁王が続ける。
「コイツは本来はピアノを弾く霊じゃ」
「ああ、音楽室で鳴るピアノ、ね」
よくある話だ。だが今までそんなピアノの音色は聞いたことがない。
「昼間はまず弾きませんからね」
「じゃあいつ弾くの」
「ピアノを弾くのは夜8時から9時までの一時間と決めています」
あまり深夜に弾くのは近所迷惑ですからね、と言う柳生は何故か誇らしげだ。
何だかめんどくさい。ウザい。
そんな霊存在する意味あるんだろうか。
「柳生の存在自体知らん奴も多いぜよ」
「…そうだろうね…」
わざわざ学校霊でいる意味がまったくないじゃないか。
というか霊でいる意味がない。何で成仏しないんだ。
「悪戯に人を驚かすなんて紳士の風上にも置けませんから!」
自信満々に胸を張る柳生を見て、俺は思った。
…学校霊にも色々いる。
[←] | [→]