病室にて






仁王雅治。

立海、西棟の階段に現れる浮遊霊。
悪戯好きで姿を隠すのがうまい。
年季の入った霊…と言われているが、詳細は不明。
銀髪は外国の血が入っているから、とか先祖の祟り、とか諸説あるが、真偽は不明。
死因は不明。
浮遊霊特別認定課に書類を提出していない為常に死神に追われているが、何故提出しないのかは、不明。

とにかく謎の多い男だ。

常にふざけて人を煙に巻く彼の口から発せられる言葉の、何が真実か判断するのは難しい。






「……………」



その仁王が、今俺の目の前にいる。

ここは立海じゃない。
浮遊霊の仁王は立海から出られない。
いや、それ以前に。



ここにいる仁王は、霊じゃない。






「……………仁王?」

声をかけても返事はない。
当然だ。
目の前にいる仁王の体からは、至るところからコードが伸びていて、辛うじて生きながらえていることが知れる。
心拍を測る機械が規則的な音を立てているだけだ。

「………仁王?」

それでも俺はもう一度声をかけた。
声をかけるというよりは、疑問から。

目の前で目を閉じた仁王(らしき人物)は、俺の知る仁王と少し違う。
髪が黒かった。そして動かない。
いつも落ち着きなくフラフラしている仁王からは想像もつかない静かな姿。
それでもその顔は間違いなく俺のよく知る仁王だった。ホクロの位置も変わらない。

「…仁王の子孫とかかなぁ」



ところで俺が何故ここにいるかということを説明しておく。
ここというのは大学病院だ。

簡単に言うと盲腸で入院した親戚の見舞いだ。
病室を探して歩き回っているうちに、重篤な患者の病棟に紛れ込んでしまったらしい。
ふと中途半端に扉が開いた病室に目を向けたら視界に入ったのが、ベッドに横たわる彼だった。

仁王にしか見えない、誰か。



「…あら」

スライド式の扉が開いて、病室に見知らぬ女性が現れた。
雰囲気が仁王…というかこの眠っている彼によく似ている。
年齢的に彼の姉だろうか。

「こんにちは。雅治のお見舞いに来てくれたの?」
「やっぱりこれ、仁王なんですか?」

これ、と寝ている彼を指差す俺を失礼だと咎めもせず、彼女は不思議そうに首を傾げた。






「お茶どうぞ」
「あ、すみません」

彼女はやっぱり彼の姉だったらしい。
立ち話も何だから、と勧められた椅子に素直に座ると、お茶を入れてくれた。
仁王らしき人物の眠るベッドを挟んで彼女と向かい合う。

少し漂う気まずさをごまかすようにお茶に口を付けた。

「君は雅治のお友達?」
「…たぶん」

この眠っている彼が俺の知る仁王なら、友達だと思う。

「でも、彼が俺の知る仁王かは、分からない」
「どういうこと?」
「俺の知ってる仁王は、銀髪だし」
「…この一年で髪が伸びちゃったからね。銀髪の部分はもう切っちゃった」

違う、そういうことじゃない。

「…仁王は、死んでるはずだ」
「死んでないわ」

お姉さんは少し悲しそうにそう言った。
確かに機械は彼の心臓が動いてることを音で伝えている。
でも違う、そうじゃなくて。俺が言いたいのは…

「俺は毎日仁王に会ってる!今日だって…」
「…え?」
「仁王は立海の階段にいる浮遊霊だ。悪戯好きで隠れるのがうまくて、今日も階段の数を減らしすぎて塀みたいにして生徒を困らせてた。この仁王は俺の知ってる仁王じゃない」

信じてもらえないのは承知だ。
でも正直に言う以外、自分がスッキリする方法はなかった。
この状況に、俺は思っている以上に混乱しているのかもしれない。
お姉さんは案の定困ったような表情になった。

でもその後、予想外に懐かしそうに笑った。

「相変わらず悪さをしてるのね」
「…え」
「雅治に会ったら、早く戻れって伝えて。みんな待ってるからって」



大きな割り切れない思いを抱えて、俺は「仁王雅治」の病室を出た。
親戚に渡すはずだった花束をお姉さんに渡して。
学校の温室で育てた花を枕元に飾られた仁王は、その香りでさっきよりも俺の知る「仁王雅治」に見えた。






翌日スッキリしない気持ちのまま温室の手入れをしていた俺のところに、一人の来訪者があった。

「よ、幸村」
「何か用?考え事してるから君と遊んでる暇はないんだけど」
「つれへんこと言うなや」

死神の忍足謙也は苦笑しながら俺に人のいい笑みを浮かべる。

「仁王探しとるんやけど知らへん?」
「俺だって探してるよ」

今日は一度も仁王に会えていない。
昨日のことを話したいのに。
用がある時に限って現れないのはあいつらしいけれど。

「まったく…ホンマ勘のええやっちゃな」
「…仁王に書類の督促?」
「まぁな。死亡届は一枚なんやからさっさと書けばええんに」



……………死亡届?



「どういうこと?」
「は?」
「現世に留まる為の書類じゃないの?」

俺が思い切り詰め寄ったからだろうか。
謙也は両手を顔の横に上げてひきつった笑顔を浮かべた。

「な、何やねん幸村。何怒っとんの?」
「いいから答えろ!」

温室のガラスを叩くとビシッとヒビの入る音と感触。
ああせっかく氷帝に直してもらったのに。



「………仁王は死んでへんよ。知らんかったん?」



謙也はガラスのヒビを横目に見て青い顔でそう言った。






「仁王!どこにいる!仁王!」

西棟の階段、音楽室、赤也のトイレ、学校中を走り回る。
それでも仁王は見付からなかった。
わざと隠れてるのか?
空き教室で俺は一際声を張り上げた。

「…仁王!出てこい!強制成仏させるぞ!」

自分でも何をこんなにイライラしてるのか分からない。
ただスッキリしない。本人から事情を聞かないことには治まらないことだけは分かった。



「…やっかましいのぅ。何の用じゃ」



瞬きした瞬間、仁王が夕陽を背に窓際に立っていた。

「…仁王」
「怖い顔してどうしたんじゃ。今日は何もしとらんぜよ」
「………昨日、お前の姉さんに会ったぞ」

ヘラヘラしていた仁王の表情から笑みが消えた。
今まで見たこともないような真剣な目が俺を見つめる。

「………ほうか。元気じゃった?」
「元気、だったと思う」
「そら良かった」
「お前は元気そうではなかったよ」

仁王は目を逸らして自嘲するように笑う。

「…そうじゃろうな」
「何で体に戻らない?生きているのに」

心臓は動いているのに。
待っている家族がいるのに。

「…合わす顔がないからじゃ」

仁王はひとつ椅子を引いて、そこに座った。
この語りは長そうだ。
そう思って俺も仁王の傍の椅子を引いて座る。



「一年前、俺は生きとって、ここの三年じゃった」
「…うん」
「まぁなんちゅーか、特に理由もなくグレとって。色々迷惑かけとったんよなぁ。家族にも生徒にも」

…迷惑は今も割とかけてるけど、突っ込みは堪えた。

「で、喧嘩ばっかしちょって…西棟の階段で去年の三年と揉み合いになって、階段から落ちた、と」
「そんな話聞いたことないなぁ」
「そりゃ去年の三年はもうおらんし。俺もそいつも学校あんま来とらんかったし放課後じゃったきに知っとる後輩もおらん」

確かにこの学校は下校時刻が過ぎればほとんど人はいなくなる。
教師陣さえ黙していれば生徒の耳には入らないということもあるだろう。

「俺は知っての通り植物状態。相手は…知らん」

グレていた自分が申し訳なくて家族に合わす顔がないということなんだろうか。
仁王にしては殊勝な考え方な気がする。

「………俺が、グレて色々やっとった挙げ句こんな傷害起こしたせいで…姉貴の結婚がなくなった」
「……………」
「姉貴は…ずっと優しかったから。さすがの俺もそれ知った時は堪えた。…あ、その情報は霊になってまだ病室におった頃聞いたんじゃけど。泣いとる姉貴見て、あそこにいれんくなって…で、立海に来た」

昨日会ったお姉さんを思い出す。
仁王によく似た面差しで、でも仁王より大人しそうな人だった。
眠る仁王を見つめる目は、とても恨みを持っていたようには思えない。

「皮肉なもんぜよ。生きてる時は学校なんか来なかったのに」

生き返ることはしない。
お姉さんに合わす顔がないから。
でも。



「…死なないってことは、まだ生きたいんだな」
「……………そうかもしれん」



死ぬには未練がありすぎる。
きっとそういうことだろう。

だから死神から逃げ続けていたのか。
体に戻るきっかけも見つけられないまま。



「…お姉さんから伝言」
「ん…?」
「待ってるから、早く戻れって」
「………お節介じゃのう。めんどくさがりの癖に」

めんどくさいのは嫌いだ。
湿っぽいのも、友達が暗い顔してるのを見るのも。

だから…

「…そうだよ。めんどくさいの嫌いなんだから、さっさと体に戻って復学して来いよ」

階段が増えたり減ったりする心配もなくなることだし。



同級生としてなら、歓迎してやるよ。






仁王と一緒に階段から落ちた奴のその後は蓮二が知っていた。
そいつは大した怪我もなくピンピンして今もアホなヤンキーとして高校生活を謳歌しているらしい。

「相変わらず喧嘩に明け暮れたり峠を攻めたりナンパに全力を注いだりしてるようだな」
「俺そういう奴嫌い」
「そうだろうな。仁王も好きではないだろう」

仁王が帰って来たらまず最初にそいつをシメに行こうか。
そう言うと蓮二は「恐ろしい人間が増えるのは厄介だな」と笑った。



とりあえずは、花束とブリーチ剤持って病室に行った俺を見て、仁王が何を言うか楽しみだ。



今日、立海の七不思議はひとつ減った。

代わりに近いうちに、新たなクラスメイトが増えるだろう。
それはたぶん、いいことだ。



 


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