屋上庭園にて






「………開いたか」
「は?」

いつもの放課後、図書室で本を開いていた蓮二が、ふと顔を上げて呟いた。






今、俺は屋上庭園にいる。

この学校の屋上庭園はとても美しい。
季節の花がいつだって咲き乱れていて(まぁ俺は転校生だから聞いた話でしかないが)誰が管理しているのかいつだって雑草ひとつなく整えられている。
ガーデニングが趣味の俺としてはとても好きな場所だ。

「…でも何でいきなり屋上庭園?」

先程蓮二が呟いた言葉の意味を知ることなく、黙って図書室を出た蓮二に俺は大人しくついてきた。
そして着いたのがこの場所。
蓮二は俺の疑問には答えず、屋上庭園の中心、小さな池を見つめている。
その姿はどこかいつもと違う。
どことなく緊張感の漂うその姿に、俺も自然と姿勢を正した。



「…幸村、この学校は特別なんだ」

特別の中心にいる蓮二と話しているくらいだから、勿論知っている。

「創立以来、この学校には常に霊がいた」

蓮二は俺の返事を待たずに続けた。

「その理由がこの場所。あの中心の池は霊界に繋がっている。謂わば鬼門だ」
「…はぁ、きもん」
「この場所には元々江戸時代から続く大きな神社があった。戦時中に戦火に巻き込まれ崩壊して学校が建ったんだ」

何故蓮二はいきなりこの学校の創立の歴史を俺に語っているんだろう。
蓮二は元々筋道を立てて人に理解させる為に話すタイプだ。
こう唐突に話が始まることは珍しい。
俺はとりあえず邪魔はせずに話を聞いてみることにした。

「最初はそれでも、多少霊的な磁場が強いだけの場所だったんだ。だがこの学校が大きくなるにつれ、事情は変わった」

蓮二は池から目を離さない。
俺も池に目をやった。特におかしなところはない。
風で水面に細波が立っているだけだ。

「校舎の配置が良くなかった。上から見るとこの学校の校舎は、霊界の門を開く印を結んでいるんだ」

…待て。今風なんか吹いているだろうか。

「霊界の門が開かれるということは、成仏したはずの霊が自由に現世に出てくるということだ。…言うまでもないことだが、良いことではない」

水面の細波が少し大きくなる。
俺の感覚が正しければ、風はない。たぶん。

「学校の創立以来ここにいる俺は、異形の者を集めた。七ヶ所に霊を配置することで、霊界の門が開かない結界を張ったんだ」
「…七ヶ所?」
「そうだ。その七ヶ所を線で結ぶと開門を封じる印を結ぶように」
「…ま、まさか…」

池に小さく点々と、蛍のような光が浮いている。
昼日中の明るさの中でも、その光ははっきりと異質だった。何というか、とても冷たい。

「…赤也が鏡を出てしまった。まさか戻れなくなるとは俺も思わなかったから、油断した」
「そ、それって…」

水面から音もなく白い手が覗く。

「………やはり開いてしまったな」
「…お…俺のせいじゃん!」

白い手は4本あった。
その手が池の縁を掴む。



「幸村、開いたのはお前だ。責任持って閉じろ」

で、出来るか!!!



話を聞く限り相当の大事のようなのに、蓮二は意外と冷静だ。
そもそもその可能性があったなら何故俺が赤也を鏡から引っ張り出す時に言わないんだ。

「本当なら赤也はあの鏡から出られるわけがなかった。今思うとお前がいたから出れたんだ」
「ちょ…ちょ、ちょ、何言ってんの、蓮二」
「お前は普通じゃない。お前なら閉じれる。頑張れ」

………ま、丸投げしないで!



池の縁を掴む手は、今では半身がこちらに出ている。
押し込むべきか迷って蓮二を見ると、蓮二は少し申し訳なさそうに笑った。

「悪い霊じゃないといいな」
「の、呑気か!」

悪霊だった場合どうすればいいんだ。
俺はどうやら霊力が強いらしいことは分かっているが、除霊のようなことは一切出来ない。
やったこともなければやり方も知らない。

オロオロしてる間に、池から出た霊達はしっかりと屋上庭園の地を踏んだ。

見た目はまだ若い。霊と言われなければ分からないほどくっきりしてるし、敵意は感じない。
俗に言う悪霊がどんな形を取っているのかは知らないが。



「…やった!橘さん!現世ですよ!」

4人のうちの1人、片目が長い前髪で隠れている、まだ少年と言える年頃の霊が、この場に不釣り合いな明るい声を出した。

「神尾、まだ油断はするな」
「そうだよ、ここからが勝負なんだから。まったく神尾は単純なんだよなぁ…いいよなぁ能天気な奴は…」 
橘さんと呼ばれた短い金髪の男が、片目の少年をたしなめる。
その隣でブツブツとぼやく少年は長めの黒髪をさらりと片手で整えた。

「……………」
「……………」

悪い霊には見えない。だが、霊界から脱出を謀るような霊だ。判断出来ない。
蓮二もそう思っているのか、無言だ。

最後に出てきた頭に白いタオルを巻いた男が、一番最初に俺達に気付いた。

「…お前達…誰だ?そっちのお前、人じゃないだろう」

白いタオルの男の声に、他の3人に緊張が走る。
一気にみなぎる敵意に一瞬怯む。
だが蓮二は逆に緊張を解いたように見えた。

「えー、と…俺達は…」
「幸村、悪霊ではないようだ。良かったな」

え、ほんと?
それを聞いて俺も少しほっとして緊張が緩んだ。

4人の霊は未だ緊張感を解かず、敵意に近い眼差しで俺達を睨む。

「質問に答えろ。お前達は何を目的にここにいる?」
「答え次第では殺すけど。でもそっちの奴九十九神の一種だろ、殺すのめんどくさいなぁ…」

悪霊ではないとはいえ人を殺すことは出来るのか。
殺されてはたまらない。

「蓮二が霊界の門が開くって言うから見に来ただけなんだけど、」
「嘘をつくな、ただ見に来たわけじゃないだろう」
「ああ。俺は幸村に門を閉じてもらうために来たんだ」

橘と呼ばれていた男に答えた蓮二の言葉に、俺は硬直した。

「…出来ないんだけど」
「出来るだろう」
「出来るわけあるか!」
「出来ないわけがないんだ」

押し問答が続く。
蓮二はこんな突拍子もないことをさも当然のように言う。

「お前は普通じゃないと言っただろう」

そんなこと言われても。俺はちょっと霊力が強いだけの(それもつい最近そのことを知った)ただの中学生だ。
霊界の門なんてものがほいほいそこらにあることさえ今知ったというのに。



「…彼が門を開閉出来るのは分かった」

俺自身はまったく分かっていないんだが、橘君は納得したように頷いた。

「だが俺達だって生半可な気持ちで現世に戻ったわけじゃない。霊界に押し返そうというのならそれなりの抵抗はさせてもらう」

橘君の言葉を皮切りに、4人の雰囲気が一気に変わった。
それまでの人と変わらないものから一転、まるで猛獣のような敵意が彼らを包む。

「…あ、ああ…」

ゆらりと彼らの背後に現れた気配に、俺は息を飲んだ。



「…ライオンだ!カッコイイ!」
「…幸村、一応向こうは威嚇しているのだから少しは怯んでやれ」

獰猛な動物は好きだ。でもなかなか間近に見る機会はない。
橘君の後ろに感じる気配はまさにライオンのそれだった。

「おいで!おいでーライオン!こっちおいで!ちっちっちっ」

舌を慣らしたり手を叩いたりしてライオンを呼んでみたものの、一向に来ない。
それどころか毒気を抜かれたかのように猛獣のオーラは薄まって、後には橘君達だけが残った。
みんな一様に呆れた顔をしている。

「……………」
「……………」
「……………」
「……………」

沈黙を破ったのは、蓮二の冷静な声だった。

「…見たところ君達は悪霊ではない。悪事を働きに現世に現れたわけでもなさそうだ」
「ああ。俺達はそれぞれ現世にやり残したことがある。それを達成する為に霊界で仲間になって門の突破を目指したんだ」

やり残したこと。
彼らの目には強い意思の力がある。

「…判断は幸村に任せる」
「えぇ〜…そこも俺に投げるの…?」

だが橘君達を霊界に戻すというのはただ事じゃなさそうだ。
先程の異様なオーラからもそれは分かる。
彼らは悪事を働くために現世に来たわけではないと言う。それを信じるかどうか…

「ん〜〜〜…」

信じて彼らを学校の外に解放した場合、一体どうなるのかとか、彼らのやり残したこととは何なのかとか、色々考えなきゃいけないことはある。たぶん。

「ん〜〜〜…」

そもそも彼らを押し返したところで俺が本当に門を閉じれるかも分からないわけで…

「ん〜〜〜………ま、いっか」

考えるのもめんどくさかったから、俺は投げた。



「………ど、どういう意味だ…?」

白タオルが少しうろたえながら聞いてきた。

「よく分かんないけど悪事を働くわけじゃないんでしょ?ならいいよ、どこでも行けば?」
「い、いいのか?」

片目(神尾だっけ?)も表情を輝かせる。

「いいよ。でも悪事を働いた場合はお前達全員魂ごと切り刻んで醤油で和えておにぎりの具にして何も知らない立海の生徒達に食わせるからな」 
「…幸村、気持ち悪いことを大声で言わないでくれ…」

俺はやると言ったらやるので、本気だ。
俺の本気が伝わったのか、4人は少し青ざめている。

「まぁ、幸村はこういう男だ。悪いことは言わないから変なことは考えるな」
「最初から変なことは考えてないって言ってるだろ…しつこいなぁ九十九神は…」
「深司!あまり突っ掛かるな」
「…すんまそん」

4人から敵意が消えて、むしろ友好的な態度に変わった。
橘君は俺に丁寧にお礼を言う。
霊界から脱出なんて大胆な計画を立てた割には随分常識人だ。



「…それより問題はこっちだよ」

俺は池に目をやる。
相変わらず池には細波が立っている。
この調子じゃいつ悪霊が出てくるか分からない。
このままにしておくわけにはいかないだろう。

「どうやって閉じるわけ?」
「俺は封印の印を結んだから出来たが、もうそれだけでは無理だろう」

蓮二に出来ないものを一体どうやれというんだ。

「…封印の呪文があるというのを聞いたことがある」

考えあぐねる俺達に声を掛けたのは橘君だった。まだいたんだ。 
 
「だが誰にでも使えるものじゃないぞ?」
「ああ、だが幸村なら恐らく使える」
「…そうだな、俺もそう思う」

蓮二と橘君は勝手に納得しているが、俺にはさっぱり分からない。

「幸村、呪文を唱えろ」
「は?何て?」
「書いてやる」

蓮二は常に持ち歩いているノートにさらさらと文字を連ねる。
それを横から盗み見て、俺は泣きたくなった。

「そんな厨二病みたいなセリフ言いたくない!」
「我慢しろ。平和のためだ」
「やだ!ぬ〜べ〜先生探してくるから勘弁して!」

蓮二はノートを俺に差し出す。
改めて文章を読んで、俺は更に嫌になった。

「お前がこれを唱えるだけで世界は安泰なんだ」
「何で俺が!?他に霊力強い人いないの!?」
「霊力が強いだけでは駄目なんだ。お前には霊を召喚する力がある」
「い、いらねえー!」
「誰でも出来ることじゃないんだぞ」
「嬉しくねえー!」

蓮二は溜め息をついた。

「幸村…考えてもみろ。お前が一瞬恥ずかしい思いをするだけで、お前は悪霊と戦うという厨二的な行為を回避出来るんだぞ」
「戦う場合も俺!?」
「お前に匹敵する霊力の持ち主はそうそういないんだ」

俺は改めてノートを見る。恥ずかしい。とても恥ずかしい。
でも戦うのも嫌だ。めんどくさい。

一瞬の恥か、一生の恥か。

「……………」

答えは決まっている。

「………分かったよ…」



俺は池の前に立った。
細波はさっきよりも大きくなっているように見える。
橘君達は蓮二が屋上の隅に避難させた。
巻き込まれて門に引き込まれる可能性があるらしい。

本当に出来るんだろうか。
あんな恥ずかしいセリフを言って何も起こらなかったら死にたい。

だがやるしかないんだ。
俺は意を決した。



「………、魔王サタンよ」

あ、やべ、ちょっと吹いちゃった。平気かな。

「余の願い聞き入れ給え。そなたの偉大なる力を持って、死せる魂の集いしこの門に、今永遠の封印を…!」



……………



……………



…やばい、何か起こってくれ…!
この気まずい沈黙、俺マジで死ぬ…!



「………閉じたようだな」

橘君達と一緒に避難していた蓮二がいつの間にか後ろにいた。
え、嘘。これでいいの?地味過ぎ!恥のかき損!
水面はいつの間にか静かになっている。波紋ひとつない。

「…こ、これでいいわけ?」
「とりあえずはな。まぁここが鬼門である事実は変わらないから、またそのうち開く可能性もあるが…」

え…じゃあまた開いた時は…

「幸村がいるからいつ開いても安心だな」

にっこり笑う蓮二が、俺にはまさに悪魔に見えた。






その後、立海は特に変わらない。

「魔王サタンよ…!余の願いを聞き入れ給え!」
「ギャハハハハハハハハ!!!かっけー!幸村君かっけー!」

こっそり様子を窺っていたらしい仁王の物真似のレパートリーに俺が加わった以外は。



ちなみに橘君達は都内の不動峰中を拠点に現世を満喫しているらしい。
 


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