最近、この手軽な媒体が憎らしく思う様になり、便利さ故の落とし穴にハマった自分が嫌になる。
何処に居ても、何処にでも繋がるというのは、便利でもあるし、不便でもある。
新たな出会いはいつか別れを生み、親しくなる事は傷を増やす事にも繋がる。
この世界で、名前を変えても、すぐに分かってしまう。それは相手にとっても同じ事だろうが、誰かに出会うという事は会いたくない相手にも出会うという事。
全てを切ってしまえれば、楽なのに。それが出来ないのは、まだまだ弱いんだろうか。僕から離れた人の事なんて、今更関係ない事だが、別の場所でその後の話を見たりだとか、僕に言った事とは矛盾した事が書かれていたりだとか、やはり目に付けばそれなりのショックはある。
僕の見る目が無かったと言うか。極力この世界で繋がりは持たない様にしようと思う様になった。僕は臆病なまま。
何が本当で、何が嘘か分からなくなってしまった時期もあった。誰かが教えてくれる訳でもない。しがらみにがんじがらめになりながら、自分を肯定する術を探した。
絶対にそうだ、とは言わない。会いに行くと言って、本当に会いに来てくれるのなら、僕は信じてみようとも思えるだろう。何があっても、味方で居てくれるなら、僕は信じてみようとも思えるだろう。僕の我儘でしかないかもしれない。だけど、何も無ければ、こんな我儘も吐かない。
最後に鎖を断ち切るのは自分自身だが、身動き出来ない程に縛られた鎖を少しでも緩めたい。
そんな思いも、我儘の1つに過ぎないのかもしれないが。
よく考えれば、ネットの人間関係に悩みを抱いている、昔の知人に似ている。滑稽なことだ。 2010.09.21 06:23