人と付き合っていく上で、何が正しくて、何が間違いかなんて、明確なものはないのかもしれない。
いつも、人とぶつかってから、あれで良かったんだろうかと考えてしまう。それも、修復困難な場合が多い。
相手に対して、A、B、Cという3つの考えがあるとして、それぞれの態度を取った場合、その後どうなるのかを考える。
それは相手の為になるのか、自分の為になるのか。
恐らく自分の為になる結末を選んで居るんだと思う。
相手の都合のいいようになり、自分が傷付いていくくらいならば、何処かで相手に見切りを付けて、自分の為の選択肢を選んで居ると思う。
それを否定されたり、反論されたりするのは、やはり当然何だろうか。
以前、知り合いの既婚者が居て、あまりに酷い嫁だったから、離婚しようとした。しかし、嫁や嫁家族から多額の慰謝料を請求され、離婚出来なかった。散々、相談に乗ったり、愚痴を聞かされたり、法律を調べたり、弁護士事務所を探したりした僕に対して、「離婚すると面倒だから」の一言で済ませた彼の選択は、『自分の為の選択』と言っていいのだろう。
その選択が彼にとって、正しかったのか間違いだったのかは分からない。選んだ本人にしか分からない。
色々な場面で、選択する事は多々あって、それが成功に繋がったり、後悔に繋がったり、日々それを繰り返して生きていく訳だけれど、どんな時でも、「自分」というものを持たないと、判断に苦しむものなのだなと、改めて思った。
それと同時に、相手の判断に対しても、酷く左右され、動揺してしまうものなんだと。
軸は、絶えず、しっかりと。
2010.09.13 16:20