「仁王ー!」

 くあぁ、と欠伸を噛みしめていた仁王の背中に衝撃が走った。
 抱きつかれた、なんてそんな少女漫画のような花の飛び交う衝撃ではない。タックルされたのだ。

「ぐぇふっ」
「おはよ、仁王」

 仁王は背中を撫でながら、恨めしげな目で背後に立つ少女を睨んだ。
 女がやらかしたとは思えないほど強いタックルの衝撃とはうって変わり、花のような笑顔で仁王に挨拶してきた少女の名は、別所葵という。仁王のクラスメートだ。
 たかがか弱い女子高生にタックルされただけだろう?と、幸村辺りには言われてしまいそうだが、彼女のタックルは普段から背中の丸い仁王がのけぞるほど凄まじいのだ。
 彼女いわく、某アメフト漫画のデルタなんたらという技を使ってるとか。なんでそれを仁王にしかけてくるのかは知らないが。
 いつものようにひりひりする背中をおさえながら、柳生のレーザー背中でうけんのと威力的には大して変わらんな、と仁王は思ってたりする。
 なんにせよ、幸村指導のスパルタ朝練後の疲れた体に、この仕打ちはなんとも辛い。しんどい。

「毎朝毎朝、よくやりおるのお…」
「愛情表現だよ愛情表現」
「もうちょい優しい愛がええ」
「え、だってテニス部の人って幸村君以外みんなMでしょ?」
「なんでそうなる」
「幸村君みたいなドSに文句言わずついていってるから」

 あの魔王に文句なんかいえるわけなかろ、と思ったが、ある意味核心をつかれてるせいか何も言葉は返せなかった。
 色んな疲労でがっくりうなだれてしまった仁王の周りを、葵が心配げにちょろちょろする。
 はあ、とため息をつけば、白い息が宙を泳ぐ。
 十二月に入り、めっきり冷えこんだ。
 こんな時期でも短いスカートをはく女子高生は偉いと、本気で思っている。が、下にジャージやらスウェットやらはくのだけは、男の夢をハンマーで打ち砕いているようなもんだからやめてほしいと仁王は切に思う。
 雪でも降れば部活中止になんのにのお、と考えたが、テニスがやれないと考えるとやはりさびしい。そんな自分は根っからのテニスバカなんだろう、という自覚も一応ある。
 さっきから自分の視界をちょろちょろしている葵の口からも、当然白い息は吐き出されている。
 そんな葵を見下ろした時、ふいに首にリボン巻きされている学校指定のマフラーが目に入った。きゅん、と、なんだか胸がはずむ。
 やばい、かわええ。
 ちょっと鼻の頭が赤いのも、いい。
 そして仁王は眉間に皺を寄せ、自身のマフラーを口元まで引きあげた。
 当然、にやけ顔をごまかすためである。

「ごめん、そんな痛かった?お、怒った…!?」
「お、おお…そうじゃな、ドS幸村のスパルタでぼろぼろだった体の寿命が縮んだのう。泣きそうじゃ」

 都合よく誤解してくれるとこも、またよし。なんて考えを仁王は顔に出したりはしない。
 余裕のないところなんて決して見せず、裏回しに裏回しを重ね、相手を確実に惚れさせてから告白するのが仁王の恋愛戦術だ。
 が、しかし。
 どうも今までのようにうまくっていないという自覚は、ある。
 高校から外部入学してきた葵に惹かれ、アプローチを始めて早一年半がたった。
 仲良くなったという実感はある。
 他の男子より近い自信もある。
 ただ、どうもいかんせん友達としてしか見られていないのだ。
 そんな予期せぬ展開に仁王が困り果ててる内に、葵は仁王を通じテニス部の奴らとまで親しくなってしまった。
 奴らが敵に回ることは、ない。
 それだけは断言できる。仲間の恋愛に横槍を入れるくらいはするかもしれないが、横恋慕するような真似だけは奴らは絶対にしない。
 ただ、仁王が珍しく恋愛に行き詰まっているのを、奴らはとことんネタにする。笑う。からかう。そしてばかにする。
 主に赤い奴と海草な奴と魔王。
 だから嫌じゃったんじゃ、と今ここにいない仲間達を思い出し、仁王の額にわずかながら青筋が浮かんだ。
 そんな腹立ちを払拭し、仁王はあらためて今目の前にいる葵に向き合った。

「で、お詫び、ないんか?」

 と、仁王が尋ねると、

「はい、いつもの朝練おつかれさまのコーヒーとおにぎり」

 と、葵はいつものように、鞄からコンビニの袋をとりだし、仁王に手渡した。

「おうおう、いつもありがたいのー」
「お詫びっていっても、元金はぜんぶ仁王なんだけどね」
「でもおまえさんが買ってきてくれんかったら、俺朝飯なしじゃし」
「ほんと、テニス部レギュラーとは思えないほど健康管理する気ないよね」
「お、今日はおかかじゃ」
「ツナマヨなかったんだもん」

 じゃあまた教室でねーと、美化委員のため走っていってしまった葵の背に、仁王はひらひらと手をふった。
 こうやって、朝必ず交流がとれるようにしたのも仁王の策略だ。
 ずいぶん前、いつものように幸村のスパルタ朝練のせいで机に突っ伏し死にそうになっていた仁王に葵が話しかけてきたのがはじまりだった。
 ちゃんと朝ご飯食べてるの?と葵が尋ねてきて、仁王は食べてないと答えた。
 何でだと憤慨する葵に、仁王は朝に弱い母親が朝起きれないと説明した。母親の顔を立てるため、代わりに食パンやフレークが用意されているが、正直食べる時間がないとも付け加えた。
 その次の日のことだ。
 朝練を終えた仁王に、葵がコンビニで購入したおにぎりとスポーツドリンクを差し入れてくれたのは。
 あの時、仁王は内心死ぬほど喜んだ。
 当然表情には出さなかったが、心の底から嬉しかった。
 その時だ。
 葵に毎朝自分の朝食を差し入れてもらおう、と閃いたのは。

 その次の日、仁王は葵に昨日もらった朝食代だと金の入った封筒を渡した。
 別にいいのに、と押し返そうとする葵に中を確認するよう促し、葵も封筒の中を覗きこんだ。
 その直後の葵の混乱ぶりは、それはそれは素晴らしかった。
 何で諭吉!?
 何でいちまん!?
 わたわたする葵をなだめ、仁王はこの金で明日からも朝食を買ってほしいと頼みこんだ。
 それまで朝食をとっていなかったことは棚に上げ、いかに朝食がスポーツ選手に必要なものか、いかに幸村が厳しく朝時間がとれないくて辛いかを仁王はつらつらと語った。
 それはもうオーバーなまでに感情をこめて。
 そんな仁王のお涙頂戴つくり話に簡単にひっかかった葵は、涙をおさえながら、私明日からも朝食買ってくるよ!だから諦めないで!と仁王の朝食を買うというパシリ行為を快諾してしまったのだ。
 実際、話する機会を増やしたかっただけで朝食はどっちでもええがの、と仁王はおにぎりをほおばりながら思った。
 話す機会が増えたのに、未だ恋愛的展開に持っていけないのが正直痛いが。

「(…………それにしても、)」

 体当たりじゃなくて抱きついてくれたらいいのに、なんて軽口でもいえるわけがなかった。
 俺も青くさい高校生だったんじゃな、なんて嬉しいような情けないような、あまり馴染みのない感覚に仁王はひたる。
 そんな暖かい気持ちに包まれた、次の瞬間、

「で、彼女の差し入れで体力は回復したかい?ドS幸村のスパルタでぼろぼろな仁王くん」

 肩にぽん、と手が置かれた。
 氷点下のブリザードの中、仁王は顔を青く染めぎぎぎぎぎ、と壊れたおもちゃのように振り向いた。
 その目前には、きらめく笑顔の幸村。
 あ、死んだわ、俺、と仁王は一瞬にして自らの運命を悟った。
 仁王の肩は跳びはね、悪あがきに脱兎のごとく逃げ出してみるも、まもなく捕まったのは言うまでもない。

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