「やっぱり、楽しそうだなぁ」

 仁王の姉が退院してから、冬は冷え込みを増した。
 海岸が近いこの学校では、都心よりまたさらに海風が体を冷やす。
 そんな冬の凍てつくような空気の中でも、強豪立海の男子テニス部コートの熱気は衰えることがない。
 マフラーをぐるぐるに巻き、右と左のポケットにホカロンを常備している葵は、まっすぐ帰宅せずになんとなくテニスコートの方へやってきてしまった。
 あの熱気を、たまに羨ましく思う。
 運動部独特のあの情熱や闘争心、向上心は、そこに属した経験のある者にしか持てない。
 立海の男子テニス部はその中でもそれが顕著だ。
 その栄光の元に、毎年四月の体験入部期間頃には大量に新入部員がこのテニスコートに集う。
 しかしその大半は夏までに消え、更には新入生に限らず、中学時代から在籍していたはずの部員が部活から姿を消すこともしばしば。
 それほどまでにテニス部は過酷で、だからこそ留まり続けている部員達の立海男子テニス部の部員としての誇りは、熱意は凄まじい。
 本心をなかなか表に見せないといわれている仁王でさえ、いざ立海の看板を背負いコートに立つ時には、そのプライドの片鱗を垣間見せる。
 その仁王雅治の矛盾が、彼の魅力のひとつだと思う。

「あ、別所先輩」

 ちーす!と背後から駆け寄ってきたのは、仁王の後輩である赤也だ。
 あれ、部活は?と問うと、遅刻した罰則で外周行ってたんスよ、と何の落ち度もなかったかのような笑顔で答えてきた。おそらく赤也の遅刻癖はこれからも治らないだろう。

「にお先輩に何か用事っスか?」
「ううん、ちょっと見学してただけだよ。みんな相変わらず凄いなぁってね」
「そりゃー俺達っスからね!トーゼン!」
「うんうん」

 にお先輩今あっちで試合してるんスよ!と、赤也にぐいぐい腕を引かれ、なりゆきで奥のコート近くのフェンス前まで来てしまった。
 近くにきてしまったのだから、と中を見れば、銀髪の背中の向こうに見えるのはどうやら柳生のようだ。
 ふたりはシングルスの練習試合をしているらしく、普段の練習の時には誰も座らない審判席に丸井が座っている。他の部員達も試合をやっているらしく、きっと今日はそういう練習メニューなんだろう、と納得がいった。
 そういえば、今日は一日仁王の機嫌がどことなくいいように感じた。
 きっと今日は通常トレーニングではなく試合ができると事前に知っていたからだろうな、と、また納得する。

「ほらほら、アレにお先輩!今柳生先輩と試合中の!」
「目立つからすぐわかるよ、ちょっと姿勢悪いとことか、何より目立つあの銀髪とか」
「まぁそれもそうっスよね。試合はっと、えーと…あ、今4-4みたいっス」
「今のとこ互角?」
「あの詐欺師ペア、結構実力拮抗してますからねー」
「へえ、そうなんだ」
「あ、にお先輩のメテオドライブ!」
「え、わ!すごい!」

 みるみる試合は展開していく。
 赤也の解説いわく、ふたりの試合は五手先十手先を読む、かなりの心理戦状態に突入しているようだ。テニス部とは親しくても、ルールさえよくわからないテニス素人の自分にはよくわからないものの、そんな素人目にも、ふたりが、そして立海テニス部が凄まじい実力者揃いだというのは感じ取れる。
 すごいなぁ、と感心しながら、再び仁王を集中的に眺めてみた。
 楽しそうにラケットを振る後ろ姿は、近頃の具合の悪さを思わせない。
 そんな仁王の姿を見て、よかった、と、葵は思わず胸を撫でおろした。
 体いっぱいに喜びをまとってテニスをする仁王は自分の知る仁王そのもので、あの時のような違和感はまったく感じられない。
 赤也も当然部活に戻らなければいけないし、正直なことをいってしまえばただ見ているだけでは寒いし、安心もしたことだからそろそろ帰るか、と思い、テニスコートに背を向けた、
 その時、





「葵!」





 自分を呼び止めてきたその声に、思わず足を止めた。
 それと同時に、横に立っていた赤也をはじめとしたテニス部部員達の視線が、一斉に彼に向く。
 今、私を呼んだのは、誰。
 声だけでも誰かなんてわかるに決まってる。でも、それはありえない。彼が試合の最中に、試合と無関係なことを気にかけるわけがない。
 なのに、
 ラリーの音が、聞こえない。

「………え…?」

 恐る恐る、声が聞こえてきた方向に、振り向いた。
 強い北風に、首に巻いていたマフラーが大きくたなびく。
 向こうに立つ、眉間に皺を寄せた幸村の肩で、ジャージが揺れる。
 ネットが、揺れる。
 あの銀髪が、揺れる。

「……………みつけた」

 どうしてこっちを向いてるの、とか、試合はどうしたの、とか、なんで名前、とか、言いたいことは山ほどあるのに、喉の奥でくすぶり消えてしまう。
 隣に立っていた赤也からも、戸惑いの色がひしひしと伝わってくる。
 誰もが戸惑いを隠せない中、ネットに背を向け立っている仁王は、さらなる奇行に走った。
 はじめは焦点が合わない虚ろな目をしていたのに、その目はみるみる奇妙な輝きを取り戻していく。焦げそうなほど熱い視線の焦点は、確実に自分に合わせられていく。
 仁王から、一時も目が離せなくなる。
 喉に唾が溜まっていくも、張り詰めた空気のせいか飲み込むことすらできない。
 そして、風の吹く中、目を大きく見開いた仁王は、





 ラケットを、投げ捨てた。





「……に、おー…?」

 仁王のその行動に、その場にいる誰もが言葉を失った。
 何より、対戦相手であるはずの柳生がネットの向こうで一番愕然としているように見える。
 打ち返されなかったボールがコートを転がっていく。
 が、そんなことは我関せずと言うように、仁王はその全てに一瞥も向けず、葵のいるネットの側まで駆け寄ってきた。
 がしゃん、と仁王の手が目の前のフェンスを掴む。
 フェンスをはさみ、仁王と自分の顔がぎりぎりまで近づく。
 ひるむ自分を気にかけることもなく、仁王は幸せそうに顔をほころばせる。
 視線と視線が交じり合うのに、仁王を近くに感じられない。
 あの違和感が、よみがえる。

「ようやくみつけた」
「に、仁王?」
「ようやく会えた。待ってたんじゃ、ずっと」
「仁王…!?な、に、言って、」
「かえろ、葵」
「何、してるの、仁王…ほら、柳生君との試合中、だよ?」

 どうにか平常心を保とうとしても、声が揺らいでしまう。
 会話が、成立しない。
 仁王はこれ以上の至福はないと言わんばかりに、うっとりと恍惚とした表情でこちらを見つめるばかりで、葵の言葉や周囲の反応など気にかける様子もない。ただただ、愛おしそうに葵を見つめる。
 横に立つ赤也も、コートの中にいる柳生も、隣のコートで試合をしていた丸井とジャッカルも、部室から出てきたばかりのような幸村も、目を皿にして呆然と仁王を見つめている。
 今、目の前で起きてるこの光景は、一体何?
 どうして、仁王は今目の前にいるの?
 さっきまであんなに楽しそうにテニスをしていたのに?
 仁王雅治は、テニスがだいすきで、テニス部の皆がだいすきなんでしょう?知ってるよ、いつもなんだかんだ言いながら、凄く真面目にテニスに取り掛かってること。テニス部の皆を大切にしてること。
 ねえ、仁王。私の言葉、ちゃんと届いてるの?ねえ、仁王。どうしたの?
 仁王雅治は、私を名前で呼んだりしないでしょう?

 ねえ、仁王。仁王、仁王、






「―――――っ仁王!!!!」





 フェンスにかかった仁王の指を握り締め、叫んだ。
 酷い金切り声になってしまったけれど、とにかく仁王に届いて欲しかったから。叫んだ。近くを通り過ぎた野球部の面々から好奇の目を向けられたけれど、気にもならなかった。目の前の仁王だけをただ見つめて、叫んだ。 どれくらい時間が過ぎただろう。
 一瞬かもしれない。数十秒も数分間も過ぎていたのかもしれない。
 別所先輩、と、横に立っていた赤也が呟いたその瞬間、仁王の表情に、纏う空気に、変化が現れた。
 葵にのみ焦点が合わされていた目が揺らぎ、ぼやけ、また焦点が戻っていく。
 口元から笑みは消え、きつくフェンスを握り締めていた指から力が抜けていく。
 次の瞬間、

「……………え?」

 我にかえった、という表現が最もしっくり当て嵌まるだろう。突然ハッとしたような表情を見せた仁王は、バッとフェンスから指を外して後ずさり、現状を把握しようと周囲をキョロキョロと見渡した。
 そして、周囲の注目を一身に受けている事に気がついたのだろう、その時の仁王は、これまで見たことがない程狼狽していた。
 最後に背後を振り向いて、仁王はネットを挟んだ向こう側に立ち尽くす柳生にようやく気がついたらしい。

「や、ぎゅ……う……?」
「………………仁王く、」
「………あ、試合は!?」

 試合を放棄したのは仁王の方なのに、仁王本人は試合はどうしたんだと眉をひそめ首を傾げる。
 実際に柳生は右手にラケットを持ったままなのに対し、仁王はラケットすら握っていない。先程投げ捨てられた仁王のラケットは、今もコートの隅の方に横たわっている。
 明らかに様子のおかしい仁王に、誰ひとりとして反応を返してやれない。後輩の中では顔を青く染め、幽霊の類のものを見たかのような、不気味なものを見てしまった、といった色を全面に出している者もいる。
 コートの中ひとりうろたえる仁王に、誰も言葉をかけてやれない。
 そんな時だった。

「何をやっている、仁王!!!!」

 空気を一文字に切り裂くような怒声に、その場にいた者全員の肩が跳ねた。
 誰もがその声の持ち主を分かっていながら、声が聞こえた方を振り向く。
 案の定その視線の集まる先に立っていたのは、怒りで耳や首まで真っ赤に染め上げた鬼の副部長、真田弦一郎そのものだった。どうやら部室内で幹部ミーティングをしていたらしく、今初めてこの現状に気がついたようだ。部室の扉前で怒鳴る真田に、すぐ近くにいた幸村が軽くこれまでの経緯を説明した。それを聞き、仁王本人の目がみるみる丸くなっていく。
 幸村の説明を聞き終えた真田は、つかつかと大股で部室前から仁王の前へと歩みを進める。誰もが次に起こる事の想像がついた。
 そしてその想像通り、大きく振り上げられた真田の手は、平手とは思えない程の衝撃音を伴い仁王の左頬をはたき飛ばした。

「今、言い訳はいらん」

 怒りを押し殺した、静かな声だった。
 葵のいる場所から、今仁王の表情は見えない。

「話は後日聞く。だが今のお前は他の部員の邪魔にしかならん。直ぐに帰れ」

 何か言いたげに仁王の体が一瞬前のめりに傾いた。が、それをぐっと堪えるような仕種を見せてすぐ、仁王はラケットを拾い上げコート内から走り去っていってしまった。
 それからすぐ戻ってきた三強がてきぱきと部員達に指示を出し、僅かな違和感を残したまま部員達は再び各自の練習を再開した。

「……………」
「あ、あの…別所先輩…」

 横に立つ赤也が励まそうとしてくれているのだろう、一生懸命何かを言おうとしているが、どういう言葉を選べばいいのか口をもごつかせている。
 葵も言葉が見つからない。
 仁王が走り去った時、一瞬その後を追うべきか迷った。でも追ったところで何を言えばいいかわからず、むしろ仁王を傷つけてしまうと思ったから、追わなかった。
 結局ふたりの間に会話はうまれず、少しずつ賑わいを取り戻しているコート内がそれを引き立てる。

「赤也、別所さん」

 突然近くから聞こえた声に、ふたり揃って顔を上げた。
 いつの間にすぐそこに来たのだろうか、ついさっきまで仁王がその場所に、笑顔をたたえた幸村が立っていた。

「幸、村…部長……」
「ここは俺に任せて、赤也も早く練習に戻って。大丈夫だから」

 そう言われた赤也は困った表情で葵と幸村を見比べ、別所先輩すみません、と、直角に頭を下げ、フェンスの中へと走っていった。
 その背中を見送りながら、赤也が謝る必要は何もないと、強く思った。むしろ、こんな状況でなお葵を励まそうとしてくれた彼には、葵の方こそ頭を下げ礼を言うべきだというのに。

「別所さん」

 ふわりと柔らかい口調で、幸村が再び葵の名を呼んだ。
 フェンスの向こう側に立つ幸村は、少し眉を下げているも笑顔だ。

「話がしたいんだ。よかったら今日俺と一緒に帰らない?」
「話…?」

 あ、ちなみにナンパじゃないから安心してね、と、肩をすくめながら大げさなまでのリアクションを取る幸村をみて、葵も少しだけ気分が浮上する。
 うん、と頷くと、よかったー!と、ふにゃりと笑顔になった幸村に笑顔を返しながら、幸村の言った、話、という単語が、どこか胸につかえたままだったことに、気づかないわけではなかった。


□□□□


 立海から駅までは、横幅の広い石畳の道を徒歩二十分、ひたすらすぐ脇にある海の波の音を聞きながら歩かなければならない。そして海を背に商店街に入り、またひたすら歩くとようやく駅に辿り着ける。
 計三十分。
 それまでの電車時間などを考えれば、自宅から学校まで一時間以上かかる生徒が立海では九割をも占めている。葵もその九割に当てはまるので、それなりに遠いな、と、朝が憂鬱になることも少なくない。
 それを考慮してか駅から直通バスが出ていて、髪型が乱れるなどの理由から、それを利用する女子もそれなりに数多くいる。
 でも、葵はバスを使用するより、強い風の吹く徒歩三十分かかる、そんな海沿いの通学路がとてもすきだ。
 海風で髪が傷むとかそんなことより、学校に行くこの道程を、この青々と輝く海を眺めながら歩けることが幸せだと、そう思う。きっとこの先ここを離れても、高校生といわれれば間違いなくこの海を思い出す。友達と話しながら歩いた晴れの日。海風に煽られ必死に傘を掴み歩いた雨の日。そんな日々が、いつか将来の自分を励ます素敵な思い出になる。そう、信じている。
 そしてきっと、こうやって幸村とこの道を歩いた今日のことも、懐かしいと思い出す日か来るのだろう。そう思った。

「夏はいいけど、冬の海辺はやっぱり寒いね」

 ずっと肩を並べて会話もなく歩いていたが、街頭に明かりが灯ったと同時に、幸村が口を開いた。

「うん。でも去年の今頃に真田君、こんな時期なのに半袖半ズボンで砂浜ランニングしてたよ」
「あれはまたちょっと特殊な例だよ。寒風摩擦にしたってやりすぎだ、付き合わされた赤也は風邪ひいたしね」
「あははは、想像つくなぁ」
「………うん」
「……………」

 会話が途切れる。すぐ横の道路を車が通過する音と、ふたりが歩く音、波の音がふたりの間を流れていく。マフラーが冬の冷たい風に煽られなびき、その分寒さが身に染みる気がした。
 分かっている。違う。幸村はこんなことが話したくて自分を帰路に誘ったわけじゃない。
 一度息を吸い直し、意を決し、話を切り出した。

「…………仁王、疲れてるのかな」

 仁王、と、その言葉を口にしただけで、ついさっきの光景がフラッシュバックする。
 目を輝かせテニスをする仁王。ラケットを投げ捨てた仁王。葵を真っ直ぐ見つめる仁王。困惑した表情を見せた仁王。そして、走り去っていく仁王の背中。

「別所さんはどうしてそう思う?」

 試すような口調で幸村は問い返してきた。その言葉を受け、改めて考えを頭の中で順に整理していく。ここ最近の仁王の様子と、今日の仁王を。
 葵が幸村の問いに対する返答を考えている間、幸村は返答を急かすようなことは決してしなかった。そして幸村に問い掛けられてから五メートルほど進んだ時、葵はようやく口を開いた。

「最近教室でも頻繁に寝ててね、柳生君も部室で前よりよく寝てるって言ってて…よく頭痛いっていってたし…目の下のクマとか、前はめったになかったから…」
「そっか、やっぱり教室でも寝てるのか」
「ということは、やっぱり部室でも寝てるの?」
「俺や真田や蓮二が残って部誌を書いてる時とかもさ、よく着替え途中みたいな格好でベンチで寝てるんだよ、最近」
「…………どこか悪いのかな」

 話すにつれ、近頃の仁王の異常が浮き彫りになってくる。
 近頃の体調の異変が、今日のあの仁王の不可解な行動と無関係とは到底思えない。何か、自分にはわからないけれど、確実に関係性がある。
 近頃の仁王の体調については心配こそしていたものの、まさかこんな出来事に発展するなんて考えもしなかった。こんな事になるならば、もっと気にかけていればよかった。そんな後悔が過ぎる。
 でも、

「でも別所さん、今日起きたあの出来事…どう思う?」

 まるで葵が考えていた事を読んでいたかのように、幸村がゆったりとした口調で問い掛けてくる。
 その言葉を聞いて、先程から幸村は敢えて混乱しきっている葵の考えの整理の補助に回ってくれているのでは、と、ふと考えた。
 強いて言うならば、幸村は幸村で出した結論があり、それを葵の考えをまとめる事で答え合わせをしているような、そんな印象だ。
 でも、例え利用されているとしても、頭が混乱しきっている今の葵には、それが救いのように感じられた。
 そして、ぽつりぽつりと言葉を吐き出していく。

「体調が悪い、とか…そういうことから、あんな変な行動は…起こさないと思う。仁王なら、なおさら」
「うん、そうだね」

 仁王は、自分を隠すことに人一倍長けた男だ。
 必要とあらば感情でも体調でも煙りに巻くようにひた隠し、それを決して表に出さない。
 だからこその、違和感。

「なんだか……仁王じゃないみたい、だった」

 頭の中に、ふたつの仁王の姿がちらつく。
 葵がコートにやってきたばかりの時みた、白い息を吐きながらも目を輝かせボールを追いかける、仁王。
 それに対し、柳生との試合を放棄し、ラケットを放り投げ葵の元に走ってきた、仁王。
 あんな仁王を、葵は知らない。
 ラケットを握りしめ、心底楽しそうに口元をゆるめ、ボールを追いかける仁王しか、葵は知らない。
 仁王の二面性なんて、もうそんな簡単な問題に思えなくなった。
 あの知らない仁王が表に出てくるたび、それまで仁王が築き上げた[仁王雅治]というアイデンティティーが、みるみる崩されていくような気さえしてきた。

「あいつ、なんだかんだでテニス、大すきだからね」

 少しはにかみながらそういった幸村に、葵も頷いた。
 不真面目でも、サボり症でも、仁王がテニスを、テニス部の面子をすきなのは仁王と親交のある人物なら誰でも知っていることだ。

「別所さん」

 ふと、幸村が立ち止まった。
 葵も足を止め、振り向く。
 薄暗い空の下、海に沿って真っ直ぐ続いているレンガ畳の遊歩道には自分達以外の姿はない。
 幸村との距離、二メートル。
 街頭に照らされた幸村の顔は、これまでコートですら見たことがないほど真剣で、深刻で。そんな幸村の口から出てきたのは、今までの葵の考えを補助するようなものではない、本当の『問い掛け』だった。




「―――――『仁王雅治』がどこかおかしいと、君は思わないかい?」




 その幸村のたったひと言が、なぜか深く胸に突き刺さる。
 それに対する葵が選べる回答は、幸村が出した結論を認めるものであり、葵が今出そうとしている結論を認めてしまうものだけ。でも、直視したくない現実。
 それは確実に、何かの異変を、不審を、違和感を認めることとなる問いだった。

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