「におうー?」

 四限終了のチャイムが鳴ったと同時に、校舎中がどっと賑わい始め、学食の席取り戦争に参加するのであろう生徒達が廊下を駆け抜けていく。
 葵も数Uの教科書類を机にしまい、ブランケットを片手に鞄を肩に引っかけ、席をたち窓際へと目を向けた。
 目的のその人物の頭は完全に机に伏せられていて、ちょこんと結われたしっぽのような襟足は寝息に合わせてゆらゆら揺れている。
 あれ、寝てたのかな、と、少なからず驚いた。
 仁王は古典やら音楽やらの時間こそよく居眠りしているものの、彼の得意科目である数学や物理の時間に寝ていることはめったにない。幸村による特別メニューが実施された翌日以外はほぼ100パーセント起きている。
 体調でも悪いのかな、と自分も昼ご飯の用意をしながらその背中を眺めていた、その時、

「にーおせーんぱいっ!ご飯食べましょー!」
「今日も俺の天っ才的な戦利品の数々を拝ませてやるぜい!」

 ただでさえ昼時で騒がしい教室に、それを遥かに超えるうるささのふたりが勢いよく飛び込んできた。もうその騒がしさに慣れきっているらしいジャッカルも、何事もなかったかのように彼らの後ろから教室に入ってくる。

「あ、切原君に丸井君、それに桑原君も」
「別所先輩久しぶりっス!」
「三人揃ってうちの教室に来るなんて珍しいね、今日はどうしたの?」
「いつもだったら今日どこで食べるか四限には返信くんのに、今日に限って返信こねーからこっちから出向いたんだよ」

 そこで寝てる白髪な、と、両手いっぱいにパンやらおにぎりやらコンビニ弁当やらを抱えた丸井が、いまだ眠り続ける仁王を顎でさす。丸井の腕の中から溢れ床に落ちたパンを、ジャッカルが何も言わず拾い、彼の腕の中に戻した。さすが五年近くペアを組んでいるだけのことはある。
 同じくビニール袋を片手に下げた赤也が、眠り続ける仁王の背後に立ち、にお先輩ー?なんて呼びかけながら、仁王の背中を揺らすが、やはり仁王が目覚める気配は微塵もない。

「ひ、人の気配に恐ろしいほど敏感なにお先輩が、こんなされても起きないなんて…!」
「今なら顔に落書きしても起きないんじゃね?そいつ」
「おいおい、仁王疲れてんじゃねーの?お前ら起こしてやるなよ」
「桑原君、やっぱりいい人だねぇ…」

 はかなく微笑むジャッカルの姿からは、どことなく彼の日常においての苦労が滲み出ているように感じられた。
 あくまで自分の知っている範囲に限るも、あれだけ色物揃いのテニス部で、フォローに徹しつづけるその忍耐と、フォロー技術は本当に尊敬の一文字しか浮かばない。

「んじゃ、今日はここって事にしちゃいましょーよ。今からまた移動すんのもめんどいですし」
「まあそーだな、じゃあこの辺の奴いないっぽいし席借りるか」

 案の定、丸井と赤也のふたりが、仁王の周辺の席を勝手に掴み、がたがたと乱暴に移動させ始めた。
 葵はその席の人達が昼休み中食堂に行っていて帰って来ないことを知っているが、もし購買に行っているだけですぐに戻ってきたりしたらどうするつもりなのだろう、と思ったが、すぐに平謝りするジャッカルの姿を思い浮かべられた。不憫すぎる。

「別所もそこつったってないでよぉー折角だし一緒に食おうぜ」
「え、私?」
「そうっスよ別所先輩!こっちこっち」
「あ、別所…もしここの奴ら帰ってきた時、お前いてくれたら説明しやすいしよ…こっちいてくれねえか?」

 えっと、と、普段一緒に昼食をとっている友人達の方を振り向くと、丸井と切原の大声のおかげか現状を把握してるのか、こっちにひらひらと手を振ると教室を出ていってしまった。どうやらオーケーが出たらしい。
 それを見てた丸井が、ほら早く!と急かし、葵も慌てて鞄を引っつかみ、丸井が座る後ろの、仁王から見た斜め後ろな席に腰かけた。
 仁王はこれだけ周囲が騒がしいにも関わらず、相変わらず机にもたげたまま眠り続けている。

「よっしゃ!んじゃ、いっただっきまーす!」

 意気揚々と手を合わせ、真っ先に食事を始めたのはやっぱりというか、当然というか、丸井だった。
 丸井の目の前の机に山のように積まれた食料は、辛うじて崩れないでいるものの、いつ床になだれてもおかしくない。あの分量が丸井の小柄な体に全て納まり、かつ消費されると考えると、もはや一種のマジックのようにすら思えてしまう。

「でも仁王、本当に起きないね」
「ふぉふぁふぉふぁふぁんふぁひふぇふんふぁふぁいふぁ?」
「こらブン太!口にんな物詰め込んだ挙げ句に喋んじゃねえ!」
「ちょ、先輩汚いっスよ」
「ふぉまえふぃふれ…ふう、お前失礼だぞ」
「…今さ、丸井君すごい量いっきに飲み込まなかった?」
「あ、まる先輩は食に対しての体の構造おかしいんで気にしない方がいいっスよ」
「あ〜か〜や〜!」
「いででででっ!ちょ、ぎぶ!」

 丸井がぎりぎりと腕で赤也の首をホールドすれば、当然ながら赤也は断末魔の如く悲鳴をあげる。
 騒ぐ赤也を気にかける事なく、葵とジャッカルは反射的にふたり揃って仁王の方を向いた。が、やはり仁王は起きない。
 赤也の首から腕を外した丸井も葵とジャッカルの様子に気づき仁王に目を向け、眉根を寄せ首を傾げる。

「なんかほんっと気持ち悪ぃぐらい起きねーな、仁王の奴」
「ほんと、睡眠薬でも盛られたかってぐらい寝てますよね…うりゃっ」
「ちょ、おい赤也」
「き、切原君…」

 掛け声と共に赤也が引っ張ったのは、仁王のトレードマークとも言える襟足の部分だ。そこまで力は入れていないようだが、仁王にちょっかいを仕掛けるという無謀な行為自体に冷や汗が出てきた。
 が、それでも仁王が起きる気配はまるでない。
 葵もジャッカルも丸井も首を傾げる中、しめた、と言わんばかりに口角を上げた男がひとりいた。

「ね、別所先輩」

 上半身を前へと乗り出し、眠る仁王の真上で赤也がにたりと笑う。

「ん?なーに?」
「実は内緒の話なんスけど、俺の知ってる人でずーっとある女子に片思いしてる人がいるんっスよ」
「お、おい赤也…!?」

 なぜかジャッカルの顔がみるみる青ざめていく。止めようか止めまいか宙を泳ぐ手も、どこか痛々しさすら痛々しさを感じる。
 意気揚々と面白げに語る赤也とそんなジャッカルの様子を見た途端、葵は感づいてしまった。
 赤也が話している知っている人とは、十中八九ジャッカルのことだろうということに。

「(く、桑原君の恋愛相談を私なんかが聞いていいのだろうか…!)」
「(いい加減にお先輩の気持ちに気づいてもいいよなー)俺はいっそのこともう告白して、そっからがんがん攻めていきゃいいと思うんスけどねーまる先輩もそう思いません?」
「(ああ、仁王の話か)ま、確かにいつまでも進展ねぇのも見てて飽きてくんな」
「お、おいお前ら…!」
 それでテニス部総出で応援してるんスけどほんっと奥手でー!と、赤也のトークは止まらない。
 内緒話をしている自覚がないのだろうか、はたまた元より周知の事実にしてしまうつもりなのか、ヒートアップし続ける赤也の声量はそれなりのもので、先程から女子が誰の恋愛話をしているのか必死に盗み聞きしようとしているのが視界の端に見える。
 葵は狼狽えるジャッカルと、食べる事が第一で話題にそこまで興味を抱いていない丸井に挟まれ、赤也の話を流し聞きながら赤也を止めるべきかどうか迷っていた。
 が、次の瞬間、

「あだぁっ!?」

 悲鳴と共に赤也がのけ反った。
 それと同時に、それまで机に伏せていた仁王の頭が起き上がっていて、ふたりとも眉間に皺を寄せ赤也は顎を、仁王は頭を押さえている。
 どうやら、目を覚ました仁王の頭が赤也の顎にぶつかったようだ。

「………なんか、頭痛いナリ」

 痛いのは俺の方っス!と、涙目の赤也が訴えるも、仁王はそれを華麗にスルーし、ブン太俺の昼飯、と、丸井に腕を突き出した。
 ほい、と、丸井は机の上に積まれた食料の山の中から、ぽんぽんと無造作にパンを選び出すと仁王に投げて寄越した。

「大丈夫?」
「んー」

 まだ眠たいのだろう、切れ長の目は今にもまた閉じてしまいそうで、うつらうつらと舟漕いでいる。眠たげなその様子すらどこか色っぽいのは仁王だから仕方ないことなのだが、近くにいる女子の控えめながらはしゃぐ声に囲まれる事に葵はいまだ慣れる事ができていない。
 そんな葵に反し、仁王をはじめとした男テニレギュラー陣は、まるで聞こえていないのかと思える程そんな黄色い声を無視する。中学の頃から慣れきっているのだろうが、まるでトップアイドルのようなその風格にはある意味尊敬の念を抱かずにはいられない。

「で、何の話してたんじゃ?」

 考え込んでいた葵の注意を引くように、葵のカーディガンをくい、と引き、仁王が尋ねてきた。
 仁王のその言葉に、仁王の前の席に座っていた赤也の顔色がみるみる悪くなっていく。それより週末の青学との練習試合なんスけどーと、誰が見ても明らかに話題を逸らそうとする赤也の露骨さに丸井とジャッカルは溜め息をついた。
 が、そもそも誰に関しての話題なのかを勘違いしている葵に、今現在赤也にどんな危機が迫っているのかわかるわけもなく。むしろ、こういう話こそ仁王に相談するべきだろうと、一応ジャッカルに気を使い仁王の耳元を手で覆い、ひそひそと『葵の解釈』を仁王に伝えた。

「桑原君の恋愛相談、みんなでしてたんだよ」
「は?」
「だからね、仁王が起きるまで桑原君の恋愛相談してたんだ」

 再度そう伝えると、仁王は一旦考え込むように顎に手を当て眉根を寄せ、そしてそのままジャッカルに視線を向ける。

「ジャッカル恋してるんか?」
「んな訳ねぇだろ!」
「え?」
「…………なーる」

 半分閉じかかった瞼の奥の仁王の瞳がきらりと光る。
 首を傾げる葵を余所に、自分が寝ている間の事の推測がついたらしい仁王は、今もまだ一心に目を泳がせている赤也の肩に、ぽんと手を置いた。

「赤也」
「え、えーっとぉ…」
「おまえさんの彼女…なんつったかのう、蓮夏ちゃんじゃっけ?」
「え」
「ああ、蓮夏ちゃん」

 突然話題にあがった蓮夏とは、葵も面識がある。
 中学の卒業式から今日まで一年近く赤也の彼女をしている蓮夏は、竹を割ったような性格をした爽やかな女の子だ。目上の人間への礼儀もしっかりしているからテニス部部員達にも可愛がられていて、葵も蓮夏には好感を持っている。
 仁王は赤也の表情が険しくなったのを確認してから、にやりと口角を釣り上げ、

「今日のこと、しぃーっかり覚えときんしゃい」

 と、いい放ち、静かに笑った。

「え、いや、ちょ、蓮夏に何吹き込むつもりっスか、にお先輩!?」
「ははは」
「にお先輩ぃぃぃぃい!?」

 悲鳴をあげ青ざめる赤也を、仁王と丸井とジャッカルの三人が囲い、自業自得だとけらけらと大爆笑した。
 可哀相とも思いつつ、やっぱり人の恋愛沙汰を本人がいる前でからかうように大声で語ったりしていたから自業自得かな、と葵が考えていたその矢先、突然教室の入口付近の女子が小さく甲高い悲鳴をあげた。

「やあ、楽しそうだね」
「あ、部長!」

 廊下まで声が聞こえたよ、といいながら笑顔で教室の入口に現れたのは、恐らくこの学校内で最も有名人であろう三人組だった。
 目を輝かせる者や一歩足を引く者、噂話を始める者と教室内は丸井達がやって来た時以上に騒がしくなる。が、幸村達はそんな三者三様な反応を気にかける様子もなく悠然と立っている。もはや同学の男子とは思えないな、と、葵はひそかに思った。

「げ、副部長まで…」
「失礼だな赤也、俺もいるぞ」
「や、柳先輩!」

 普段から三人で昼食を取っているからね、と笑う幸村の笑顔に教室内にいる女子の顔が赤く染め上がる。わざわざ入口から動かないところを見るとわざとやっているような気もしなくないが、ここで敢えて幸村にそれを進言する勇者はいない。
 そんな時、三人の後ろから失礼します、と聞き覚えのある声が聞こえ、馴染みのある顔が三人の横を通り抜け教室に入ってきた。

「おや、皆さんお揃いでどうかなさったんですか?」
「あ、柳生君」
「おまえさんまでどしたん」
「仁王君にお貸ししていた辞書を返してもらいに来たんですよ。返しに来ると言いながら全く来る様子がなかったので、仕方なくこちらから出向きました」

 教室の入口に立つ三人の後ろから顔を覗かせた柳生は、君はいつもそうなんですから、と非難めいた口調でそう付け足すと、仁王をじとりと睨みつけた。
 あ、と声をもらした仁王を見る限り、どうやら返しに行くと言ったことを今の今まで忘れていたようだ。
 それを目ざとく聞き付けた真田が大股でこちらに踏み出しながら怒鳴ると同時に、各々がぎゃいのぎゃいのと雑談を始め、場は今まで以上の騒がしさを見せ始めた。

「すごいね、男テニレギュラー全員勢揃いしちゃった」

 普段はコート周辺でしか揃わない男子テニス部レギュラー陣が、約束をした訳でもないのにこうやって一カ所に集結した。
 明らかに派手で目立つ面々はどこか遠い存在のように感じられるも、泣き笑い騒ぐ級友である事には変わらず、でもどこか眩しい。

「ほんに、喧しい奴らじゃろ」

 真田と柳生の説教からするりと抜け出してきた仁王が、くしゃりと顔を緩め、笑う。
 そんな仁王を見て、楽しそうに騒ぐテニス部の面々を見て、素敵なメンバーだな、と、葵も笑ったのだった。

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