「にお先輩、遊園地行きません?」
ミーティング後のことだった。
赤也のこのひと言に、仁王はうげえと顔をゆがめた。
柳生はそんな仁王をみて、切原君、誰と何の目的でをちゃんと省かずに喋りましょうと注意した。
仁王が何を勘違いしているか即座にわかった赤也は、顔を真っ青に染めぶんぶん首を横に振り、違います違います!と叫ぶ。
そして慌てて鞄に腕をつっこむと、四枚のチケットを仁王の眼前へぐい、と突き出してきた。
「ダブルデートっスよ!」
「ダブルデート?」
よく見ればそれはここ数年前にできたばかりの遊園地のチケットで、そこには仁王もまだ足を運んだことがない。
常に金欠な赤也がどこでそのチケットを手に入れたのかはわからないが、チケット片手にどこか得意げな顔をしている赤也は何だか気にくわない。
何かしらでからかってやりたい気分になったが、今はそれより赤也の発言の方が気になる。
説明せい、と仁王が続きを促すと、赤也は鼻高々に演説し始めた。
「実は俺の彼女が雑誌の懸賞でコレ当てたんスよ」
「ほお」
「で、最初は残り二枚はクラスの奴にでもあげようかと思ってたんスけど、彼女がにお先輩と別所先輩にどうかって」
俺の彼女に感謝してくださいよ!と、ふんぞり返り笑う赤也のいいたいことはわかった。
だがしかし、それを聞いた仁王の表情はいっきに険しいものになる。それにいち早く気がついた柳生も、不機嫌オーラを放つ仁王の後ろでひとりため息をついた。
「いやーアイツと俺ってマジ先輩思いだわ、ベストカップルじゃねこれ!」
「おい」
「にお先輩、今回こそ俺たちが作ったこのチャンスを最大限いかして頑張ってください!んで、いつかほんとのダブルデートするんっスよ!はっはっはっは!」
「………おい」
「その時にはぜひ俺とあいつに礼してくださいよ〜?にお先「聞けワカメ野郎」
「………は?何スか先輩」
高笑いでも始めてしまいそうなほどに高かった赤也の機嫌が、それこそジェットコースターに乗ったかのようにいっきに急降下した。
昔のようにこの言葉を耳にしただけで悪魔化することなく、今は三強の地獄の特訓により悪魔化をコントロールできる赤也だが、今こうやって機嫌を損ねさせるには十分な言葉だ。
「聞きたいんじゃがのう…」
「何スか、俺今の聞いてちょーっとにお先輩にチケットあげたくなくなっ…」
「何でおまえの彼女が、俺と別所のこと知っとるんじゃ」
仁王の言葉を聞き、不機嫌そうな顔からやばい、といった顔へと赤也の表情がみるみる変化していった。
あー…、と目を泳がせる赤也の頭を仁王はがしりと鷲づかみ、強制的に視線を合わせる。ひいっ!と赤也の喉がひきつったが気にしない。
「まさか、とは思うが…おまえさん、まさか俺んこと公言して回ったり…は、してないんじゃろ?」
「ししししてないっスよ!彼女だけっス、ちょーっと口が滑っちゃっただけで!誓って!」
「ほう…そのちょっと口が滑っちゃったでおまえさんの彼女に知れて、万が一おまえさんの彼女の口も滑っちゃったらどうするつもりじゃ?んー?」
「いだだだだ!ちょ、にお先輩爪くいこんでる!ぎゃあああ!」
赤也の頭がみしみし音をたて始めた段階で、ようやく柳生の仲裁が入った。柳生が赤也をなだめながらぽこんとひとつ仁王の頭を叩いてくる。
今回悪いのは俺じゃないじゃろ、と、頭をおさえながらぎゃあぎゃあ喚く赤也を横目に仁王は思った。
「まあ実際こんな白髪でも女子からの人気は高いですからね、好いている女性の話なんてあっという間に噂として広まってしますよ。以後気をつけたまえ」
「ううう…すいませんしたー…」
「それにしても、デートの同行に仁王君を選ぶとは、切原君は本当に成長しませんね」
「いや、俺もそれはちょっと考えたんスけど…いい加減にお先輩の恋も進展がほしいじゃないっスか。こんな長い期間お友達やってんの、見てるこっちが悲しくなってきますし」
「…………」
さすがにそろそろ泣きたくなってきた。柳生にとって仁王とは何なのだろうか。そして、赤也にまで同情される自分が本気で哀れに思えてきた。
「あーマジ疲れた!片づけだるー」
「って、何やってんだお前ら」
建て付けの悪い扉が開き、丸井とジャッカルが部室に戻ってきた。
形ばかりの顧問に今月の部活動内容予定を報告しにいった幸村と、生徒会の方に来年度の入試パンフレットの作成のためテニス部代表として呼ばれた真田と柳は当分帰ってこないだろう。
「にお先輩と遊園地行くんです」
「「……………え」」
「だから切原君」
「あ!えーとえーと、俺の彼女と俺とにお先輩と別所先輩で、いい加減にお先輩達をくっつけたいんで遊園地に行くんスよ!」
「俺と別所がいつ承諾したんじゃ」
「え、別所先輩にはさっきオーケー貰ったんスけど」
「……………は?」
こいつ何いっとるんじゃ、と仁王が凍りついている間に、赤也は柳生と丸井によくやったと褒めちぎられていた。ジャッカルは若干不安げに仁王と赤也を見比べている。
本人の許可もとらず、しかも下心を表情から消すこともできない馬鹿正直な赤也が、直接葵に頼みこんだというのか。
「おまえさんなんつって誘った」
「え、普通に」
「そのくだらん計画悟られてないんじゃろうな本気で。つーかおまえさんのその軽率な行動が、今までん俺の計画を全部台無しにしかねんことわかっとんのか」
「赤也のこと責めんなよ仁王ぉー、実際んなうまくいってねーならいいじゃんか」
「殴んぞ」
「まあまあ落ち着けって仁王!そんな悪いことでもないだろ」
「そうっスよにお先輩、せっかくの遊園地っスよ!?別所先輩も喜んでましたし、そろそろ観覧車でちゅーでもすりゃ一発っしょ!」
ジャッカルと丸井のフォローを受け、赤也がまた調子にのってきたのでひと睨みきかせた。
こんなにもこいつらがこの件に関して自分をちゃかすのは、おそらく他に自分をからかえる機会なんてないからだろう、と仁王は思っている。
実際仁王は今まで弱みを握らせるどころか、人の弱みをつかむ側の人間だった。自分の弱みなんて人に悟らせない、それがポリシーでもあった。
だが、恋とは恐ろしいものだ。
人の雰囲気や考え方まで変えてしまうものらしく、葵と話していた時の仁王をみて最初に何か感づいたのは幸村だった。
そして口にするのも恐ろしいので省くが、結果テニス部全員の知れるとことなり今に至る。葵との関係がうまいこと運べれば正直知られても何ら問題なかったのだが、予定外にうまく運んでないせいでこんな目にあうことになってしまった。
からかわれる。なじられる。邪魔される。詐欺師の面目丸つぶれ。いいことなしだ。
人知れず落ち込む仁王をよそに、赤也と丸井は遊園地トークに花を咲かせている。
「あーあ、俺も行ってみたいぜぃあそこ」
「ダンジョン歩きながらゾンビ倒すガンシューティングのやつ評判いいらしいっスよ。にお先輩射的得意だし、いいとこ見せられるじゃないっスか」
「あと足場がないジェットコースター、マジ楽しそうじゃね?あれ足むき出しのまんま360度回るんだろ?」
「え〜俺あれ嫌っスよ、怖いとか以前に気分悪くなりそうで」
「んじゃ他になんかあっか?」
「あと有名なのはー…ああ、ミラーハウスとお化け屋敷っスね。乗るやつじゃなくて歩くやつ」
「あ!そういやお化け屋敷といや、おまえら聞いたか!?あの噂」
爛爛と目を輝かせた丸井が、ベンチに身を乗り出してきた。仁王とジャッカルも会話に参加しろという無言の圧力だ。
だが何のことを言ってるのかわからなかったので赤也とジャッカルに視線を向けてみたが、どうやらふたりも自分同様何の話を振られているのかわからないらしく首をかしげてる。
そんな仁王達をみて、丸井はなんだよお前ら情報遅いな〜、と、首を振りながら鼻で笑ってきた。腹がたつ。
「噂ってなん」
「仁王も知ってんだろ?薔薇屋敷」
「…ああ、あの幽霊屋敷」
仁王は即座に町外れにある洋館を思い浮かべた。その洋館はこの近所に住む人間、そして立海に通う生徒ならば誰でも知っている幽霊屋敷であり、またの名を薔薇屋敷という。
立海大学前駅東商店街を抜け、住宅街にさしかかる十字路を左に曲がり、そのすぐ右の小道をまっすぐ進み、更に右に曲がり直進する。低い木に幅の狭い道を抜けきると、三メートルはあろう柵にぶつかる。
そこに、その洋館は建つ。
その道以外に洋館にたどり着く道はなく、したがって門はない。入り口がないのだ。
鼠返しになっている柵を乗り越えることもできず、知名度は高いのに町内会も警察も手を出さない。
しかも、仁王達が入学する遥か以前に、面白半分に梯子まで用意し中へと侵入した立海生が数名いたらしいが、その帰り道にメンバー全員が不審死を遂げたという、いわくつきの心霊スポットだ。
そして何より気味が悪いのが、中庭一面に咲き誇る薔薇の花。
柵の内側から建物まで、いつの季節も丁寧に手入れのされた薔薇は枯れることがない。
なのに、誰かの手により薔薇が手入れをされている光景を見た人物は、誰ひとりいない。
住宅街の奥地に広がる中世めいた屋敷の入口も、住人の有無も、誰ひとり知らない。誰もが不気味がり手出ししない。幽霊屋敷こと薔薇屋敷は、そんな場所だ。
「ああ、あの罰ゲームによく使われるとこっスよね、柵にタッチして帰ってこいとかそーいうの」
「俺もあそこは知ってるぜ。一度だけ見に行ったことがある」
赤也もジャッカルも薔薇屋敷のことは知っているらしく、話を続行できると踏んだ丸井は意気揚々と話を続けた。
「そうそう!んでさ、ゆうべサッカー部の二年の四人組が、賭け試合に負けた罰ゲームであの柵んとこまでいったんだってよ。そこからが、問題だ…」
びしぃ!と、丸井が人差し指が天を指す。
部室内にいる人間は自然と拳を握り、息をのんだ。
「………柵の内側から、黒マントした男が柵を飛び越えてきたんだってよ」
丸井の押し殺した声が部室内に低く響いた。
そして、なんだかいたたまれない沈黙が流れる。明らかに、恐ろしさに息をのんだとか、そんなたぐいではない。
そんな痛々しい沈黙を最初に破ったのは、意外にも柳生だった。
「黒マントとは、またベタな…」
「見間違いと違うん?」
「でもよ、あの幽霊屋敷って実際にそーいう目撃情報みたいな噂なかったろ?信憑性ありそうじゃん」
「つーか、あの柵飛び越えたって時点で人間じゃないっスよね〜氷帝の赤髪の人とかならやりかねなさそうっスけど」
「それをいうなら幸村君だって涼しい顔してやってのけそうじゃね?」
「ははははは!ちょ、まる先輩ほんとのことでもいっちゃダメっスよそれは!」
「そうか、赤也と丸井は俺が人間じゃないっていいたいのかな?」
ふたりの肩にぽん、と手が置かれた。
暖房がきいているはずの部室内には一瞬にして氷点下のブリザードが吹き荒れ、丸井と赤也は顔を青く染めぎぎぎぎぎ、と壊れたおもちゃのように振り向いた。どこかで見た光景だ。
案の定、ふたりの目前には、職員室から戻ってきたばかりの幸村のきらめく笑顔。
脱兎のごとく逃げ出したふたりの背中と走り出した幸村の背中を見送り、この後のふたりの運命を悟ったジャッカルと共に手を合わせておいた。
仁王は知っている。一時的に逃げたところでどうにもならないことを身をもって。