それから仁王は連日のように名前の前へと姿を現した。
 生徒会室であったり、校門の前であったり、しまいには休日の出先であったり。それが毎度毎度予告なしで、しかも教えていないのにこちらの予定を把握しているあたりで振り回されもしたが、そんなはちゃめちゃな仁王の行動に付き合うのも、一度だって嫌とは思わなかった。
 そして、その度様々な場所へ連れ出された。それこそ紅茶専門店の中にあるカフェであったり、映画であったり、テニスコートであったり。
 仁王はいつも名前の興味を持っていることに共感してくれ、しかも名前の持っている以上の知識を披露してくれた。それも、全く嫌味に感じられないほどの鮮やかな話術で。
 話の切り替えのタイミングも、話の持っていき方も、立ち振る舞いも、彼の価値観も、毎度の出かけ先の選びの趣味の良さに至る何から何まで、いつも名前は感服するしかできなかった。
 会う度、話す度、尊敬の念は増した。そして、このままずっと親しくしていられたら、と、思いを馳せた。
 の、だが、

「――……でね、切原君が仁王先輩は凄いんだー!って、褒めてたよ」
「そうか…あ、名字」
「うん?」
「………いや、何でもねぇ」

 時折こう、仁王がどこか深刻そうな赴きで何かいいよどむのが、気にかからないわけでもなかった。
 親しくなればなるほど、そんな仁王の不審な様子に疑問も覚えたし、きっと仁王はそんな名前の疑問にも気がついている。それでも何も現状が変わらないのを見るに、何か事情があるのだろう。仁王のことだから、何か名前に気をつかっているのかもしれない。
 そうならば、名前が気にかけても仕方ない。
 でも、そうとわかっていても、割り切ることができないのだ。
 もし何か自分に否があるならいってほしいし、そうなら改善する努力がしたい。ある日突然耐え兼ねた仁王に切り捨てられる方が、名前には怖い。
 長年の信頼もあったので、思いきって手塚に相談してみたものの、無言で困り果てる手塚の姿を見て、何だか申し訳なくなりこちらから謝り話を中断した。
 赤也は仁王のかわいい後輩なのだから、相談するわけにもいかない。
 そんな風に、思い悩む日々が続いてたのだが、

「やあ、名字さん」

 仁王と、そしてひそかにメールを通して赤也と親しくなってから半月ほどたった、とある秋口の日のことだった。
 二限と三限の間の短い間休み、仁王からのメールの返信を考えていたいた時、ふいに名前を呼ばれ、携帯から顔を上げればそこにはクラスメートである不二の姿があった。
 不二は、クラスメートとしてはほどほど親しいものの、普段からそう話すわけではない。
 だから、名前は不二が何か自分に用事があるものと思い、こう尋ねた。

「不二君、どうかした?何かあった?」
「名字さん、最近立海の仁王と仲がいいんだって?」
「……え…ど、どこで聞いたの?」
「『切原君』からね、」

 ふふふ、と、綺麗に笑ってみせた不二に、なんだか気恥ずかしくなる。
 赤也がどんな風に名前と仁王の仲を話したのかわからないが、不二のいい方と雰囲気を見るに、少なくとも名前の想いは知られてしまっているのだろう。

「不二君、切原君と仲がいいんだね」
「うん、前に試合をしてね、面白い子だよね。で、どうなんだい?」
「ど、どうって、」
「顔、真っ赤」

 直接指摘され、一気に羞恥心が弾けだした。
 駄目だ、不二に隠し事ができるとは最初から思っていなかったが、やはりもうとっくに名前の気持ちはばれてしまっているようだ。
 が、せめて仁王の面子は守らないと、と、名前は必死に釈明をした。

「で、も、私が勝手に、片思いしてるだけ、なんだよ」
「そっかそっか、友達以上恋人未満のある意味一番おいしいとこかぁ」
「不二君!」
「ごめんごめん」

 どうやら口で不二に勝てることは、奇跡でも起きない限り無理そうだ。
 結局名前は首から上を真っ赤にしたままがっくりうなだれることしかできなかった。
 そんな名前を見て不二はくすくすと心底楽しそうに笑っていたのだが、ふと、何かを思い出したように突然こんな話を振ってきた。

「そういえば名字さん、氷帝の跡部って知ってる?」
「氷帝って…あのお金持ち学校?」
「そう、そこのテニス部の部長。跡部財閥の御曹司」

 不二のあまりに唐突な問い掛けに、え、いきなりなんだろう、と、内心思いつつ、名前はぎこちなくだが頷いた。
 跡部財閥こと跡部グループといえば、日本が海外に誇る大企業のひとつだ。その御曹司が氷帝学園でテニス部部長を務めていることまではさすがに知らなかったが、日本に住んでいる以上『跡部』の名を知らないわけがない。

「跡部って僕が知る限りこれ以上ないってぐらいの俺様人間なんだよね。絵に描いたような御曹司って感じで、それが大人しい系じゃなくて我が儘な感じの、そういうお坊ちゃま。テニス部だからっていう理由だけで他校の僕たちもよくその跡部のジャイアニズムに巻き込まれてさ、本当に厄介な人なんだ。本当に、世界が自分中心に回ってると信じて疑わないような、そんな奴なんだよ。彼の幼馴染みの子も使用人みたいに使われていてさ、いつも可哀相だなって思ってるんだ」
「へ、へえー…」
「それに、凄まじいかっこつけで、二百人もいる部員に氷帝コールなんていうのをやらせて、指ぱっちんして『勝つのは俺様だ!』とか。ほら、痛いでしょ?それにお坊ちゃまなせいか、金銭感覚のずれが半端じゃないし。すぐにリムジンとか自家用ヘリとか呼び出すし。ついこの間まで、切符の買い方ひいてはパスモもスイカも知らなかったんだって、本当にびっくりだよね。きっとバスなんてもっと経験なさそうだなぁ。で、しまいには、自分のファンの女の子たちのことをメス猫呼ばわり」
「メ、メス猫?」

 最後の仰天発言には、名前も目を白黒させるしかなかった。

「まさか…そ、そんな、ドラマか漫画キャラみたいな人、本当にいるんだねー…」
「うん、それが存在しちゃうんだよね…と、おっと、まずいまずい」
「?」
「じゃあまた、名字さん」

 話を振ってきた時と同様、また唐突に話を切って笑顔で去っていく不二の姿を首を傾げながら見送った。
 結局不二が何をしたかったのかさっぱりわからなかったが、今のは果たして何だったのだろうか。なぜ突然跡部財閥の御曹司の、それもどちらかといえば悪口に近い愚痴のようなことを、わざわざ名前に話していったのだろう。それに、愚痴にしてはやたらといきいきしていたような気もしなくない。
 そう首をかしげていたら、不二と入れ違いになる形で、手塚がやって来た。
 真っ直ぐ自分のもとにやってくるところと、その手の書類を見るに、どうやら何か生徒会の用事があってやって来たようだ。が、それにしては何だか挙動不審気味のようにも見える。

「名字、今大丈夫か」
「うん、どうかした?」
「部活動の予算関連の引き継ぎ書類について、これに目を通しておいてほしい」
「うん、わかった」
「…不二がやたらと楽しげに何か話していたな」
「あ、見てたの?」
「少しな。お前は何だか浮かない顔をしていたように見えたが」
「いや、それがね、不二君いきなり氷帝の跡部君って人の愚痴話を始めてきたから、びっくりしちゃって」
「……………跡部の、か…?」
「私はその跡部君って人と面識ないから、愚痴もこぼしやすかったのかな」
「…そ、そう、だな」
「手塚君真っ青だけど、どうかした?」
「い、や、何でもない」

 手塚もなんだか変だった。
 ぎこちなく去っていく背中を見送りながら、もしや男子テニス部全体で何かあったのかとも思ったが、それからすぐ廊下を大石と菊丸が楽しげに会話しながら歩いていくのが見えて、やっぱり違うかぁ、と、なんだか肩が落ちてしまった。
 そして、仁王の不審な様子に関しては結局それからも改善されることはなく、そのまま半月近い日々が過ぎてしまい、名前の悩みも晴れぬまま、月が変わっていったのだ。


□□□□


『今日、青学とそっちで練習試合するんじゃ。今回は引退した三年生も参加するナリ。あ、でも仁王先輩か手塚さんからもう話聞いたかのう?』

 携帯の画面上に、十月四日、の文字が示されている日のことだった。
 授業が終了した正午過ぎ、すっかりメル友となった赤也から届いたメールを見て、名前は首をかしげた。
 仁王とも頻繁にメールをしているし、休日に共に出かけたりもする。
 が、彼からそんな話は聞いていない。
 話題豊富な彼だからこそ伝え忘れたのかもしれないが、せっかくここにやって来るというのに、ひと声もかけてくれなかったのは寂しい。
 引退したとはいえ練習試合が遊びではないのは、名前にもわかっている。
 それでも、今度機会があったらテニスをしている姿を見せてやる、と、笑っていた仁王の姿を思い出すと、やはりその姿を見てみたいと思うのだ。いつも、あれだけ楽しそうにテニスについて語る仁王だからこそ、なおさら。
 ホームルームを終え、帰宅する生徒の声で賑わう教室の中、名前は少し考えてから仁王にこうメールを送る事にした。

『今日、立海が青学に来るんだってね。邪魔したら悪いから近くに行かないけど、テニスしてるとこ見てみたいから、生徒会室から見学してるねー』

 校内から眺めているくらいならば、きっと邪魔にならないだろう。
 今日生徒会の活動はないが、生徒会メンバーは何時でも職員室で生徒会室の鍵を受け取る事ができる。
 来週の中頃までに片付けたかった書類もある。
 学食に寄って昼を何か買ってから、職員室で鍵をピックし生徒会室の鍵を開け、書類をしつつテニスを観戦させてもらおう。
 今日これからの大まかなスケジュールを頭の中で組んでから、名前は鞄を肩にかけ立ち上がった。

「あ、名字さん」
「不二君」
「今日これから立海と練習試合があるの、聞いた?」
「うん、ついさっき切原君にメールで聞いたよ」

 そっか、と、深々と頷く不二は、心なしか普段より楽しそうに微笑んでいる。
 そんな不二の肩にテニスバックがかけられているのを見て、ふと、赤也のメールにあった『今回は引退した三年生も参加する』の一文が頭を過ぎった。
 不二も久々に他校の生徒と公式の練習試合ができるのが嬉しいのかな、と、名前はひとり納得した。

「それで、仁王は何て?」
「それがね、仁王君からは今日の事聞いてなかったんだ。だから今メールしてみたんだけど、まだ返事はきてないみたい」
「ふーん…フフフ」
「?どうかした?」
「ううん、何でもない。それで名字さんは練習試合、観に来ないの?」
「片付けたい書類があるから、学食でご飯食べてから生徒会室で書類を片付けながら眺めてようかなって思ってるの」
「そっか。じゃあ僕も、せっかく見学してる名字さんの期待を裏切らないよう頑張らなくちゃ」
「うん、楽しみにしてるね」

 じゃあ仁王がテニスする姿、しっかり観てやってね、と、相変わらずの笑顔で手を振りそういうと、不二は歩いていった。

「(不二君って、よく仁王君の話、するんだなぁ)」

 不二君と仁王君って仲がいいのかな、と、思いながら、ひとまず昼食をどうにかするため学食に向かう。
 青学の学食の一角からは、テニスコートが見える。
 手塚ファンや不二ファンの子達が以前その場所について話しているのを、偶然聞いたことがある。コート際まで見に行く勇気のない控えめなファンは、その場所からひっそりとコートを眺めたりもするらしい。
 万が一食べるのが遅くなっても、その場所からなら仁王がプレイするのを見れるかもしれない。
 そんな期待を抱いて学食へ行けば、休日なおかげか学食に生徒の姿はまばらで、例の隠れスポット周辺には幸運なことに誰の姿も見られなかった。
 鞄を置き、財布事情も考慮した上でうどんを注文して、席に戻り、少し急ぎ気味でそれを食べていれば、ちょうど食べ終わったと同時に、コートに人が入ってくるのが見えた。

「(立海のジャージって、あんななんだなぁ)」

 見慣れた青と白を基調にし赤のラインの入った青学のジャージと、その近くに辛子色に黒のラインが特徴的なジャージが見える。
 その中に、メールこそしているものの、あの日会って以来な赤也の銀髪も見えた。くせっ毛でツリ目の、同じく立海のジャージを着た少年の頭を楽しげにわしゃわしゃと撫でている。同じ学年なのだろうか、随分仲が良いようだ。
 と、そんな時、

「(…………あれ、)」

 テニスコートを見つめていた姿が目に入ってしまったのだろうか、それなりに距離はあるのに、どうも不二がさっきからずっとこちらの方を見つめている気がする。
 もしかして気づかれたかな、と、思えば、案の定不二は赤也の肩をとんとんと叩き、こちらを指差してきた。
 すると赤也がこちらに大きく手を振ってきたので、小さく手を振ってみるとそのスポーツマンにしては白い手が下げられる。やっぱり私だったのかぁ、と、思いつつ、よく結構距離のあるあそこからこちらがわかったな、と、感心してしまう。
 が、そのまま接触が終わると思ったのに、何だかまだ様子がおかしい。

「(…………あれ、は…こっちに来いってやってるのだろうか…)」

 不二と赤也、ふたり揃って横に並び、大きく手招きをしているのだ。
 その後ろにいる手塚はといえば、何だかうなだれているように見えなくもない。
 これはどうすればいいか、と、悩んでいるところにちょうど偶然、学年主任であり生徒会顧問が、トレイにさっきまで自分が食べていたのと同じうどんを手にすぐ横を通り掛かった。

「おい名字、お前不二と他校の…ほらあの銀髪、なんか呼ばれてないか?こっち来いって」
「あ、先生…やっぱりそう見えます?でも男テニ、今日あの立海って辛子色のジャージのとこと練習試合のはずなんですよ」
「何で呼ばれてんだろうなー…」
「さあ…」
「ま、何にしろ呼ばれてんなら行くべきじゃないか?何か支障あるなら手塚がどうにかしてるだろ」
「それもそうですよね…ちょっと行ってきます」

 一応近くまで、と、いってトレイを手に立ち上がれば、そういえばさっき来客入口近くに大層な車が止まってたなぁ、と、顧問がそう呟きながら通路向かいの席でうどんをすすり始めていた。その左手は食器を押さえるでもなく、こちらにひらひらっと振られている。さっさと行ってやれ、ということらしい。
 確かに部活中の人間をあまり待たせるのもあれなので、早々に食器を片付けると、急ぎ来客入口とは真逆にある昇高口へと急いだ。
 ローファーに履きかえテニスコートのある方へと駆け足ぎみで向かい、校舎の角を曲がればすぐそこにフェンスがある。
 そのフェンス内のコートには青学、立海、両校の旧レギュラーらしき人物達が揃っていて、更にその奥には両校の平部員らしき部員達が、見学なのか並んで立っているのが見えた。
 やっぱり場違いなんじゃ、と、不安が過ぎるも、相変わらず不二と仁王はこちらに手を振ってくるし、手塚がそれを咎める様子はない。
 おそるおそるフェンスの方へと近づけば、藍色の髪をした中性的な男子がフェンスの扉を開いてくれた。気が引けたが、失礼します、と、断りを入れてからフェンス内へと足を踏み入れた。


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