「『童話喫茶』?」

 自分の文化祭用の小道具に色を塗りながら、思わず聞き返した。
 文化祭の出し物の詳細が決まって数日が経ち、今日は各々の『衣装』の製作に時間があてられている。
 場所を取るため窓際へと寄せられた机の上に腰かけながら、真雛達三人も現在絶賛製作中だ。
 目の前に座る柳生も、針をの持つ手を絶え間無く動かし続けながら、話を付け足してくれた。

「正確には『童話というかファンタジーな感じで女子受けしそうなキャラクターにコスプレして今年も一位取っちゃおうぜ喫茶』だそうです。幸村君と丸井君いわく」
「……えげつない」
「メニューによってはお好きな部員とのツーショットもついてきますよ」
「真田、それでいいのテニス部は」
「……………常勝の為だ。やむを得ん」

 眉間いっぱいに寄せられた皺に、一文字に結ばれた口。どうやら本意ではまったくないらしい。真田の性格を考えれば無理もない。
 しかし、真雛や柳生と同じように机に腰をかけ、複雑そうな趣ながらぴんと背筋を伸ばし、膝の上でちくちくと針を通し白い布の縁を調えていく真田の姿は、なんだか可愛い。手つきがやたらいいことがそれを増長させている気がする。
 可愛いとまでいかなくとも、他のクラスメートにもシュールに見えるのか、先程からちらりちらりと視線を感じる。その視線がやたらと暖かい。
 その中に若干の含み笑いが見え隠れするのは、きっと真田の『衣装』のせいもありそうだ。
 スーツ一式とコートを揃え、そこに手を加えていく柳生の衣装と違い、真雛や真田はいちから衣装を作り上げなければならないので、なかなか手がかかる。
 が、クラスメートの中にはそれは本当に実現可能なのかと疑いたくなるようなものもあるのだから、それと比べれば多少マシな気はしなくもないが。

「でも、テニス部の方でもコスプレしなきゃなんて大変だねぇ。何の格好するか、もう決まったの?」
「ええ、一応。私は一寸法師。真田君は皇帝もとい王様を」
「………一寸法師?王様?」
「大きくなった後という設定で、小槌を持っていればどうにかなるだろう、という結論になりまして」
「ええええ…え、じゃあ、王様っていうのは?」
「童話には王様がつきものでしょう」
「…もはや出典すらないの…?」
「裸の王様ではない事だけは倫理的に確かですけれど、特には」
「なっ、何という事を言う、柳生!!たるんどるぞ!!!」
「真田君、針、指に刺さってますよ」

 ムッ!と、口を結び、鞄からいそいそと消毒液を取り出す真田を尻目に、ふたりのコスプレした姿を思い浮かべてみた。
 柳生の一寸法師は、要するに和服を着せようという方針からのみ決められたものだろう。確かに似合いそうだし、その恰好によく似合う涼やかな微笑みも柳生ならばお手の物に違いない。
 真田の王様とは、おそらく、

「皇帝、ではないの?真田なのに」
「皇帝はさすがになかなか童話には出てこないから、とりあえず王様ということになったのですよ」
「裸の王様の原文直訳って、『皇帝の新しい着物』じゃなかったっけ」
「真雛、お前は…お前まで!俺に裸になれというのか!?」
「え」
「最初、幸村君も柳君からそれを聞いて笑っていましたね………ふふふっ」
「…………柳生」

 明らかに機嫌を損ねた顔でじとり、と、眉間に目一杯皺を寄せて真田が睨むも、柳生はその思い出し笑いが毎度のごとくツボに入ったのか、衣装ごと腹を抱えてくつくつと笑い続けている。この笑い上戸のことだ、おそらくしばらくは笑い続けているだろう。
 いつものことなので柳生はそのまま無視し、憮然とした様子の真田にそのまま話を移した。

「で、他のテニス部の人達はどんな格好するの?」
「…幸村はアリスの帽子屋。赤也は赤頭巾の狼男。丸井はシンドバットで、ジャッカルはアラジン。蓮二はごんぎつねから狐男で、仁王は吸血鬼…の、予定だ。今はレギュラーだけ挙げたが、他の部員の方も含めると相当な数のラインナップになる」
「童話というには苦しいのもある上に、なんというあざといラインナップ…」
「ム……」

 言葉に詰まる真田を見て、先日の幸村の笑顔を思い出した。
 よかったら引き受けてくれないかな、成田さん?そう微笑む幸村の腕の中にしっかと抱えられた、真雛の鞄。
 全ての決定権は幸村にあって、おそらく拒否権なんてものは存在しないのだろう。身をもって体験したからこそ、わかる。あれに逆らってはいけない。

「それはさておき、だな」
「あ、話切り替えた」
「そもそも、一応まだ極秘だ。情報を漏らすことは好ましくないだろう」
「なるほど、まだ『皇帝の新しい着物』に変更される可能性も否めないと」
「…覚悟はいいか、真雛」
「ごめんなさい」

 本気で嫌だったのか、針を構えるその目は真剣そのものだ。おそらく、もう散々からかわれいじり倒された後なのだろう。可哀相なことをした、と、少しだけ反省をした。あくまで少しだけだが。

「もうこの話は終いだ」
「はーい」
「それより、蓮二の友人発言はあれからどうだ」

 次いで振られた話題に、少しだけ手が止まった。
 そして、ちょっとばかり考えてから、こう返した。

「うー…ん………大きな動きは、特にないかなぁ。たまにメールしたりするようになったけど、まだ友達の友達の領域を超えてない程度」

 そういいながら、あの日のことを思い出す。
 海原祭の文化祭準備が始まった日のことだった。
 あの日真雛は、部室から逃走していた仁王を幸村に頼まれ連れ戻していた。その際、中庭にいた柳と乾に遭遇し、柳に友人になってくれないか、と、突拍子もない言葉をかけられた。本当に、なんの脈絡もなく、突然のことで面食らった。
 あの時は思わず、は?と、なんとも酷い答えを返してしまったのだが、柳はその微笑みを絶やすことなく、とりあえずアドレスでも交換しないか、と、携帯を取り出してきたのだ。
 そのままなし崩しに交換をすることになってしまい、それから時折取り留めもないメールが来るようになったが、新しい友人が増えた、と、純粋に喜べずにいる。
 もちろん、柳がすきではないとか、そういう理由ではない。
 柳は、校内に限らず全国的に見てもその頭脳の明晰さで名高い有名人だ。テニスに全く興味のない人間であっても、柳の名を知っている者の数は少なくない。柳は間違いなく、真雛なんて比較対象にすらならない程の頭脳の持ち主だ。
 だからこそ、あのタイミングで、あの発言はおかしいのだ。もし本当に、言葉通り真雛と友人関係になることが目的なら、もっとうまいやり方がごまんとある。真雛であっても、明らかな違和感を抱いた。
 そして、柳はその違和感を微塵も隠そうとはしなかった。

「(多分、でしかないけど…仁王君が居合わせたから、だろうなぁ)」

 柳の意図は、正直わからない。
 真雛に友人になってほしいと申し出る場面を、仁王に見せた意図。そして、柳が自分をどうしたいのかもさっぱりだ。
 真雛は別に柳が嫌いではない。むしろ、話題の豊富やさ時折見せるお茶目さは魅力的にも感じる。
 が、彼は善くも悪しくも『データマン』なのだ。
 テニスに関しても、それ以外のことであっても、彼に話を振れば数倍もの知識となって返される。
 それ程までに情報の収集を得意とする柳と距離が近くなることが、正直怖くて仕方がない。何がなんて、当然自分の持つ『能力』について、だ。
 つい先日、自分の不注意で跡部に能力が知られてしまった。
 高校に進学してから、これでもう三人目だ。不注意にも程があると、実はこれでもそれなりに真剣に反省している。
 なのに、秘匿という意味では危険度マックスな柳と近くなるなんて。
 が、柳は真田の大切な仲間でもあるわけで。
 この胸の内をどう説明すればいいか、そんな葛藤を抱いていたわけな。の、だが。
 葛藤なんてせずとも、ばればれだったようだ。ふう、と、小さなため息をこぼした真田の目を見ればわかる。

「お前の言いたい事はわかる」
「…………うん」
「…蓮二は癖があるが、いい奴だ。裏があるように思えるかもしれないが、基本的に物事が好転するためにしか動かん。明言しないだけで、嘘はあまりつかない実直な男だ」

 人をいい表す時の真田の言葉は、常に的確だ。
 真田の言葉の持つ力は不思議だと真雛は思う。厳しくもあり、身内贔屓も交じり、それを隠すことなく堂々としている。そのせいなのだろうか、柳をそう深く知らない真雛であっても、どこか理解ができる。
 と、いうことは、

「…つまり、ひとまず害はないはずだ。ぐらいに受け取ればいいの?」
「まあ、噛み砕けばそうなるな」
「なる」
「何かあったら直ぐに言え」
「りょーかぁーい」

 えっちらおっちら布を縫い付けながら、そう答えた。
 そうなのだ。柳に関しては、何かあった場合でもふたりに相談ができる。
 真田が柳に悪意はないだろうというならば、今は余計な心配をする必要もあるまい。何か起きたら、その時相談すればいい。
 確かに今のところは定期的にメールが来る以外、何事もない。
 柳のことを必要以上に気にかけるのはやめるか、と、思った時、ふとある事を思いついた。

「私、逆にっていったら変だけど、跡部君の話聞きたいかも。真田の言葉で」
「跡部?」

 真田の頭上に、くっきり疑問符を浮かぶ。

「亮ちゃんがどうにかしてくれるとは言ってたけど、さすがに一度も話さないってわけにはいかないし…まだ会うの、ちょっと怖いけど、一応」

 何が一応なんだか喋っている本人もよくわかっていないが、とりあえず真田は納得してくれたらしく、考え込む素振りを見せている。

「……そうか、ふむ…」
「あんまり話したこと、ない?」
「いや、そんな事もない。…そうだな。性格は、難ありと言わずにはいられんな」
「ほう」

 以前宍戸も跡部を『性格以外には非のつけようがない奴』と称していたが、やはり性格には何かしら問題あり、と、判断される傾向にあるらしい。
 そういえば、この前丸井達が話していた『氷帝コール』なるものが気になり宍戸に尋ねたところ、複雑そうな表情のまま何も教えてくれなかった。その辺りにも関係がありそうだ。

「言動共に予測のつかん派手な事を頻繁にしでかす。自校だけではなく他校をも巻き込んでというところが、またタチが悪いのかそうでないのか、白黒つけたがい」
「…へ、へえ…」

 丸井とジローや、氷帝での手塚の知名度であったり、テニス部ってやたらと他校の人と面識があるんだな、と、思ったことがあったが、どうやらそれに関係があったらしい。
 が、そう考えると、

「…立海テニス部の人達って、幸村君に振り回されて、時には跡部君に振り回されてって……なんか、苦労が絶えなさそうだね」
「………………言うな」
「ご愁傷様」

 適当に真田の肩の辺りをぽんぽん叩きながら、内心私はそんなのごめんだ、と、付け加えた。平和に生きたい。
 もしかしたら、中学時代真田が急激に老け込んだ理由も、そこにあるのだろうか。本人にも幸村にも聞けない疑問である。

「だが、」
「ん?」

 オチまでついて話題は終わったのかと思った矢先、真田がそう付け加えた。
 何かと顔を覗き見れば、表情も元の通り引き締まったものとなっている。

「『だが』?」

 真雛が問い返す。
 すると、真剣な眼差しで、真田はこういった。

「あれは、稀なる努力の才を持つ男だ。テニスの才よりも、あの男を評価するとすれば努力の才だと俺は思っている」

 努力の、才。
 ――――その言葉に、あの日の跡部がフラッシュバックする。
 視界が少し白くなる程度の霧雨。石造りの階段の、錆びたフェンスに囲まれたテニスコート。ラケットを片手に白く陰る視界の中振り向いた、跡部。
 出会った、という出来事ばかりに気を取られていたが、あの時跡部は真雛が現れるまで、練習をしていた。ひとりで。
 あれは、きっと。
 やはり、跡部だったのだろう。真雛はそう思った。
 もう、あの時間が本当にあったものなのか、朧げに思えてきていたけれど。あらためて、そう思った。
 あの時間があったことを証明するジャージこそあれど、あの後会った跡部とあの時の跡部との印象に差がありすぎて、最近ではどこか夢幻のように思っていた節があった。
 でも、今の真田の言葉を聞き、納得がいった。
 あの時あの雨の中で真雛が会ったのは、確かに跡部だった。

「努力の才…かぁ。真田、高評価だね」
「うむ。それに、基本面倒見がいい。お節介とも否めない事もあるが、カリスマ性、世話見の良さ、手腕、どれもが上に立つ人間の素質というものを軽く凌ぐ。我が立海の幸村程ではないがな」
「幸村君程ではないんだ。真田的には」
「無論だ」
「亮ちゃんに聞いたら逆のこといいそうだなぁ」
「言わせておけばいい」

 自信満々といった様子で断言する真田から、幸村の人望の高さが伺える。幸村は、本当に部員に慕われている。
 が、それは幸村だけではない。
 宍戸をはじめとした氷帝のテニス部員みんなからも、同じものを感じた。跡部も、幸村と同じように慕われていた。
 真雛が知らないだけで、きっとあの手塚もそうだったのだろう。
 テニス部の人間は、どうにも自然に頭が下がってしまうような人が多いように感じる。テニス部というよりも、全国レベルにのし上がる人達、という方が相応しいのかもしれないが。

「どこの部員さんも、みんな部長がだいすきなんだねぇ」
「慕われるべきものは慕われる」
「結果論じゃないの、それって」
「さあな。結果論かどうかはまた別の話として、確かあの男は部長だけではなく生徒会長も務めていたな」
「あ、そういえばそうだったね」

 氷帝に度々足を運んでいた中で、そんな話を聞いたこともあった。
 実際休みなく動く跡部のことを、スケジュールが三十分単位くらいで詰まりに詰まってそう、と、冗談で茶化してみたら、たぶん実際そんな感じだろうという返事が返された時には言葉を失った。
 起きている時間を仮に十六時間と例えたとして、それが三十分単位で区切られた生活なんて。普段ぐだぐだ日々を過ごしている真雛からすれば、考えただけで目眩がする。

「家の仕事に関する事にも手腕を奮っていると聞く」
「なんで倒れないんだろ跡部君…そんな、体力もメンタルもがりがり削られそうな毎日、私には無理だ」
「そうだなお前には確実に無理だ。…というよりも、並大抵の人間にこなせるわけがない。色々な言葉を並べたが、跡部に関しては大した男だ、と、称しておこう」

 なるほど、と、真雛も頷いた。
 身内ではないのに真田にここまでいわせるとは、凄い。

「しかし、真雛さんらしくありませんね」
「え?」
「ん?」

 唐突に会話に入り込んできた、その声の方に思わず真田と真雛の首が向く。
 確かめるまでもなく、声の主は柳生だ。真田の『皇帝の新しい着物』ネタにひとしきり笑い終えたらしい柳生は、今では何事もなかったかのように自分の作業を続けている。どこから話を聞いていたのだろうか。謎だ。

「え、私らしくない?」
「少し」
「私らしい……え、だるいー眠いーめんどくさいー…みたいな?」
「阿呆」

 真田にぺしっと軽く頭をはたかれた。軽く軽くとだいぶ手加減してくれているのを知っているから何も言えないのだが、地味に痛かったりする。

「普段、『あの人ってどんな人?』といった質問はあまりされないでしょう?仁王君の時だけが例外的なのかと思っていたので」
「あー…あの、仁王君と正面対決した日のかぁ」
「丸井君や幸村君と初めて話された際にはそういう相談事もなかったので。…あ、そういえばあの時真雛さんは私達にテニス部と接点を持ち始めた事を出来る限り隠そうとされていましたよね、仕方なかったですか」
「やぎゅー、笑顔が怖い。笑顔が怖い」

 柳生…と、真田が諌めるひと声をかけると、感じていた威圧感がどっと薄れた。鶴のひと声ならぬ真田のひと声である。

「うーん…何で、といわれるとなぁ…」
「他者への興味がどうではなく、『人』について他人に意見を聞いて回る事、だろう。柳生の言いたい事は」
「はい」
「ああ、そういうことか」

 そう聞いて、納得がいった。
 少し前。柳生と真田と、腹を割って話した、劇場ロビー横の海の底をモチーフにしたロビーで話をした時、真田はこういっていた。
 お前が風評に影響され自分の意志、態度を変えるような人間ではないことを、ずっと知っていた、と。

「噂とか人の評価とか、そういうのを完全に信じ込むのはさすがにどうかと思うけど、馬鹿にもできないと思ってるからね」
「そうか」
「うん。最終的にこの人はこんな人だなぁって判断するのは自分だけど、自分の力及ばず見えなかったりわからなかったりすることもあるし。そういう時に他の人の意見って、新しい観点を見つける上でやっぱり重要だよ」

 宍戸から見た跡部と、真田から見た跡部が違うように、立場が違うからこそ見えてくるものもあるわけで。

「普通に友達になるっていうなら別にこんなことわざわざ聞いたりしないんだけど、跡部君もちょっと特殊な関係だからなぁ…次に会うことがあったとしたら、と、考えると、ちょっと親友の意見も聞いてみたくて」
「成る程な」
「仁王君にしても、跡部君にしても、近頃の貴方の周辺は華やかですね」
「だからやぎゅー、笑顔が怖い。それに華やかのかけらも感じないんだけど、当事者の私」
「でしょうね。分かった上での発言です」
「…………」

 拗ねてる。
 笑顔だが、確実に拗ねてる。
 普通に寂しいといってくれれば可愛いげがあるものの、なぜ真っ黒な笑顔と威圧感が欠かせないのか。いや、そんな様も見方によっては可愛いのかもしれないが。
 と、そんな時、教室がざわついた。
 真雛達もつられて顔をあげると、




「…………………おい、やぎゅ」




 目が据わらせ、機嫌の悪さを全面出した仁王が、扉の側に立ちながらそう低く唸った。

「仁王君が、うちのクラスに…?」
「あ、ほら、テニス部の、」
「でももしかしたら成田に用かもよ?最近よく必死の鬼ごっこしてたじゃん」
「ていうか仁王君、自分のクラスにすらほとんどいないって聞いてたけど、他のクラスに尋ねることなんてあるんだー…」

 教室内のざわめきも介さず、といった様子で、酷い人相のまま仁王はすたすたとこちらに向かって一直線に歩いてくる。
 その両手ともカーディガンのポケットに突っ込まれているが、その左脇に、何か紙の束が挟まれている。
 そのまま真雛達三人が腰掛ける机の前までやってくると、凄みを帯びた一瞥を向けられた。が、真雛はぽかんと仁王を見つめる以外、まったく反応できなかった。
 今まで、追うことはあれど、仁王の方から真雛のいる場所を訪ねてきたことなんて、最初の一度しかない。
 それも柳生と真田がいない時のことであり、こうして三人が揃っている場に仁王が居合わせた事は、過去一度もありやしない。

「これはまた珍しいですね仁王君。いかがされましたか?」
「………幸村から、おまえさんらに渡してくれって、笑顔で恐喝されたナリ」

 そうして突き出すように差し出されたのは、オレンジ色のストライプ柄の可愛らしいみっつの紙袋だった。ご丁寧に可愛らしいシールで封までされている。
 が、そんな可愛らしさに反して、仁王の眉間には相変わらず深く皺が寄せられていて、酷い凶悪顔だ。
 しかし、柳生の方が上手なようだ。笑顔のままさらりとこう返した。

「おやおや、それはまた災難な事で。ですが感謝しますよ仁王君、おつかいありがとうございました」
「……………ほんに」
「え、紙袋がみっつって事は、もしかして私にもなの?」
「……………」

 いつも通り、真雛の言葉には返事がない。
 が、もしふたりにのみ渡すのであれば、真雛が不在のタイミングを狙っただろう。もしくは、誰かひとりにまとめて渡せばいい。
 そうしないでわざわざ今現れたという事はつまり、これはきっと幸村か、もしくは幸村と柳ふたりの作戦に違いない。
 幸村君結構派手に動いてるなぁ、なんて真雛は思いながら柳生から回されてきた紙袋を受け取り、もうひとつを真田に手渡した。
 真田が、受け取ると同時に首をかしげる。

「幸村から……?おい仁王、この中身は何だ?」
「そんなん今空けて自分で中見りゃええじゃろ」
「お前に聞いている」

 真田も心なし強気だ。というよりも、表情を見ると何を馬鹿な事を聞く、とでもいいだしそうな様子である。
 ただ、それは確実に親しい者にのみ向けられるものだ。真雛はふたりが喋っているところを初めて見たが、間に流れる空気を感じて、ああ、やっぱり昔からの仲間なんだなぁ、と、思った。
 そして、銀色の髪をくしゃくしゃと掻きながら、真田の問いに仁王が答えた。

「……………………幸村が自分ちで作った、手作りカップケーキじゃと」

 ぴたり。
 真田と柳生が、凍りついた。
 突然のことに両脇のふたりを伺い見るも、仁王の言葉を耳にしたその瞬間から、みるみる顔色が悪くなっていくばかりだ。

「んじゃ」

 しめたとばかりに、仁王はそのまま大股で去っていった。
 集まっていた視線も、仁王がいなくなったことで次第に霧散し元のざわめきを取り戻していった。

「ちょ、真田?やぎゅー?…え、何?どうしちゃったの」
「あー…いや、なんというか…」
「恐らく私達三人が揃っているタイミングで仁王君を差し向けたかったようですが、ならば他の物でも…よかったのですが…」
「え、何、え」
「…………とりあえず、飲み物を用意してから食べるよう、気をつけろ」

 凄まじく深刻な趣でそう語る真田の様子を見て、手の中にあるこの可愛らしい紙袋がもはや爆発物のような物にしか思えなくなってきた。
 と、いうか、

「……………あの…幸村、君…って……料理、」
「するのは好きなようですよ。あくまで、『するのは』」
「…………」

 どうやら天は二物、三物を与えたとしても、全てを授けるわけではないらしい。
 とりあえず紙袋を机にかけていた鞄の中にしまい込んでおいた。真田と柳生も今食べるつもりはないらしく、鞄にしまっまている。元より文化祭準備期間中とはいえ、授業時間内での飲食をするようなふたりではないが。

「…仁王君も、貰ったのかなぁ、幸村君お手製ポイズンクッキング」
「そんな発言をすると、幸村君が後ろの窓あたりから現れかねませんよ」
「何それ怖い」
「それはさておき」
「ん?」
「以前であれば、頼まれこうして訪ねてはくださったでしょうが、飄々と振る舞い早々に切り上げてしまったと思うんです」
「ああ、仁王君?」
「はい」

 そういって見せたのは、柳生にしては珍しい、はにかむような笑顔だった。
 心底嬉しいというその感情を胸の内に留めつつ、それでも隠しきれずに溢れてしまうような、そんな笑顔が、まぶしい。

「あそこまで地を出してくださったのは、恐らく真雛さんがいたからですよ」
「え?」

 口からは自分が思っていたよりすっとんきょんな声が出た。

「今日までの貴方の努力は、確実に変化を生んでいます。真雛さん、本当にありがとうございます」
「え、なんで私…?」
「ある意味、一年半前のあの時のように。私達が停滞していたものを、動かしてくれたんです。貴方が」

 だから、ありがとうございます、と、柳生が言葉を重ねる。
 今日の仁王のどこを見て礼をいわれているのか正直自分ではよくわからないせいもあるかもしれないが、どうもむず痒い。
 助けを求めるように真田に視線をやるも、真田は口を挟むつもりはないらしく、もくもくと自分の作業を進めている。
 と、そうしていたら、

「真雛達、作業どのあたりまで進んだー?」

 文化祭委員を務めている友人が、何やら色々と書き込まれたルーズリーフを片手にそう声をかけてきた。
 手の中にある、衣装を一度広げてみる。

「うーん…私はまだ上着も終わってない。小道具は、一応しょぼいけど終わったよ。昨日」
「私は衣装の方は七割、と、いったところですね。小道具にはまだ手をつけられていませんが」
「俺はまだ暫く掛かる」

 真雛達がそう答えると、彼女の表情が若干渋いものとなった。

「んー…もうちょっと急いでね、微妙にスケジュール押してるかも」
「うん、ごめんね。今週から来週にかけては運動部、大会でどこも忙しいみたいだしのんびりもしてられないもんねー…あ、はーちゃんも部活の方、頑張ってね」
「うん、ありがと!柳生君と真田君もね!」
「うむ」
「ありがとうございます」

 ひらひらと手を振ると、彼女は近くで作業をしているまた別のクラスメイトに同じ質問を投げかけていた。彼女も、本当に多忙そうだ。

「皆が皆、なかなか忙しい季節に突入したねぇ…亮ちゃんも今週は会えないって言ってたし」
「おや、珍しいですね」
「それが実はあんまり珍しくないんだよ。テニス関係が忙しい時期はどうしても仕方ないでしょ?」
「成る程。では、次はいつ?」




「えーと、亮ちゃんと次ジャヴァネに行くのは、一応再来週の火曜の予定」




□□□□




「……ったく、毎年この時期は必ず書類が不備だらけじゃねぇか」

 机の上に、そしてその近くに数置かれたカラーボックスの中に山のように積まれた書類を見遣り、跡部はひとりため息をついた。
 此処は、氷帝学園高等部生徒会室。高等部に進学した当初からの跡部の城である。今は跡部以外の全員が留守にしているせいか、心なし普段より室内が広く感じられる。元より広めの部屋ではあるが。
 が、しかし。この現状が、今自分が忙殺させられている原因を作り出しているわけなのだが。

「(………圧倒的に、人手が足りねぇ)」

 ホルダーを手に、思わずため息をこぼさずにはいられなかった。
 現生徒会に、副会長は存在しない。
 生徒会長になった際一度募集はかけたのだが、立候補してきた人物らの中に副会長に据えるべき器の者がひとりたりともいなかったため、不在のままとした。副会長のすべき仕事はほぼ全て自分と樺地のふたりで十分に回せているので、なんら問題はないが。普段ならば。
 というわけで、以降、副会長というものはずっといないわけなのだが、それ以外のメンバーは本来ならば今日もこの場所にいるはずなのだ。
 三年の会計係は公欠、二年の書記は流行りの風邪による高熱で早退と、どうにも責めようのない理由で、ふたりの人材を欠いている。この、多忙窮まりない時期に。
 その穴を埋めるべく、庶務の樺地は休む間もなく馬車馬のように働いてくれている。
 なのに自分が泣き言を零すわけにはいかないのだが、いかんせん書類にミスが多い。明らかに殴り書きなものが十を超えた時には、思わず机の上で握りしめていた拳が震えた。怒りに、だ。
 今は国体が近く、運動部全体が忙殺されている。中間試験も近ければ、来月には校外学習、つまり修学旅行と、イベントが目白押しだ。文化祭だって、目と鼻の先に迫っている。
 運動部に所属する生徒であってもその忙しさに目を回しているのが現状であり、文化系の生徒にとってはひとたまりもないだろう。

「(……………そういや、)」

 手に持っていたホルダーにファイリングされた、上から二枚目の書類に目が止まった。
 そこには、今年度の文化祭実行委員の生徒の名がずらりと並べられている。
 その、一番上。
 見知った名前があった。見知った、と、いっても業務的な会話しかしたことはないが、今年度の文化祭副実行委員長は、先月の宍戸が起こした騒動の原因ともいえる女子生徒だ。
 あの騒動がどういう成り行きで収束したのか、跡部は聞いていない。
 自分が知っているのは、結局宍戸の浅はかな嘘が露呈したこと。それに、自分が成田真雛の隠し事を知ってしまったあの日、事態が収束したらしいということ。それだけだ。



「跡部」
「真雛から聞いた」
「頼む」
「お前の利益になることなら、何でもする。地べたに這いつくばって頭を土に擦り付けたっていい」
「だから、」


「あとべ、」
「あとべ、真雛にもう会わないって、ほんと?」
「あとべがそうしたいならそうすればいい」
「でもさ、」




「……………跡部さん、戻りました」
「ああ」

 考え込んでいる内に、樺地が帰ってきた。
 今日すべき事を書き並べたホワイトボードに、そのまま樺地がチェック印を書き込んでいく。次々とチェックボックスが埋まっていくのを目で追っていると、改めて樺地の優秀さを実感する。
 チェックボックスをみっつ残し、ペンの蓋をしめた樺地に、跡部はこう声をかけた。

「ご苦労、樺地」
「ウス」
「あと、」
「何でしょう」



「――――再来週の火曜に、『18:00 成田』と書いておいてくれ」

BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -