「海原祭だぞぉー」

 ぐだんぐだんで、だらんだらん。まるでやる気の感じられない声が教室内に響き渡った。
 声を発したのは、この2年A組の担任教師である現国の野村、通称のむっちゃんである。
 某漫画の某学園パロの天パで銀髪の教師に似ているとよく指摘される彼は、銀髪でもなければ甘党でこそないものの、このけだるさとやる気のなさは異様に似ている。
 かくいう真雛も、教室内でそのそっくり具合を語るクラスメートが、クラス内でそのパロディの小説を回してきた時にそれを読み、ああ確かに似てる、と、納得した生徒のひとりである。そんな感じで噂はまたたく間に校内に広まり、今では本人公認とまでなっていたりする。
 そんな彼のいう『海原祭』とは、この立海大附属全体で催される大規模な文化祭兼体育祭の事だ。
 中等部と高等部、大学部の合同で開催されるこの祭は周辺地域にも評判がよく、また文武両道で名高い立海への入学を希望する学生達、保護者、毎年様々な客層がやってきて、一年の中で校内が最も騒がしく賑やかになる時期である。

「そういえば、もうそんな時期かぁ…真田とやぎゅーも忙しくなるね」
「うむ」
「体育祭の方はともかく、文化祭の方はクラスの出し物と部活の出し物、どちらも掛け持ちですからね。まあこの学校の生徒は八割方部活動に所属しているので、みな条件は同じですが」
「ちなみにその残り二割な私達も、帰宅部は暇だろうってクラスの仕事色々押し付けられるからやっぱり大変だったりするけどね」

 ちなみに、このA組の去年の出し物は『お化け屋敷』と、楽しいながらも何とも準備の大変な出し物だった。
 クラスの面々に、部門優勝する為にどうにか真田に脅かし役を引き受けて貰えないか頼んでくれ、と、土下座の勢いで頭を下げられたのも、あの時はその必死さに少し引いてしまったが、今となってはいい笑い話だ。
 そしてその結果、渋る真田を半ば強引に脅かし役のリーダーに就任させた『お化け屋敷』は、部門別での優勝という栄冠を無事勝ち取る事ができた。一年経った今では懐かしい。

「体育祭の方の割り当てはまた明日のホームルームに決めるとして、とりあえず今日は文化祭の方だ。そんで、去年うちはお化け屋敷やったろ?イベント系の出し物やったから、今年は自動的に飲食系にしなきゃなんねーんだけど…ま、何か思いついた奴、がんがん発言してけよ」

 俺は決まるまでジャンプ読んでるから、と、くぁぁあと大きなあくびをひとつ、担任はついに教卓にも関わらず、堂々とあの週刊誌を取り出し読み耽り始めてしまった。
 そんな担任の姿にブーイングこそ湧けど、それはすぐに笑いの渦にと変わり、仕方ないといわんばかりに苦笑いを浮かべた学級委員ふたりが前へ出た。
 そして、意見だしが始まる。
 隣席の柳生と前に座る真田に視線をやるも、ふたりはどうやら様子見に徹することにしたのか、何かを発言しようとする様子は見られない。
 なので、真雛もひとまずじゃがりこ片手に場を見守ることにした。
 タコ焼きだ、クレープだ、じゃがバタだと次々食べ物の名前があがっていく中、ひとりが言い出した。面白みがなくないか?と。

「…嫌な予感がするのは俺だけだろうか」
「去年よりマシか酷いかはわかんないけど、気のせいじゃないと思うよ」
「むしろ、我が2-Aが再び優勝という栄冠を掴むには、真田君の犠牲は不可欠と思いますが」
「うぬぬ…っ」

 笑顔の柳生が発した辛辣な言葉に、真田はうめき、眉間の皺が更に深くなる。
 そんな間にも、議題は進んでいく。
 去年の引き続きでホラーカフェだ、いやメイドカフェだ、流行りの執事カフェだ。いや、カフェはなかなか売上に繋がりにくくないか。
 ぼんやりと成り行きを見守っていたら、何やらすぐ横の窓の外から物音がした。
 もしやまた誰かが、と、いうよりも、この学校随一のサボり魔である仁王か。もしくは、くるっぽか。すぐにいくつかの可能性が頭をよぎり、真雛はもそもそと立ち上がり窓の外のベランダを覗き込もうとした。
 が、立ち上がろうとした、その時、

「おっし!じゃあ、我が2-Aは『何でもありだぜコスプレかき氷屋』に決定ー!!」

 委員長のその大声と共にクラス中がわっと湧き、真雛はその勢いに負け、すとんと椅子に腰をおろしてしまった。
 斜め前に座る真田の表情はといえば、かなり曇っているように見える。

「………え、なにその『何でもありだぜコスプレかき氷屋』って」
「今から、各々がコスプレするには無理難題でない程度のキャラの名を紙に書き、シャッフルして配り直し、自分が引いたもののコスプレをしてかき氷屋をするらしいです」
「は」
「…引いたものによっては、地獄を見るな」

 ちなみに男女の考慮はないそうだ、と、不快をあらわにする真田が柳生の説明につけ加える。確かに、真田に万が一女性のキャラが当たったらと考えると、彼の不機嫌は道理といえるだろい。
 何でそんな話に落ち着いてしまったのか、話を聞いていなかった真雛にはわからないが、クラス全体の雰囲気を見るに、それなりの盛り上がりを見せているようだ。
 あれまあれまという内にルーズリーフを六等分した紙が配られ、手元には一枚の紙が。
 やんややんやとルールが決められていき、被ったら決め直しだ、あまりに露出が激しいのはペケだ、と、黒板に書かれていくのをぼんやり眺めながら、真雛は一応筆箱からペンを取り出す。

「キャラクターねぇ…」
「とりあえず野村先生は銀魂の派生キャラである銀八の格好をすることに決まったようですよ」
「あの人だったらカツラかぶって白衣着れば、それがそのまんま銀八じゃん」
「適役ということでのようです」
「……やぎゅー、なんだかんだで案外楽しんでない?」
「おや、わかりましたか」
「……………」
「自分に珍妙なキャラクターが当たらない限り、それなりに楽しめる行事ごとかと」

 いや、そんな清々しい笑顔を返されても。すぐ前の席に、そうかと簡単に割り切ることができずへこみきっている真田がいるのだが。まあ、よくよく思い出せば、去年真田がクラスメートにお化け役の頭を頼まれていた時、誰よりも笑い楽しんでいたのもこの男だったが。
 が、しかし、決まったからには仕方ない。そもそも、議論に参加していなかった自分が文句を言えるわけがない。
 とりあえず真田に早く立ち直るよう声掛けをしてから、さて、どうするか、と、紙をじっと見つめて、考える。

「ぬ〜べ〜のゆきめとかセーフかなアウトかな」
「それなりに露出がありますし、アウトと思われますが」
「じゃあここは奇をてらって月影先生とかマリオとか」
「それは大丈夫だと思いますよ」
「…後は、天に運を任せるのみか」
「あ、真田が復活した。げんきのかけらプラスいいきずぐすり!」
「たわけ。だが決まってしまったものを、いつまでも塞ぎ込んでいても仕方なかろう」
「あ、おい真田ー」

 真田がようやくいつも通りの姿勢のよさに、眉間に深い皺こそ寄っているものの立ち直った、と、思った矢先、

「真田はクラスで一番身長高いから、これな」

 教壇に立つ担任が指差したジャンプ内の『それ』に、真田はついにとどめを刺された。
 そしてその一瞬の間の直後、

「「「ぶ……っ!!!」」」

 教室内はこれまでにないほど、湧いた。それはもう、隣のクラスから苦情がくるのではないかというほど、湧いた。
 大爆笑の渦がとどまるところを知らない中、あまりのショックに硬直する真田の手前ひきつった顔をすることしかできない真雛に反し、柳生はといえば教室内で一番笑っているのではないかと思えるほど、全力で笑っている。

「な……っ!!断固拒否させて頂きますぞ!!!!」
「えー似合うと思うんだけどなー」
「何を以っての発言ですか!!」

 声が一部ひっくり返るほどの大声で叫ぶも、どうやら担任教師にはのれんに腕押しでしかないようだ。
 柳生はといえば、ついには前のめりにひぃひぃ言いながら、片手で机を叩き片手で腹を抱えてまで笑っている。笑いのツボにはまってしまったのだろう。こうなると当分笑い続けるに違いない。しかし、酷い。
 そして『それ』はまもなく、担任の権力とクラス中の爆笑という名の多数決により、必死の真田の抵抗むなしく決定事項となってしまったのだ。

「……………」
「あー……そ、その…真田…えーと…」

 親友の身に降りかかった不幸に何とコメントすればいいのか、今真雛は激しく困っている。
 ここまで沈みきっている真田の姿を見るのも随分久しく、基本キャパシティーがはち切れると基本感情が憤怒にと傾きやすい真田にしては、本当に珍しい姿だ。きっとこの一年半の付き合いで、のむっちゃんには何をいっても暖簾に腕押しだということが嫌というほど理解できているからこそ、むやみに拒絶を叫び怒鳴り散らしたりしないのだろう。要するに、何をしても無駄なのだから。
 それに、まあでも『あの格好』は確かに真田の身長があれば映えるだろうなぁ、なんて思ってしまう自分もいないわけではなくて、なおさらかけるべき言葉が見つからないのだが。
 そんな時だった。

「…………ん?」

 真雛の横で、再び物音がした。それも、先程よりも大きく。
 目の前の現状から逃れたい気持ちも大きかったが、真雛は今度こそ立ち上がり、窓を半分開けてベランダを覗き込んだ。
 すると、そこには想像だにしなかった光景が待ち構えていた。

「え、や…柳、君?」
「久し振りだな、成田」

 そこには、窓より低くしゃがみこむ柳の姿と、
 それに、

「おう柳!お前も偵察かよ」
「げ」
「丸井、ジャッカル、お前達もか?」

 柳のように姿を隠すことなく、堂々と建物を横に割るように長く長く続くベランダの向こうからこちらへと歩いてくる、丸井とジャッカルの姿が、そこにはあったのだ。
 真雛が呆然としている内に柳は立ち上がり、やってくるふたりへと悠然と手を振っている。教室内はちょうどキャラクター名の記入で盛り上がっていて、柳達がベランダにやってきていることを気にかけているクラスメートは幸にもいないようだ。
 が、しかしだ。

「……え、ちょ、ええええ」
「落ち着け成田」
「いや、何この状況…と、いうか、え、話したのあの時一回きりだったのに、柳君私の名前覚えてたの?」
「お前は弦一郎と柳生と親しくしているだろう?最近は赤也ともな。お前はあの時以来と思うかもしれないが、俺はあれ以降も何度も何度もお前の名を耳にしてきた」
「へぇ、そうなんだ」
「ああ」
「いやいやいやそうじゃなくて。というか柳君、私さっきもそこで物音聞いたんだけど、まさか結構な間そこいたりした?」
「さあ、どうだろう」
「柳ィー!偵察結果、俺にも教えてくれよぃ!」
「…あそこの紅の豚がいう通り、偵察しにきたとか?」

 苦笑いを返してくるところを見るに、丸井のいう通りなのだろう。
 偵察だなんだという言葉を大声張り上げてしまうとは。それはもはや偵察といえるのか、謎だ。
 真雛が白い視線を向けるのもどこ吹く風といった様子で、奴はやってきた。

「よう、変人」
「よう、紅の豚」
「テメッ!!」
「先に喧嘩売ったのはお前だぞブン太…よ、成田」
「桑原君はいらっしゃいー」
「これこいつも十分喧嘩売ってるだろぃ」
「ま、まあまあ…」

 こいつの肩持つのかよ!と、目を剥く丸井をジャッカルがどうどうと宥める。真雛は今までこのふたりが一緒にいるところを初対面以来あまり見たことがなかったが、確かにひときわ親しそうだ。
 早速鞄から菓子の詰まったビニール袋をいそいそと取り出すジャッカルの姿が、甲斐甲斐し過ぎて思わず涙が出てきそうだ。

「で、柳は偵察出来たのか?」
「残念ながら窓が完全に閉められていたため話が聞こえなかった。何やら弦一郎が叫んでいて、大爆笑が起きるような話になっていたのは」

 そういう柳の視線の先を、その場にいる全員が追う。
 その先には、どんよりと黒いオーラを背負いうなだれる真田の姿がある。と、その後ろの席では、柳生がくつくつと笑い続けている。一同、少しの間言葉を失った。

「で、あれは何が原因なんだ?」
「柳君、さりげなく情報を引き出そうとするのやめようよ」
「偵察の為ではない。弦一郎の友人として、だ」

 ひどく愉快そうな顔をしながらどの口がいう、と、反射的にツッコミを入れたくなったが、相手はそこまで親しいわけでもない柳だ。さすがに控えた。
 そして、真田の方を少し見遣ってから、真雛は僅かながら悩み、こう答えることにした。

「…………一応、企業秘密」

 口を閉ざすのは、クラスの為ではない。
 海原祭当日までの真田を思いやって、である。




□□□□




「だぁーるぅーいぃー…」

 別校舎にある資料室に、過去かき氷の出店を出したクラスの資料を取りに行ってきてくれと頼まれた真雛は、重い足取りで中庭を歩いていた。
 時刻は午後、六限の時間帯だ。
 海原祭の準備期間であるこのひと月の間は、午後の時間帯が準備時間としてあてられる事になっている。
 あれから2-Aではひとまず柳達を追い出し、カーテンを閉めた状態で、キャラクターの抽選が行われた。勿論真田以外の生徒に、である。
 細かい調整もして、とりあえずメジャーなものからマイナーどころまで揃いに揃った。真雛も自分が何のキャラクターの格好をすることになったか決まり、柳生もあるキャラクターに決定した。思うところはあったが、うなだれる真田の姿を見ると、文句を口にするのも憚られた。ある意味あのタイミングでのむっちゃんが真田をあのキャラクターに指定したのは、話がうまくまとまる作戦だったのかもしれない。ただのフィーリングかもしれないが。
 とりあえずそんな感じで誰が何のコスプレをするかが決定したところで、今日の残り時間は過去の資料集めと企画設計に割り振られたのだ。
 一応五限はクラスの出し物、六限は部活の出し物と時間が分けられていて、帰宅部もしくは出し物をしない部活の生徒は必然的にクラスの出し物の作業を引き継ぐことになる。
 これで去年もなんだかんだ忙しいくなり、連日帰りが遅くなったので、海原祭自体はそれなりに楽しみなものの、労力を考えると憂鬱だ。
 はあ、と、ため息をついた、その時だった。

「あ、あのっ!すみませんっ!」

 聞いた事のない、甲高い声に足を止めた。
 そのまま振り向けば、そこにはこれまた見た事のない特徴的なセーラー服を着た、地面ほどもありそうな三つ編みを揺らす少女が立っていて、こちらを見つめている。
 真雛は腕の中の荷物を一旦地面に降ろし、ぐるりと辺りを見回してみたが、今ここにはどう見ても声をかけてきたらしい少女と自分以外の人間はいない。

「私、かな?」
「あ、あの、はい!」

 わたわたと慌てながらも駆け寄って来る姿は、同性ながらも心をくすぐられるようなときめきを真雛の胸にもたらした。
 あれだ。とにかく、可愛い。
 なんだ、この癒し生物は。
 そしてその可愛らしい生物は、相変わらずわたわたとしながら、必死な様子で真雛へと話しかけてくる。

「私と、あともうひとり、ちょっと今はぐれちゃってるんですけど…その、東京の青春学園っていう学校の、中等部の男子テニス部の遣いなんです」
「青春学園?」
「あ、はい」
「……なんだろう、このインパクトのある名前、どっかで聞いたことがあるような…」

 人の顔やら名前やらに関しての記憶力が悪い自覚はあったが、この学校の名前を聞いた瞬間何かがフラッシュバックしそうになったこの悪寒は一体何だろう。

「あ、あの、」
「ああ、話遮っちゃってごめんね、えっと、」
「何やってんの、竜崎」
「あ、リョーマ君!」

 新たな人物が参入してきた。
 真雛の目の前に立つ女子を呼んだのは、身長は柳生ほどあろう、学ラン姿の男子生徒だった。猫っ毛にアーモンドのようにつりあがった目が、ちらりと真雛に向けられる。
 けだるそうにやって来るその男子生徒の肩には、宍戸や真田、柳生で見慣れたテニスバッグ。ただ違うのは、黒字のそれには青い面があり、白で『SEIGAKU』との文字が刻印されていることだ。
 それを見て、ああ、青春学園ってあの『青学』か、と、合点がいった。と、同時に、先程の悪寒は手塚を連想したものかという納得もいった。手塚は昔自分が青学で部長を務めていたといっていたが、また中等部の学生らしいこの少年も手塚を知っているのだろうか。この話を自ら振るつもりはないが。
 そしてその少年がやって来たのを見ると、それまでいっぱいいっぱい、といった様子だったおさげの子の表情が、ぱあっと明るくなった。
 ああ、はぐれちゃってた連れってこの少年のことか、と、思っていたら、

「誰、この人」

 じとりと訝しげな視線を向けられ、ふてぶてしく見下ろされたのだった。
 と、同時に、正面に立つ女の子が一気に青ざめる。

「リョーマ君、先輩だよ!」
「そーだそーだ、先輩だー」
「………で、竜崎、その変なセンパイ何なわけ」
「リョ、リョーマ君!」
「いいからいいから、ね」

 いつまでたっても話が進まなさそうな雰囲気を感じ取り、大人の対応をすることにした。何といっても先輩なのだから。普段使わない気を使ってみたも、それを少年が感謝する様子は勿論ないが。女の子が心底申し訳なさそうに頭を何度も下げるからよしとしよう。

「あの、私達、立海の男テニの部室を探してるんです」
「男テニの部室?それだったら、」
「あんた、部室の場所知ってるの?なら話、早いじゃん」
「「え、」」

 すると少年は、女の子の腕の中からするりと茶封筒を引き抜くと、

「後はよろしく、センパイ」

 真雛が地面にとおろしていた荷物の上にそれを置いたのだ。

「え……」
「リョ、リョーマ君駄目だよ!そんな、」
「だって、この人部室の場所知ってるんでしょ?なら俺達が来客窓口で手続き踏んで部室を探すより、この今日中に渡さなきゃな書類、ずっと早く届けられるじゃん」
「えええええ…っていうか、君達手続き済んでないの?」

 真雛がそう尋ねた途端、女の子の肩が跳ねた。
 あれ、何かまずいこといったかな、と、内心後悔していると、案の定顔を真っ青に染めた女の子は、いっぱいいっぱいといった様子でこう弁解を述べてきた。

「リョーマ君は、悪くないんです…!私、本当にそそっかしくて、それで、迷子になっちゃって…!」

 今にも泣き出しそうなその声色、必死な様子に、何か特別悪いことをいったわけでもないのに良心がちくちくと自分を攻撃してくる。
 困り、助けを求めてリョーマと呼ばれた少年の方に視線を向けてみると、彼は何故かただじっと真雛の方を見つめていた。
 そしてその表情を見て、悟る。

「(こいつ、確信犯か…!)」

 真雛の心の叫びが伝わったのか、顔をひきつらせる真雛に対し、リョーマはニヒルに笑ってみせた。
 男テニならば赤也や長太郎のような可愛い後輩もいるというのに、なんという可愛いげのなさだ。
 が、実際真雛に選択肢はない。

「わかったよ、えっと…リョーマクン?この子の可愛さに免じて、センパイが引き受けてあげるから」
「ありがと」

 可愛いは否定しないんだ、と、密かに思った真雛に対し、リョーマはそれならばもう用はないといわんばかりに背を向ける。が、女の子はどうしよう、と、いわんばかりに眉を下げて未だ慌てふためいている。

「帰るよ、竜崎」
「え、で、でも、」
「帰りにクレープ屋、寄りたいんでしょ」

 ふい、と、竜崎と呼ばれた女の子に背を向けてリョーマがそういうと、女の子の顔が一気に真っ赤に染まる。頭から湯気も出かねない勢いだ。

「で、で、でも、」
「いいのいいの、ふたりとも気をつけて帰るんだよー」

 なるほど、このふたりカップルか友達以上恋人未満か、なんて冷静に分析しながら、お礼を繰り返す女の子と相変わらずけだるそうなリョーマの去っていく姿を見送っていたら、なんだかこちらまで幸せな気持ちで胸がいっぱいになってきた。
 が、しかし、

「………テニス部への書類、か」

 残されたのは、そんな胸の温かさをぶち壊す爆弾だ。
 もしかしたら女子の方かもしれない、という期待も、封筒に書かれている『立海附属高等部男子硬式テニス部様』という文字に打ち消された。
 帰りに真田か柳生に渡してしまう、と、いう考えも過ぎったが、今日はもう五限でホームルームを終え解散となっているので、帰りの時間が大きくずれ込むことも考えられる。
 それに、部活が終わったばかりの人間に、大切らしき部活の資料を渡すのもいかがなものだろうか。リョーマは『今日中に渡さなければ』と、いっていたのだ。
 結論として、

「……渡しに、いく…か……」

 妙なところで律儀な自分が恨めしい。
 大きなため息をひとつこぼし、荷物を持ち上げる。
 これを教室に運んですぐ部室に向かえば、確実に六限の時間内にこの封筒を渡すことができるだろう。むしろ、海原祭のミーティングをしているだろう六限の時間内に届けなければ、活動日ではない彼らにこれを届けることができない。それなりに、急がなくては。
 荷物を担ぎ、歩き出して、そのまま教室へと向かいながら、考える。

「(でも、部室……かぁ)」

 思い起こされるのは、勿論はじめてあの場に足を踏み入れた、あの日のことだ。
 ぼろぼろ零れていく涙を拭く事もせず、ただ泣き続ける幸村に、真雛はただ呆然と立ちつくすしかできなかった。
 子どものように泣き顔を隠すこともなく、ただ声をあげながらぼろぼろと涙をこぼしていく。そんな幸村の姿が脳裏によみがえり、どんどん気が重くなっていく。
 思えば、あれ以来幸村とは会話らしい会話はしていない。一度花壇で会った時も、すぐ真田と跡部がやってきた。
 今日部室には、当然部長である幸村もいるはずだ。

「(…………………気が、重い…)」

 早くも、逃げないという先日の信条が揺らぎそうになった。
 頼むから真田か柳生のどちらかがいてくれ、と、心の中で願掛けをしつつ、真雛は足を速めるのだった。

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