「…………あれ、」

 ふと、膝に埋めていた顔を上げて、驚いた。
 自分は確かに、ジャヴァネにいたはずなのに。
 宍戸やジロー、真田や柳生が、側にいたはずなのに。
 今自分の目の前には、ずらりと横に広がり、縦に列を成す赤い布地の座席の数々。それは目の前のみならず後ろにも続いていて、自分はそのひとつに体育座りをしていたようで。
 そして最前列より先にある大きな大きな舞台を見て、ああ、ここは劇場か、と、寝起きのせいかぼんやりした頭で、ようやく気づいた。
 ぐるり、と、周囲を見渡す。
 客席には自分以外誰もいない、と、思ったら、数列前の一番右端に、さっきまでの自分と同じように、膝を抱えて顔を埋めている人物がいた。
 それに、劇場の出入口の扉の前にも、誰かがこちらに背を向けて立っているのが見える。見知った人のような気がしたが、なぜだか誰なのかはわからなかった。
 が、真雛その人物達の元に行くでもなく、座席の上で膝を抱えたまま、ふと天井を見上げた。
 ボックス席より更に上、天井には天の絵が描かれていて、その中心には、それは大きなシャンデリアが吊られている。
 まるで、 

「(オペラ座、だ)」

 そう思った次の瞬間、

「……………ファントム」

 何もなかったはずの舞台上に、それは現れた。
 一瞬人かと思ったが、違った。
 舞台上にあるのは、洋服をかけるスタンド。そしてそれにかかっているのが、黒いマントに黒いシルクハット。それに、右半分の顔を覆うだろう白い仮面だった。
 それは、間違いなくミュージカル『オペラ座の怪人』に登場する、ファントムの衣装そのものだ。

「…舞台が見れるわけじゃ、ないんだ」
『何故私が演じなければならない。演じるのは、君達役者だろう』

 仮面が喋る。
 他のふたりは、真雛と仮面のやりとりなどまったく聞こえていないようで、何の動きも見せない。

「私達が、役者?」
『そうさ』
「私、役者じゃない」
『役者さ』


『人生という名の、ね』

 そのまま、ぷつん、と。
 『夢』は、自分達四人を置き去りに、終わった。





「わー!」

 天井の青を基調としたステンドグラスから差し込む光が、自分達と足元の床を照らす。
 地下に新しく建設されたこの劇場のコンセプトは『海の中』であり、真雛達が今立つこの広間も、至る場所にそれを感じさせるデザインや色使いが為されている。
 この広場は劇場ロビーに続くだけではなく、隣のショッピングモールや続いている。むしろ、そこの施設の一環といっても過言ではないだろう。こちらの劇場が後から付け足されたものなので、勿論ショッピングモールに足を踏み入れれば、『海の中』なんてコンセプトはかけらも見当たらない。
 が、今日自分達は、ショッピングモールを目的にやって来たわけではない。後で時間があればショッピングモールの方も覗くかもしれないが、用事があるのは劇場だけだ。
 だからこそ、右に立つ真田も、左に立つ柳生も、そして自分も今日は休日らしく各々私服だが、普段近場に出かけたり家族連れの多いショッピングモールを訪れるような格好ではなく、比較的かっちりとしたよそ行きの格好である。
 あの騒動の翌々日である、祝日の今日。
 自分達三人は、跡部との騒動より、宍戸の偽彼女騒動より、仁王との対決より以前から予定していた舞台を観るため、ここへやってきた。

「初日の空気ってやっぱりいいねぇ、なんかこう、盛り上がりきってる感じ」
「ええ、これもみな発売日に朝五時からチケットセンターに並んでくださった真田君のお陰ですね」
「まあな、大したことではな、」
「「おお、さすが皇帝!次も頼みます!」」
「……お前達、俺の辛抱がいつまでも続くと思うなよ」

 早速額に青筋を浮かばせた真田を見て、慌ててフォローに入る。
 こんな公共の場で怒鳴られたらたまったものではない。

「嘘だよ真田ー本当に感謝してるよ心から。だって私じゃあどうやっても起きられないし」
「私も冗談ですよ。すみません、つい」
「次から役割分担ではなく順番制も検討するぞ」
「いや、絶対今のままが効率いいよ絶対、うん、ね、やぎゅー」
「そうですね、真雛さんが比較的仕事が少ない方がうまくいくと思いますし」
「やぎゅー…」
「何でしょうか?」

 爽やかな笑顔に圧され、もはや何の言葉も見つからなかった。
 だが、実際今の方が上手くいくのは目に見えている。
 柳生が新しい舞台に関する前評判やチケット価格などの様々な情報を調べあげ、朝に強い真田が発売日に販売店へと並ぶ。
 真雛の仕事は、万が一真田がチケットを確保できなかった場合の、チケット譲渡情報サイト巡り及び知人を通してのチケット確保。または、何かしらの用で公演に行けなくなった場合の、チケットの譲渡先を探す係である。
 要するに、特殊ケースが発生しない限り、真雛に仕事はないのだ。

「真雛さんに発売日のチケット確保を任せて、真田君は本当に上手くいくと思いますか?確実に寝過ごすと思いませんか?例え時間通りに起きれたとしても、真雛さんの魔法のひと言『めんどくさい』で全て片付けられてしまうとは思いませんか?」
「ム……」
「もういいって、真田も真剣に悩まなくていいから…!」

 私が悪うございましたーと棒読みすれば、悪い自覚があるなら正す努力をしろ、と、真田に軽くぺしりと頭をはたかれる。そっぽを向いて鼻歌を歌えば、背後から大きなため息が聞こえてきた。
 そんなにため息ばっかりついてると余計老け込むよ、とは、思っても口にはしない。少なくとも自分と柳生と友人をやっている限り、真田のため息は減らないという妙な自負もある。真田には申し訳ないが。

「さて、」

 そう口を開いた柳生に、真雛と真田は首を向けた。
 口元だけ微笑みをたたえ、柳生が続ける。

「昨晩そんな貴方が、わざわざ待ち合わせ時間を三十分早くしてくれ、なんて申し入れてきたからには、話があるのでしょう。ちょうどベンチもありますし、この広場で如何ですか?」

 喫茶店なんていう場所も、案外隣席の人間に話を聞かれているものですし、と、笑う柳生の視線の少し先で、ちょうど親子連れがベンチから離れて歩きだす。
 確かに、祝日の広場は人が絶え間無く行き交い、わざわざ話を盗み聞きされる、ということもなさそうだ。
 真田にも無言で視線を向けられ、じゃあ…と、植え込み前のベンチの中央に腰をおろした。
 続いて右に真田、左に柳生が腰をおろし、三人横に並ぶ形となった。
 がやがやと賑わう人混みの中、なんともいえない沈黙が流れる。
 ――――柳生の、いう通りなのだ。
 待ち合わせ時間を三十分早めたのは、観劇するより前に話をしたかったからだ。
 どうやって、切り出そう。
 早く、口を開かないと。
 ふたりは急かさない。ただ、真雛を待っている。
 それが、本当にありがたかった。

「……言葉が、あんまりうまくいかないというか、思ったことを並べるから、ちょっとめちゃくちゃになるかも」
「何を今更。お前の日本語はいつも乱れているだろう」
「あはは、そうだね」

 横並びで顔が見えない分、反応が見えずらい。ただ、既にいっぱいいっぱいな自分にとっては、それでよかったのかもしれない。
 もしかしたら、そこまで見越してこの場所を提案してくれたのだろうか。
 そうだとしても、そうではなくても。
 やっぱり人に恵まれてきたなぁ、と、思わざるをえないのだ。
 そう自覚した途端、肩が少しだけ軽くなったような気がした。

「――――今日まで私、ふたりに何も話さなかった。ふたりに関係することなのに、話さなかった」

 真っ直ぐ前を、行き交う人達の方を向いたまま、そう切り出した。
 そう、何も話さなかったのだ。
 仁王に話し掛けられ、敵意らしきものを感じて。
 赤也からテニス部のそう遠くない過去を聞いて。
 幸村に突然部室に連れていかれ、彼の懺悔に似た言葉を聞いて。
 ジャッカルに励まされ、仁王を呼び出し喧嘩を売り、丸井に部外者じゃないだろうと笑われた。
 その間、そしてそれから後も、これらの出来事をふたりには話さなかった。
 赤也が、テニス部が恐れられていたのは自分のせいだと泣いた時ですら、いえなかった。未だ親しいとはいいがたい仁王には、話したくせに。

「最初は言い出しづらかったから、言えなかった」

 今考えれば、負い目だったのだろうか。
 最初に言い出せなかったのは、仁王が真雛の能力のことを探っていたからだ。話せば、必ず真雛の秘密を守ろうとしてくれる柳生と真田のふたりと仁王の間に確執が生まれてしまう、そう思った。
 そして、仁王の『おれのいばしょ、かえせ』の、ひと言。
 私は何か関係しているの?と、そのひと言をふたりに聞くのも、怖くかった。
 それに、

「昔のテニス部のこと、ふたりが私に言わなかったのは、きっとふたりは私に言う必要がないと判断したか、それとも言う覚悟が持てなかったからか、どちらかだと思った。なのに私はふたりの全く知らないところでそれを知っちゃったから。だから尚言い出しづらかった」

 あの日を、赤也と話をした日を思い出す。
 男子テニス部の一部部員から部員へと代々伝わる旧校舎の部室Bで、のことだった。
 仁王に何故自分は恨まれていたのか。
 自分は本当に意図せぬところで、恨まれるに値するようなことをしてしまったのか。
 もししてしまったならば、それが真田や柳生を傷つけてしまったのか。それが、知りたかっただけだった。
 だから赤也の口からテニス部レギュラーが過去この学校でおかれていた状況を聞いてしまった時は本当に驚いたし、酷く後悔した。

「普段だったらきっと、そのまま何も聞かなかったことにして過ごしてたと思う。きっといつかふたりが話してくれるだろうし、昔のことをわざわざ聞く必要なんてない、そう考えて」

 きっと、時が、沈黙が、勝手に解決してくれると思っただろう。
 それがただの怠惰であることがわかっていても。
 本当に自分が関与していないことであったならば、確実にそうしていたに違いない。
 だけど、

「でも、最初に話の触りを少し知った時、私が関係してるような、そんな感じのことを聞いたの。だから気になってた。このまま何も聞かなかったことにするのは、駄目だって、思った」

 その時はじめて、すぐ横にある柳生の肩が跳ねた。視界の端に写る真田も、ぎょっとした様子で目を見開いている。
 誰、とは、例え気づかれていたとしても、この場においてまで話すつもりはない。きっと悟られてはいるだろう。
 長い時間かけて練り上げたような憎悪の固まりを、あのナイフのように切れ長な目で一心にぶつけてきた、彼だと。
 今回の全ての始まりは、彼だった。
 彼のあの発言から、考え、悩み、ぐうたらな自分が動くこととなった。

「そうしたら意図的な接触でも予期しない接触でもだけど、テニス部の人達の一部から、その時のことや今のこと、どう思ってるか聞いたんだ。それで、その人達が苦しむのも、真田とやぎゅーがそのことで心を悩ませてるのも、やだなって、勝手に思ったんだ」

 赤也は、しょげていた。テニス部があんないわれを受けるようになったのは自分のせいだと、悔いていた。
 丸井は、荒れているのだろうか。昔を知らない自分にはわからないが、前はもっと気さくで頼りになる兄貴のようだったと、赤也はいっていた。
 ジャッカルだって、無理して笑っていた。自分だってつらいはずなのに、しょげる真雛や丸井のフォローに徹し、優しくしっかりした言葉の数々に勇気づけられた。
 柳生も真田も、仁王が大切だと言った。仁王を追いかける自分の背を押してくれた。
 幸村も、過去の自分、そして現状に正面から向き合っていた。ずっと、誰に話すでもなく、この一年半もの間。

「あまりにもみんな真っ直ぐで、自分や現状に正面から向き合ってもがいてて、自分と違い過ぎて驚いた」

 自分は、動植物の言葉が理解でき、意志疎通を図ることのできる特殊な力を持っているから、と、何度自分を甘やかしただろう。
 これが他人と自分との常識をずらし、マイナス要素になるから。
 人と違うと疎まれるから。
 だから、人とは関わりすぎない方がいいと。熱心になり過ぎるのも、我を忘れ何かの拍子で能力が人に知れることに繋がるからよくない、と、何度自分にいい聞かせてきただろう。
 そうやって、自分の怠惰をどれだけ正当化してきただろうか。
 だから、驚いた。
 衝撃的だった。
 失敗があろうと、悔いがあろうと、恐れがあり立ち止まったとしても、ひたすら前だけを見つめ続ける、あの姿勢に、眩しさでくらみそうになった。
 そのまま眩しさに目を瞑ってうつむけば、いつもの通り。何も変わらない。それは、とても楽なこと。
 だけど、

「自分とは違うその姿が、すごくかっこよく、見えたから」

 あの姿に、憧れてしまったんだ。
 同時に、恥ずかしく思った。

「だから私も、何か出来るかなって、思ったんだ」

 だからこそ、時が経ってもふたりに何もいえなかったのかもしれない。
 ふたりは、確かにアクションこそおこせなかったかもしれない。
 それでも、ふたりも確かにそんな自分達に対して真摯に向き合い、悩んで苦しんでいた。テニス部は皆そうだった。つらくて、苦しくて、にっちもさっちもいかなくなったって、自分自身から目を背けるようなことは、絶対にしない。
 真っ直ぐ物事に向き合うことすら長らく放棄していた真雛にとって、それはどれだけ眩しかっただろうか。
 それに、仁王に関してだけではない。
 自分の秘密が知れた時も、真雛は逃げようとしたのに、ふたりは真っ正面から向き合ってくれた。
 それぞれに考え抜き、そして、信頼をくれた。
 どれだけ、救われただろう。
 どれだけ、
 本当に、どれだけ、

「きっとたくさん気づいてたのに、何も聞かないでくれてありがとう。それどころか、背中も押してくれた」

 だからこそ、真雛は仁王と正面からぶつかることができた。覚悟をすることが、できた。
 結論として、真雛に居場所を奪われたという彼に真雛は、恨まれても真田と柳生と友人になったことは謝れないと、そう答えた。
 これだけは、譲れなかった。
 直接的な原因を作ってしまったことにこそ罪悪感を覚えはしたが、このふたりと友達になったことに何の後悔もなければ、当然それを謝るなんてことはできなかった。
 仁王に比べれば、過ごした年月も時間も、ずっと浅い。性別だって違う。
 それでも、ふたりは真雛の親友はふたりなのだ。高校生になって神奈川にやってきてできた、何よりの友人なのだ。
 だから、怒られたとしても、悲しまれたとしても、呆れられても、
 今、ここでわだかまりは拭いきりたい。

「長い間、本当にごめんね。何だっていわれる覚悟、一応、してる。ふたりにも、いいたいことをいってほしい」

 ここでようやく、動かし続けていた口を止めた。
 通り行く人の中でも、ちらりちらりとこちらを見ていく人は少なくない。きっと、休日の明るく賑やかな空間の中、このベンチに座る三人の間に流れる重々しい空気を感じ取ってのことだろう。
 柳生と真田は、口を開かない。
 真雛も顔を上げて両隣を見る勇気もなかった。
 ここまできたら、もうふたりの言葉を待つしかない。
 人が行き交う様が、余計時間の流れを速く感じさせる。

「長い間、何も話すことができなかったのは…むしろ私達の方です」

 小さく聞こえた言葉に、顔を上げた。

「…貴方は既に一年半前のあの日、私に答えをくれていたというのに」

 眼鏡のレンズの奥の目は、長い睫毛と共に伏せられている。

「理由こそ話していなかったものの、私に近づくなと、私に近づかない方がいいといった方々の言葉も、受け付けなかった。それから暫くして真田君と知り合った時も、相手を判断をするのは噂ではなく自分だと、貴方がそういっていたのを覚えています。なのに、」

 そこで、ひと息置かれた。

「私は、昔の話をするのが怖かった。それが原因で貴方に嫌われるのではないかと、怖かった。そんなことは有り得ないとわかっていたのに」

 怖かった、と、はっきりと柳生の口からその言葉が出てきたことに、むしろ驚いた。柳生は普段、真雛や真田に比べれば、比較的自分の感情や思いを直接的な言葉で口にしたりは、なかなかしない。
 けれど、とても柳生らしい。そうも思う。
 真雛が打算も何もなく思いの丈をストレートに話したから、自分もストレートな言葉を返す。親しい友人であれ、自分に対してであれ、フェアを好む柳生自身が定めたルールに従う。意識せずとも、それが身に染み付いている柳生らしい言葉であり、やっぱり柳生らしくもない言葉だ。
 でも、今は柳生らしかろうと柳生らしからぬことであろうと、いいのだ。
 ただ、こうやって腹を割って話せる関係が築けているということ。そして、自分との関係が崩れてしまうかもしれないことが怖かったといってもらえることが、とても嬉しく感じてしまう。

「仁王君が真雛さんに接触したのも、あの宍戸君の騒動以前には気づきました。おそらくその接触があった頃、真雛さんが何か思い悩んでいたことも感づいてはいました。それでも、何も聞けなかった。真雛さんが私達に何も言わないことで、昔の事が知れてしまったのだろうという確証も得ました。…正直、」

 そういって、座ってからはじめてこちらを向く柳生と、目が会う。
 すると柳生は、眉根を少し寄せ、何ともいいがたい苦笑いを浮かべた。

「知ってしまったとしても、知らない振りを押し通すのだろうと思っていたんですよ」

 そう考えるのも、最もだ。真雛も苦笑いを返した。
 実際真雛は自分が関わっていないのならば、何も知らない振りを押し通すつもりだったのだから。
 が、次に出てきた言葉には驚かされた。

「だけど貴方は、私達の目を盗んで最も避けたいだろう仁王君に会いに行った」
「え、なん、で知って…」
「その当日の部活で、丸井君から真雛さんが昼休み仁王君を探していたらしいと伺いました。クラスの方からの情報だとか」
「あ、の、紅の豚…!」

 脳内で丸井がけろりとした顔をしているのが浮かび、握りしめた拳に力が入った。
 人が何のために柳生と真田のいない時を見計らって、あの教室に仁王を探しに行ったと思ってるんだ。いや、真雛がふたりに仁王のことを隠していたことだって知らないだろうから仕方ないといえば仕方ないのだが。
 詰めが甘い、と、反対側に座る真田がぺしりと軽く頭をはたいてきた。が、反論できない。
 そんな真雛と真田の姿を見て、ここに腰かけてから柳生がはじめて笑った。苦笑いではなく、小さく吹き出すような、そんな笑い方で。

「驚きましたよ」
「……………うん」
「しかも、それからしばらくすると、今度は突然仁王君と友達になってみせる、なんて言い出すんですから」

 確かに、と、それを告げた日のことを思い出す。
 屋上で仁王に喧嘩を売った日の、翌日の朝だった。
 遅刻魔である自分にしては珍しく、朝練を終えてから教室にやってくる真田と柳生より早く、自席へと着いた。普段真雛がホームルームに間に合うか間に合わないかを賭けているクラスメイト達が、目を白黒させて驚いていた様子が今でもはっきりと思い出すことができる。
 案の定、ふたりもとても驚いていた。
 何かあったのか、と、尋ねてきた真田に、私仁王君と友達になれるよう頑張ることにしたや、と、告げると、硬直された。
 その隣にいた柳生は、と、いうと。
 真田と同じく驚嘆と、それと、怒っているのかと見間違うほどの負の感情と、様々な思いが複雑に混ざり合った、そんなしかめっつらを、あの時確かにしていた。

「傷つくんではないかと、今まであれだけ人との深い関わりを煩わしく思っていたのに急に大丈夫なのかと、心配もしました。勿論、仁王君の心配も。」
「うん」
「―――――ここ最近の葛藤を端的に述べる事は難しいですし、これはまた後に話すとして、今回はこの辺りでひとまず簡単に締め、残りの時間は話したくて仕方ないといった彼に譲るとしましょう」

 ちらり、と、真雛の向こうに柳生が視線を向ける。
 その視線の先にいるのは、勿論もうひとりの親友だ。
 そして、視線がゆっくりと真雛に戻される。
 あの時のようなしかめっつらではない。弟や妹、後輩に向けるような、いうなれば、やれやれ仕方ない、といわんばかりの笑顔で、だけれど強い眼差しで、こう締めに入った。

「貴方に心配をかけられるなんて、もう慣れてはいますが、」
「…うん」
「跡部君についてはさておき、仁王君の件は、もう私も黙っているだけではないですよ。貴方は私達を見て変わりたいと思ったと言いますが、私だって努力する貴方を見て、変わりたいと思った。私だって、動きます」

 言葉のひとつひとつを噛み締めるように、紡がれる言葉は、固く重い。だけど、真雛が眩しいと感じた、あの輝きを放っている。
 そして、そんな風に思っていてくれたとは知らなかったし、こうやって言葉にされなかったら気づくことだってなかっただろう。

「………そっか」
「そして、またこうやって時々は思っていることを話してください、頼ってください。貴方は、私の親友でしょう」
「…!柳生が!デレ、」

 と、思わず声のトーンが上がってしまったところで、口を塞がれた。
 当然、てのひらで口を覆う、なんて可愛らしいものではない。正面からの鷲掴みである。勿論笑顔もどす黒いものへと瞬時に切り替わった。

「ふぃふぉい…っ!!」
「公共の場所で騒ぐのは如何なものかと。ねえ、真田く、」






「―――――――――たるんどる!!!!!!!」






 低く、だが腹の底から力の限りを尽くして放たれたその怒声に固まりついたのは、当然真雛と柳生だけではなかった。
 道行く通行人の喧騒も、その剣幕にて瞬時にして掻き消された。一時、館内を流れる明るい音楽とアナウンスだけが、その場の音の全てとなる。





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