「お前は、その力を忌み嫌い過ぎてはいないか?」

 始まりは、真田の一言だった。
 その能力を持ったことを憎んだり疎ましく思い続けるより、世の為人の為、そして人に虐げられる動植物の為に有効活用すべきだと。
 それまで同じようなことを言われたことは、何度かあった。
 でも、とにかく自分はこの能力が人に知られてしまうかもしれないような危険な橋は渡りたくなかった。
 だから、何もしてこなかった。
 けれど、有効活用しよう、と言ったそれを実行に移す手段を用意してくれたのは、真田が初めてだった。そして、能力が人に知れてしまうような危険性をできるかぎり排除しようと、尽力してくれた。
 真田だけだった。
 真田はいつも、閉鎖的で閉じこもりがちな私を、前へと、外へと進めようとしてくれていた。自分には何のメリットもないのに、私の為に全力で。
 だから私は、正直乗り気ではなかったけれど、やってみようか、と、重い腰をあげてみようと思えたんだ。
 柳生と真田と親しくなるより以前、立海の周辺の地域で犯罪がたて続けに起きた事があり、その時私は『人間じゃない友人』から偶然首謀者らの話を聞き、それを公衆電話から警察へと伝えたことがあった。私は知らなかったけれど、あれは随分警察内で話題となったらしい。真田いわく。
 それをしよう、と、真田は持ち掛けてきたのだ。
 たくさんの動植物から様々な情報を聞き出して、警察の世話になるべき人物達の現在の居所をつきとめた。そして、真田から私の事情を説かれた警察関係者の真田のお祖父さんから渡された携帯に、適当に激ダサヒーロー、なんてうさんくさい名前を名乗り、通報した。
 そして、悪事を働いた人間が、逮捕された。

「お前の力があったからこその快挙だ」

 そう笑って、頭を撫でてくれた手と、笑顔と。
 その横で同じく笑ってくれた、もうひとりの親友と。
 言葉が見つからなくて、うつむいて、でも、
 ―――――嬉しかった。
 ニュースを見て、コメンテーターに自分が評価されていたことが。それからも、自分の通報によって、監禁されていた子供を救い出せたとか、殺害計画がたてられていたけれど未然に防げたとか、麻薬密売取締に大いに貢献されたとか、そんな言葉が画面に並ぶのが、本当に嬉しかった。
 ずっと、嫌でしかなかったのに。
 ずっと、苦痛だったのに。
 この時、はじめて。
 はじめてこの能力を持っていたことを、肯定的に考えられるようになった。
 それからも真田とやぎゅー、真田のお祖父さん、そして何より人間じゃない友人達の協力を得て、私は『激ダサヒーロー』という謎の情報提供者である事を続けてきた。細心の注意を、払って。
 きっと、こうやって少しずつ、頑なになっていた心の壁が壊れていくんだって。
 ただただ閉じこもるんじゃなく、信じられる人達と世界を形成していくんだって。
 無駄な自己否定をやめられるって。
 そう思えるように、なって。
 ―――――――でも、
 私の胸の奥の隅には確かに、あの日の私が残っている。
 布団に包まり姿を隠し、部屋に閉じこもり外の世界を閉ざし、ただ毎日を泣いて怯えて嘆いて過ごしていた、幼い日の私が。私が決してあの頃を忘れないようにと、時折布団から、部屋から、這い出るようにして、声をあげる。
 逃げなきゃと、心の隅で叫び続ける。
 外は怖いと、もう傷つくのは嫌だと、泣き続ける。
 それじゃ駄目なんだ。
 それじゃあ、もう駄目なんだと、気づけたんだ。ただひたすら前を見つめるあの人達の姿に教えられたんだ。
 大切な友達の姿を見つめ直して、改めて、思ったんだ。
 逃げは、何の解決にもならない、と。
 じゃあ、何で逃げたの?と、幼い頃の自分が尋ねてくる。あの青い目の男の子から、どうして逃げたの、と、尋ねてくる。
 逃げは、何の解決にもならないというなら、じゃあ何で逃げたの、と、尋ねてくる。
 私は、どうして何も答えることができないんだろう。




□□□□




「…此処、ですね」
「ああ」

 時計の短針が、九時を少しだけ超えたばかりの時間に、柳生は真田と共に、ようやくその店の前へとたどり着いた。
 宍戸から電話を貰ってすぐ、自分達は神奈川県にある各々の自宅から、全力で走り、電車に飛び乗り、乗り換えの駅でまた走り、最寄り駅からまた走り、本来一時間半強はかかる道程を一時間という時間に短縮し、今ようやくここへとたどり着いたのだ。
 そして最寄り駅のホームで真田とはち合わせ、宍戸から送られてきた地図の画像と道を見比べながら、そうして今ここにいる。真雛からよく話は聞いていたが、柳生と真田がこの店を訪れたのは、これがはじめてだ。
 地図を目で追い、自分達がたどり着いたのは、住宅地の中にある小さな古びたカフェだった。
 外から見る限り、教室ひとつ分の広さもないように見える。住宅地の中で主張し過ぎない、でも洒落た外観で、雑誌でよく見る隠れ家のようなシックなカフェだ。
 店の前には様々な花々がプランターで育てられていて、扉の横にはメニューが貼付けてある木製の板が吊られている。どうやら紅茶を売りにしているのか、メニューには数々の紅茶の種類が見られる。
 確かに真雛がすきそうだな、と、店の外観を眺めながら、柳生は静かにそう思った。が、焦る心が落ち着くことはない。
 真雛の携帯を使った宍戸から、『真雛が大変だからとにかくここに来てくれ』といった文面のメールが送られてきた時には、本当に驚いた。
 何が起きたのか詳しい説明が欲しかった。
 でも、それよりも、気持ちが焦って、頭より体が先走った。
 気づけば財布と携帯を片手に部屋着のまま家を飛び出していて、普段ならしっかりセットしている髪も乱れたままで、電車の中でガラス窓に映る自分の姿を見て、慌てて手で直すことになった。
 何が起きたんだろう、どんな状態なんだろうと、ずっとそればかり考えここまで来たのに。
 今になって少しだけ、
 この中に入るのが怖いと、そう感じてしまう自分がいる。
 本当に、真雛が心配なのに。
 何あったなら、助けになりたいのに。
 ―――――どうしても、頭の中に、自分のパートナーである銀髪の彼が、過ぎるのだ。

「(…もし、仁王君が関係していたなら、)」

 自分は、どうすればいいのだろうか。
 鈍痛に近い頭の重さで、自然と足元に視線が落ちていく。
 が、悩んでいたところで、とにかく話を聞かない限り、何も始まらないのだ。
 重い頭を上げ、再び扉横のメニューに視線を戻した。
 メニューの上には、小さな木製の看板が掲げられている。
 『Javanais』と、その店の名が宍戸から送られてきたメールに書かれた名と同じであることを確認し、隣に立っていた真田が『Close』のプレートがかけられている扉をノックした。
 すると、中から宍戸の答える声が聞こえてくる。
 それが聞こえと同時に、柳生は心を決め、扉に手をかける。
 ノブを引けば、からんからん、と、ドアベルが鳴り響いた。

「ああ、君達が真雛ちゃんのお友達ですね」

 いらっしゃい、と、柔らかな物腰で現れたのは、サンタのような白ひげに老眼鏡が特徴的な初老の男性だった。
 このカフェ『ジャヴァネ』を経営している駿河清張と申します、と、深々と頭を下げてきた彼に、柳生もつられて深々と頭を下げ、自分も名を告げた。真田も、腰を直角に曲げ名を名乗る。
 柳生の記憶が正しければ、この男性は真雛がマスターと呼び慕っている人物だ。
 マスター店閉めさせちまってほんとごめんな、と、柳生が見たこともないようなバツの悪そうな表情で頭を下げる宍戸も、真雛と同じようにこの男性を慕い、この店に長らく通う客だったはずだ。確か。
 店内は、外観に比例してこじんまりと、だけれども趣向が凝らされた居心地の良い空間だ。
 アンティーク調の店内には、テーブル席はななつしかない。カウンター席も、並んでいる椅子の数を見る限り四人が限界のようだ。外と同じように観葉植物もたくさん置かれていて、置き人形や小箱、ロンドンの地図や古い映画のポスターといった雑貨もところどころに見られる。
 柳生が最も目を引かれたのは、そんな洒落たインテリアの中に主張しすぎず飾られた、額に入れられた何枚もの写真の数々だ。
 何かある度に常連客と撮影しているのか、店の何周年記念というものもあれば、中には『亮君の断髪記念』なんてものまであった。写真の中央にはあの一番熱かった中学三年生の夏の、あの頃のままの姿の宍戸が気恥ずかしそうに写っている。
 後列にはこの店の主人であるマスターの姿もあり、その横には従業員らしきエプロン姿の女性の姿。どこか見覚えがあるような気もしたが、それ以上思い出すことができない。
 そして宍戸の横には、自分の知らない頃の、中学生の真雛が、笑顔を浮かべていた。
 そのまま、視線を店の奥に位置するテーブルへと、移す。
 そこには、写真で笑顔を浮かべる様子とは似ても似つかない、座席として使用されているひとりがけのソファの上で、体育座りをして膝に頭を埋める現在の真雛の姿があった。

「…何があったんですか、宍戸君」

 自分達が訪れた声は確実に聞こえているはずなのに、真雛が頭を上げる様子はない。
 隣のテーブルの席に腰掛け心配げに真雛を見つめているジローの存在から、『能力』に関することで何かあったことは明白だ。
 ここにいるのは、真雛の『能力』を知っている人間ばかりなのだから。

「マスターから連絡貰ってから来た時にはもうあんな感じだったんだけどよ…どうも、誰かに能力のこと、バレたみてぇなんだ」

 宍戸が何ともいえない表情で眉間に皺を寄せ、それこそ何ともいえない答えを返してきたので、柳生の表情もつられて険しくなる。

「…誰か、とは、」
「まだわかんねぇ。正直口開いた時も言ってること支離滅裂だったんだよ。でも、前にお前に能力のことがバレた時、全く同じ感じだったから…多分」
「…そうですか」

 今度は柳生の方が何ともいい返せなくなってしまった。
 一年半前、柳生が真雛の能力を知ることとなったのは、それこそ真雛からすれば事故だった。
 あの時の自分は、逃げる真雛に追いかけることも、声をかけることすらもできなかった。
 土日を挟み週明けに顔を合わせた時、真雛の目が腫れていたことは、今だって鮮明に思い出せる。
 あの後すぐに和解できたことを考えれば、今更あの時のことを掘り返して後悔することには、何の意味もない。
 が、それでも、あの時自分のせいで真雛を泣かせたと思うと、どこか罪悪感のようなものが過ぎり、自然と表情が曇ってしまう。

「あー…お前の時も、こいつ俺にはなかなかお前の名前出さなかったんだよ」

 柳生の顔が暗くなったのに気がついたらしい宍戸も、気まずそうに頭をかきながら、話を続ける。
 しかし、それは初耳だった。
 そうだったんですか?と、思わず柳生が聞き返すと、俺が聞いたのは俺がお前に会いに立海に行った時だ、と、苦笑いで返された。
 なるほど、あの般若の如く形相で自転車を爆走させて来た時か、と、柳生が納得している内に、宍戸は神妙な様子でこう続けた。

「こいつが俺に言葉を濁すってことは、多分俺に関わることか、それともお前らに関わることだ。能力がバレた相手も、きっと俺達の誰かが知ってる誰かだと俺は思ってる」
「俺達が知っている誰か…か」

 そう答えた真田が、柳生の横をすり抜け真雛へと大股で歩み寄っていく。
 宍戸に軽く頭を下げてから、柳生もその背を追った。隣の席から身を乗り出していたジローが、そんな自分達にちらりと一瞥を向けてから、その身を引き、真雛と同じようにソファの上で体育座りをする。成り行きによっては口を挟むつもりらしく、その目はぎらぎらとこちらを見つめ続けている。

「真雛」

 変わらず膝に顔を埋めたままの真雛の肩に、真田が手を置く。

「…何があったんですか?」

 反応は、まったくない。
 思わず真田と顔を見合わせてしまった。真田のこんなに困った顔を見たのはいつ以来だろうか。きっと、自分も似たような顔をしているだろうが。
 どう声をかければいいのか迷っている内に、真田が再び真雛に問い掛ける。

「………俺や柳生、宍戸や芥川に、聞かれたくない人物に…知られたのか?」

 その時ようやく、ぴくり、と、真雛の肩が揺れた。がたり、と、後ろの宍戸がカウンター席から立ち上がったのか、椅子を引く音が聞こえる。
 柳生達が店を訪れてから、真雛がはじめて見せた変化だ。
 真雛のその行動が、宍戸の推測を受けた真田の問いが間違いではないことを示している。
 流石は幼馴染みなだけあるか、と、ちらりと宍戸を横目で見ながらそう考えていたら、それまでひたすら黙り込んでいたジローが、ぽつりと口を開いた。

「……………まさか、さ、」
「芥川?」
「……………ねえ真雛、まさかさ、」

 跡部?と、その口から出てきた人物の名前に、本当に驚いた。柳生だけではなく、真田も宍戸も驚いているように見える。
 跡部といえば、当たり前だが柳生だって勿論よく知っている。
 東京都でも随一の部員数と実力を誇る氷帝学園男子テニス部のトップであり、全国区のオールラウンダー。
 同じく、全国でもテニス部といえば真っ先に名の挙がる立海に自分が所属していることもあり、氷帝トップである跡部ては中学生の頃からの顔なじみだ。かく言う柳生も、彼には過去僅差でこそあったが敗北したことがある。
 そして跡部といえば、テニスだけではない。トップに立つ者としての素晴らしい手腕はともかく、その名が自分に真っ先に思い出させるのは、派手なルックス派手な言動だ。それに、全てが自分中心に回っていると信じているのだろうかと呆れたこともあった、あの傍若無人振り。金持ちの性であろうか、自分達とは見事どこまでもずれた常識。
 プラスのイメージもマイナスのイメージも、同量に持ち合わせる相手。
 それが、柳生の跡部に対する認識だ。
 まさかこの場でその名前が出るとは予想だにしていなかったため、動揺はした。
 が、それより動揺したのは、変わらず膝に顔を埋めたままの真雛が、蚊の鳴くような声で、うん、と、ジローのその言葉を肯定したことだった。

「跡、部………なのか…?」

 ああ、なるほど、と、自分の動揺が少しずつ引いていく。
 長年の仲間であり、長年最も尊敬する対象なのだろう名前がこの場に出てきたことが相当ショックを受けたらしい宍戸の愕然とした声を聞いて、真雛がなかなか口を開かなかったわけが、ようやくわかった。
 真雛は、わかっていたのだろう。
 能力を知られた相手が跡部であることを明かした時、宍戸がどれだけショックを受け、そして悩むかが。
 ―――――そして、安心すべきことでは、全くないのに、
 ここで仁王や、自分の身内の名前が挙がらなかったことに酷く安心感を覚えている自分に、心底嫌気がさした。
 親友が、今目の前で泣いているのに。
 何よりも困った状況に陥っているのに。
 打診もできず、それどころかかけるべき言葉も浮かばず、何より先に考えたのは自らの保身。

「(――――最低だ)」

 胸の奥が、濁っていくような感覚に苛まれる。
 自分は何も変わっていなかった。真雛と出会い、踏み出す勇気を得て、変わったつもりだった。変われたつもりだった。
 でも、実際は何も変わっていない。
 だって、これは、

 あの、仁王の時と、同じじゃないか。




「……俺、今回の宍戸のことで、真雛が氷帝に来るの、反対だったんだ」

 ぽつりと、ジローの呟いたその言葉に、柳生も我に返った。
 そのまま、ジローの言葉は続く。

「テニス部の奴らもだいすきだし、真雛を傷つけるような奴らじゃないのだって、わかってる。でも、」
「氷帝には跡部のファンクラブの奴らみたいな女子達だっているから。氷帝に来る事で真雛が傷ついたら、氷帝も真雛もすきな俺は、すごいやだなって、そう思ったんだ」

 ぽつり、ぽつり、と、呟くような、語りかけるようなその口調は、真雛を宥める言葉にも、ジローの独白のようにも思えた。

「それに、」

 ひと息置かれ、それまで足元が覚束ないようだった弱々しい声が、はっきりとした断定のものへと、色を変える。


「―――――跡部の事だってすきだから、真雛が跡部を嫌いになったらやだなって。俺は、ふたりとも大すきだから」


 目が、離せない。
 ジローの言葉のひとつひとつが胸に、響いていく。
 自分は、ジローが真雛が宍戸の偽彼女を引き受けることに反対していたことも、今初めて耳にした。
 ただ、今ジローが語ったことは、全てが本心であり、その言葉には僅かの曇りもないのだろうと、その言葉の強さから、表情から、そう感じた。

「真雛」

 ジローが再び真雛の名を呼ぶ。
 俯いたままだけれど、真雛が今ちゃんと話を聞いていることは、雰囲気でわかる。

「跡部は、テニスだけじゃない。色んな事において、俺が尊敬してる凄い奴なんだ」

 ジローのその強い眼差しは、柳生にはよく見覚えがあるものだ。
 テニス部の仲間が、後輩が、自分達に向ける瞳。そして仲間が、自分が、幸村達三強に向ける瞳。試合の会場でも、この瞳をよく目にする。
 自分より遥かに高みに立つ人間への、畏怖にも切望にも似た熱い感情を含んだ、この瞳を。

「少なくとも、何か確証が無いまま今日見た事を自分の憶測で周囲に言い触らすような、そんな真似だけは絶対にしない筈だ。跡部なら」

 その発言にこそ確証はない。
 だが、ひたすらその人物を見てきた者だからこそわかる何かがあることも、自分は十分に知っている。
 それを、柳生が見たこともないような必死な形相で、必死に伝えようとしているジローの姿は、ただ立ち尽くしている自分にはただただ眩しかった。
 だからさ、跡部をどうするかはひとまず先延ばしにして、とりあえず顔あげてよ、と、ジローが再び、いつも通りののんびりした口調で、真雛の肩を揺らす。
 ただ場を見守るしかできなかった自分や真田、宍戸が固唾をのむ中、真雛が、ようやく動きを見せた。
 膝を抱えていた腕か、伏せられたままの顔を何やらごしごしと拭い、ゆるゆると、丸められていた背中が伸びていく。
 そして、ようやく上げられた顔はというと、

「「「「………酷い顔」」」」
「酷……っ!!!」

 思わずこぼれた言葉に、真雛が涙でぐしゃぐしゃになった顔を更に歪め、ようやく言葉らしい言葉を発した。
 その姿を見て、ようやく本当の意味で、安心することができた。

「しかし本当に酷い顔ですね…仮にも、仮にも女性でありながら」
「仮にもって、しかも、二度も、失礼すぎる…!」
「どれだけ話し掛けても無視し続けた貴方がそれをいいますか」
「う、うううう…っ!」
「ま、まあまあ柳生…!その辺にしてやってくれよ…!」
「でも柳生の言う通りだCー」
「お、おい、芥川…」

 笑顔で真雛と会話する自分と、ぷくうっと頬を膨らませ不機嫌をあらわにするジローの横で、後ろで、真田と宍戸のふたりが青ざめながら何やらあたふたしている。
 が、自分は真雛を守りたいと思うと同時に、必要以上に甘やかすつもりもない。
 とりあえず泣き止んだらどうですか、と、涙の筋がついた左頬をぎゅうぎゅう摘んで引っ張ってみせれば、みー!と、真雛の悲痛な叫びが木霊する。真田と宍戸が、またあわあわとあわてふためく。
 わかったから、わかったから、と、口角を引っ張り上げられたまま真雛がそういったので、柳生も一応手を離した。

「でも、何で、泣いてるのか、自分でもわかんないん、だ、」

 その酷い顔を再び歪め、嗚咽混じりのその声で、真雛が言葉を紡ぐ。

「多分、跡部君が誰かに喋るんじゃないか、とか、そういう心配で泣いてるんじゃ、ない」
「なんかもう、最近、駄目だ。色々頑張りすぎた。私、元々、すごいぐうたらなのに」

 話している内に再びじわじわと瞳には涙が溜まっていき、またべそべそと泣き出した。
 気を許した相手以外には絶対に涙を見せないことを徹底しているせいで、一度泣き出したらなかなか泣き止まないことも、自分達の前では比較的泣き出しやすいことも、よく知っている。
 そんな真雛を前に、柳生は一度溜め息をついてから、くるりと体の向きを変え、冷たい声でこういってみた。

「つまり、宍戸君のせいと」
「ハァ!?」
「真雛さんが頑張り過ぎたという原因のひとつは、君の偽彼女云々も入っているでしょう。それに今日真雛さんが東京に出向いていたのも、確かそれが原因だったかと」
「う…っ!!」
「と、宍戸君虐めはさておき、」

 おい!?と、激しくツッコミを叫ぶ宍戸をそのまま無視して、真田とジロー、そして真雛のいる方へと向き直る。

「真雛さんが疲れていたのには、うちの仁王君のせいでもあり、そして、何も口出ししなかった我々のせいでもありますから」

 ジローはこの件について聞かされていなかったのか、仁王ってあの銀髪の面白い奴?と、不思議そうに首を傾げてみせた。
 そして、うむ、と、横に立つ真田が、腕を組んだまま複雑そうな表情を浮かべて神妙にそう答える。
 自分達のせいでも、ある。
 口に出すことで、その重みがずしりと肩にのしかかってくる。
 今日まで、一体自分は何をしてきたというのだろうか。
 自分への言い訳を並べて、口にこそしなかったけれども勝手な期待を押し付けてきた。自分は何も、しなかった。真雛がこんなにもいっぱいいっぱいになってしまうまで。
 が、後悔しても遅い。
 今真雛は目の前で泣いている。自分なりに精一杯やってきたのだと、泣いている。
 実際、真雛はそれまでに見たことがないほど、努力をしていたと思う。
 無理をしているな、と、感じた時だってあった。
 何も、しなかった。
 自分への嫌悪感が、じわりじわりと胸の奥を浸蝕していく。
 そして、こんな事態になった今もなお、これから自分が何をどうすればいいのか、わからない自分が、たまらなく憎たらしい。

「真雛」

 泣き続ける真雛を、唐突に真田が呼んだ。
 真田の呼び掛けに、ぐしゃぐしゃな顔のままの真雛が視線を上げるのと、真剣な表情の真田を、ただ黙って、見つめる。

「跡部の件は芥川のいう通りまた追ってここにいる面々で考えるとして、お前はどうしたい」

 どうしたい…?と、困惑した様子を見せる真雛を見つめながら、真田は続ける。

「疲れたならば、もう仁王を追いかけることも辞めるか?元々お前が始めたことだ、咎めはしないぞ。今すぐではないだろうが跡部と話をつけるのも、嫌ならばお前のいない席で俺達がしよう」

 涙に歪んだ真雛の目が、みるみる皿のように丸くなっていく。
 自分も、真田のこの言葉には正直驚かされた。
 真田らしくもあり、真田らしくもないこの問いの答えは、前の真雛であれば、きっと決まっていただろう。
 少し考えてから、本当に申し訳なさそうに俯き、ごめん、と。暗に、それで頼むと、前の真雛ならばそう答えた。
 だけれども、

「…………仁王君を追いかけ回すのも辞めないし、跡部君の件も…できればいつか、自分の口から説明したい」

 少しうつむいてから真雛から返ってきた言葉は、それとは真逆のもので。
 それすらも、ああ、やっぱりそうか、と、どこか冷静に考える自分をよそに、真雛はたどたどしくも、自身の思いを吐露し続ける。

「また自分の中に引きこもるのは楽だけど、それじゃ、みんなに顔合わせられない。立海のテニス部の人達とも、氷帝のテニス部の人達とも、今日私が泣かせちゃった、あの子にも」

 よく言った、と、真田が真雛の頭を、ぐしゃぐしゃと掻き混ぜるかのごとく撫でる。
 髪が!と、騒ぐ真雛に、それを見て笑う真田とジローの姿が、眩しい。
 思わず視線をそらせば、嬉しそうな、でも複雑そうな表情を浮かべる宍戸の後ろのカウンターから、まさかこのタイミングで、と、思わせるほどの好タイミングで現れた人物に、また驚かされることとなった。

「さあ、皆さん」

 話が一段落するタイミングが、分単位で完全に読めていたと思わせるほど、湯気をあげ綺麗な色をしたそれが、彼の持つポットの中で揺れる。

「紅茶はいかがですか?」

 マスターさすが、と、笑う宍戸の姿に、なるほど、宍戸と真雛が慕う人物なのだな、と、沈みきっていた柳生の気分も、ようやく少しだけ上昇の兆しを見せてくれたのだった。





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