「…小、テスト?」
仁王との一件があった翌日、真雛の目は真っ赤に腫れていた。別に仁王について悩んでいたとかそんな青春チックな理由ではなく、昨日のオペラ座の舞台初日に感動して号泣してしまったからである。
ちなみに真田も漢泣きといわんばかりに号泣し、帰り道一番オペラ座が好きなはずな柳生がふたりを宥めるというおかしな状況が出来てしまった事はまだ三人の記憶に新しい。
更に真雛の家で初代の市村がやはり一番だの、上演時間が十年前より若干カットされたのはアレだだの語り明かしていたら終電の時間を過ぎてしまい、真田と柳生が真雛の家に泊まった事はもっと記憶に新しい。
こんな事は最近ではよくある事で、場合によってそれは真雛の家であったり真田の家であったり柳生の家であったりするので三人はそれぞれの家族と完全に親しくなっている。
昔は真田が、おなごの家に泊まるだの、けしからん!と、豪語していたのを、柳生が素敵な笑顔で、じゃあ歩いて帰って明日の朝練に遅刻するんですか?と、問いただしたりしていた。真田はいつの間にか何も言わなくなった。朝四時に起きて鍛錬を始められるのはちょっと迷惑だったりはするが。
そんなこんなで仁王との事をすっぽり忘れた真雛は、今日行われる世界史の小テストの事もすっぽり忘れていたのだ。
普段のテストであれば、いつものふたりが前日からうるさい程に熱弁を振るってくれるのだが、真田も柳生も日本史選択のため世界史の小テストがあるなんて知っているわけもない。
世界史の時間しか一緒のクラスにならない橋本さんに言われ、ようやく小テストの存在を思い出した時には既に時遅し。チャイムは鳴り世界史教諭が前の扉から教室に入ってきているところだ。
範囲は百年戦争と薔薇戦争の辺りだよ!と、テストが配られる寸前橋本さんは囁いてくれたが、手遅れとしか言い様がない。百年戦争がまずどこの国とどこの国の戦争かさえ思い出せない自分が、このテストを乗り切れるわけがないのだから。
選択式ならせめてもの救いが、と、プリントを表にするも希望はすぐに打ち砕かれた。
一問一答は、下手な選択問題よりよっぽど楽だ。だがそれは少しでも勉強してきた者にとってであり、まるで手付かずの者には手のつけようがない。
だがこのテストは先生に採点されるわけではなく、この後一度回収したらランダムに全員に配られるのだ。名前の欄の下に採点者は名前を書いて、採点後本人に返しに行くわけだが、真っ白な解答用紙をクラスの誰かに採点されるのもなんだか嫌だ。
真雛は仕方なく一旦置いたシャーペンを握り直し、出来る限り空欄を埋める努力をすることにした。
問12.百年戦争において弓兵隊を率いて活躍した人物を答えよ
「…………」
問14.この時期流行った病を答えよ
「…………」
問21.ドイツでシュタウフェン朝段絶後、皇帝が17年間選出されない事態が続いた。これを何というか
「…………」
分 か る か
何で周りからはカリカリ文字を書く音が聞こえるんだ。せめて年号とかなら何かしら書けるのに、人物名やら事態やらそんなの分かる筈が無い。シュタウフェンって何なんだ言いにくい。
こんな事なら日本史選択にすればよかったと思ったが、きっと日本史を選択したところで「日本史細かすぎて嫌」だの「源氏も平氏も徳川も総理大臣ももう無理」だの同じように世界史選択にすればよかったと嘆く自分の姿が瞼の裏に浮かんで見えた。
世界史っぽい内容で空欄を埋める事すら出来ない。諦めの境地だ。
そして、思い切って思い浮かんだ事全てを書いてやろうと真雛は再び解答用紙に向き合った
。
□□□□
「よし、解答回せー」
終了の合図と共に解答用紙が回収されていく。
0点である事に違いないが自分なりに満足のいく解答用紙が作れたと真雛は満足気だ。隣りの橋本さんも真雛の表情を見てどうにかなったんだろうと安心していたが、当然ながら事実そんな事は全く無い。
そして間も無く、再び裏向きにされた解答用紙が回された。少しよれた一枚を選び取りひっくり返せば、その解答用紙は綺麗に全て埋まっている。
すごいなぁ、と、感心しながら名前の欄を見ればそこには少し神経質っぽい字で『ジャッカル桑原』と書かれていた。聞き覚えがあるな、と少し頭を捻るがすぐには浮かばず、考えるのはやめた。
解答にざっと目を通す。お世辞にも綺麗な字とは言いがたいが、その後配られた模範解答と見比べても間違いは殆ど見当たらない。ざわつく教室の中で真雛は黙々と丸つけを進めていった。『問12:エドワード黒太子』正解、『問16:黒死病』正解、『問21:大空位時代』正解、結果ジャッカルの点数は88点とかなりの高得点である。丸つけの済んだ丸の多い解答に思わず見とれていたら、ふと背後に気配を感じた。
「おい成田」
振り向けば、そこにはこの解答用紙の持ち主らしき人物が口元を引きつらせながら立っていた。ハゲだった。その瞬間昨日の「ジャッカルゥゥゥウ!丸井ぃぃいい!」と叫びながらC組のふたり組を追い掛けていった真田の後ろ姿を思い出した。
そのふたり組はというと、遠目で見ても分かる程目立つ赤髪とハゲだった。ああ、じゃあきっと彼が『ジャッカル桑原』なんだろうと真雛は一人納得した。そうすれば自然に赤い方が『丸井』だということになる。
テレビで前にやっていた脳がひらめいた瞬間のアハ体験とはこういう事を言うんだろう、確かに気分がいいかもしれない、と、真雛は内心満足していた。
そして改めてツルッとピカッとした頭の彼を見れば、ジャッカルは何故か呆れた目を真雛に向けている。そんな彼の手の中にはよく見れば真雛の解答用紙があった。
「あ、桑原君今ちょうど採点終わったんだよ。すごいね88点」
「俺のもお前がやってたのか…」
「もしかして桑原君のも私のだった?すごい偶然だねぇ」
「すごい偶然とかなんつーか置いといてよ、その、俺この解答に対して聞きてぇ事いっぱいあんだけど」
「あ、そっかテニス部な桑原君には分かっちゃうネタなのか!はずかしいなー」
「ネタ分かんない奴からしても十分恥ずかしい解答だろコレは!」
ピラッと突き付けられた解答はやっぱり0点だった。バツをつけた下にいちいち模範解答を赤ペンで書いてくれるところが、いかにもテニス部きっての苦労人ジャッカルらしい。
「何で人物名が殆ど『柳生』で埋まってんだよ!」
「分かんなかったからとりあえずやぎゅーって書いておこうかなって」
柳生柳生柳生とずらっと羅列されている様は、正直無気味としかいいようがない。たまに柳生一世柳生三世だの適当につけられているが、それを想像するのは尚無気味である。
ジャッカルの頭の中で、王冠を被り赤いマントをつけて玉座に座る柳生がフフフフと笑う。更にその手前に立つ柳生二世、柳生三世…無理だ。もうこれ以上考えたくない。
「…何で流行病が、」
「インフルエンザあと少しで流行だすよね、0157と迷ったんだけど」
「……じゃあ、何で大空位時代が『真田不在』なんだよ」
「真田ってテニス部で皇帝って呼ばれてるんじゃなかったっけ?皇帝不在って書いてあったからもう真田でいいかな〜って思って」
実は今日テストあるの忘れててさ!と、からから笑う真雛に、ジャッカルはもううなだれるしかなかった。
上手い下手と聞かれれば、最後の真田不在はちょっと上手いと思ってしまった。そんな自分にちょっと嫌悪感を覚えたジャッカルである。
「はい、どーぞ」
「お、おう…」
まだ教室は採点に賑わっている。真雛はジャッカルの解答用紙を返して自分のを受け取った。真雛はそのまま解答用紙に目をやってしまったが、ジャッカルはまだ真雛の後ろに立ったままだ。
真雛は自分の解答用紙を見ながら「やっぱり0点か…」なんて言いながら頭を抱えてる。ジャッカルがまだ自分の後ろにいる事には微塵も気がついていないようだ。
昨日の丸井同様、ジャッカルもまた今日まで真雛と会話をした事がなかった。
昨日三人が立たされてる時も真雛との会話はなかったし、真田と柳生と仲がいい女子、という認識がある程度である。よく人に聞く噂としては『何だか面白い子』というのが真雛の一般認識らしいが、今その意味が少しだけ分かった気がしなくもない。
昨日真雛と話をしたらしい赤也が、真雛先輩って優しそうでいい人っスね〜!なんてニコニコ笑ってたのを思い出して、ジャッカルは再び真雛に声をかけた。
「そういえば成田、昨日赤也が仁王探すの手伝ってやったんだってな」
「んー…手伝うって言っても、私はもしかしたら保健室辺りにいるかもねって赤也君に言っただけだよ」
「事情はよく知らねぇけど、赤也の奴がいたく感謝してたぞ。次会ったら礼したいって言ってたぜ」
「赤也君ほんっとに可愛いねぇ。私部活入ってないからさ、あんな後輩羨ましいよ」
私もまた会いたいな、と真雛がへにゃりと笑ったところで、教師からクラス皆に向けて席に戻るよう声がかけられた。真雛に手をひらひらっと振られジャッカルも自分の席へと戻った。悪い気はしねぇな、と少し彼は満足していたりする。
実は、ジャッカルは前々から真田と仲良く出来る女子として、真雛に興味はあったのだ。
昨日赤也が騒いでた事もあって尚更のこと。実際話してみれば色々ツッコミどころは満載だったが、くるくる変わる表情に何が飛び出すか分からない口は面白い。
何より、赤也君ほんとに可愛い、と、言ったその口調が、他の女子と違い全く媚びる物言いではなかった事がジャッカルにとって真雛の好印象の最たるものであった。
全てがそうという訳ではないが、立海のテニス部に所属していると何かと女子が寄ってくる事が多い。
特に幸村や仁王に憧れを抱く女子は、何故か本人に話し掛けるでもなくテニス部の中でも人当たりの良い柳生やジャッカルに話を聞きに来る事が多いのだ。柳生はさり気なく受け流してしまう事が多いがジャッカルはそう上手く女子を受け流せない。丸井目当ての女子のように本人に話し掛けてくれればいいのに、と、内心うんざりしながら適度に逃げる事も多々ある。その中でも仁王の性格の豹変について詮索されるのは、正直本当に勘弁して欲しいと何度も思った。
事情を知る者として、もうあの話を蒸し返して欲しくもない。
何より、仁王の傷を抉るような真似だけは絶対に避けたい。
普通に仲がいい女子でもテニス部の話となると目の色を変えたりするし、仁王の事を尋ねてくるのだ。それが今回なかっただけでも十分嬉しかったりはする。まあ真田と柳生と友達が出来ているくらいだからそんな事があるはずもなかったが。
自分の名前の下に書かれた『採点者:成田真雛』の文字をジャッカルは見つめた。
ちょっと変な奴だし世界史の時間くらいしか接点はないが、次はテストの話だけじゃなく、普通の話もしてみたいと思っていたりする。それこそ、それは自分の知らない真田の笑い話のようなくだらない話題で構わない。せっかく今日話して顔見知りになったのだから、今度は普通に話しかければいいのだ。
「エドワード黒太子は別に黒人って訳じゃなくて、黒い鎧を着てて残虐な殺し方だったから黒って言われてるだけだぞ〜」なんて、テストにはあまり関係無い事を説明してる教師の話を右から左に聞き流しながら、ジャッカルはそんな事を考えていた。何故上の空で笑っているのだろう、と、隣りの男子が無気味がっているのには当然彼は気付いていない。
「(あ、そういや…)」
ふと、エドワード黒太子と聞いた時ジャッカルはさっきの真雛の解答を思い出した。
問12の解答であるエドワード黒太子のところには『柳生三世』と書かれていた。
そこから黒い鎧を着て血まみれの剣を片手に黒い笑みで笑う柳生を連想してしまい、ジャッカルの顔は一気に青く染まりどん底の気分になった事は言うまでもない。
さっきから体調でも悪いのか?と心配気に尋ねてきた隣の男子にジャッカルは一生懸命大丈夫だと苦笑いするのだった。