「きつーい!」

 少し後ろを走るクラスメイトの息絶え絶えな金切声に、確かに、と、心の中で密かに真雛は同意した。口に出さなかったのは別にその女子生徒と不仲というわけではなく、ただ単にこの長距離走が真雛も辛いから声を出すという労力を使いたくないだけだ。
 普段常識外れなまでの身体能力を持つ真田と柳生と行動を共にしてはいるが、真雛は別に運動がそれほど得意なわけではない。走らせてみても百メートル走十八秒半、一般の高校女子生徒としては極めて平均的で凡庸である。
 まあようするに、今こうやって校庭をぐるぐる走り続けているのは真雛だって辛い。長距離をやると事前に分かっていたならサボったのに、と、あのふたりが聞けば怒り出しそうなことを切実に後悔していたら、ようやく、終了!と、体育教師が叫んだ。
 みんな口々に疲れた、死ぬ、なんて零しながら地面に座り込む。真雛も水呑み場に寄りかかり腰を下ろせば少し休憩、と、ついで聞こえてきた。それと同時に、いつも真田と柳生が近くにいない時仲良くしている女子三人が真雛!と、駆け寄ってきた。水呑み場の裏のスペースは四人の女子でいっきにあふれかえる。

「四限に体育って毎週のことだけどつっらいね〜!しかも長距離!」
「男子は今日コートの方でテニスやってるらしいよ」
「へぇー…真田もやぎゅーもテンション上がってそうだなぁ」
「そいえば男子テニス部って、中学の頃相手を血祭りにあげるとかすごい噂になってなかった?うちのクラスの男子死んだかなぁ、ははは!」
「実際血祭りとかないでしょ、ねえ真雛?」
「私はテニスの応援とか行ったことないし二人からあんまり話も聞かないけど、さすがに血祭りはないんじゃない?」
「「「そうだよね〜」」」

 言えない。
 確かに試合を観に行ったことはないが、幼馴染みが昔よく立海テニス部は人外レベルに強いと教えてくれたことを。
 体から煙を出したり、目が真っ赤に染まったり、入れ替わったり五感を奪ったり、と、正直そんなこと現実に有り得るわけないだろうと思うような事実を語ってくれたことを。
 別にそんなことで真田や柳生を怖いと思ったりはしないが、それを聞いて以来テニスというスポーツに関して自分は何も口出ししないでおこうと固く誓った。

「でも噂はともかく、真雛は知らないだろうけど中学の頃って男子テニス部のレギュラーってかなり怖かったんだよ?」
「へ?」
「まあ今でも真田君の形相は怖いけどさ、あの人達見た目もだいぶ派手でしょ?皆近寄りがたいって感じで、誰も話しかけられなかったんだ」
「真田は確かに顔怖いけど、中身は普通の高校生だよ?」
「そうなんだけど、みんな血祭りとか色んな噂聞いてたから一歩引いちゃってね」
「私中学の時幸村君が同じクラスだったけど、幸村君がクラスの子と喋ってるの見たことなかったなぁ」
「へ〜…」

 それは初耳だった。
 幸村が全国大会前に難病にかかって大変だったという話は聞いたことがあったが、男子テニス部がそんなに怖がられてたという話は聞いた事がなかった。そして真雛が知る限り、今現在はそんな事はないはずだ。
 真田だって柳生だってA組の仲間と普通に談笑しているし、赤髪の少年が友達と一緒に廊下で楽しそうに笑ってる姿も見たことがある。たまにふたりから名を聞く隠れドSな鬼部長幸村だって、よく職員室前やB組で友達とふんわり微笑んでいるのを見かける。
 きっと周りからの勘違いが何かしらで溶けたんだろう。実際話してみれば、なんてことないただの高校生なのだから。

「(……それにしても、)」

 自分はあのふたりといつも一緒にいる割に、テニス部に関する事は何も知らないんだな、と、改めて実感した。
 真雛が知っていることと言えば、幼馴染みの宍戸や同じくレギュラーであるジローが在籍する氷帝が強豪校であるらしいということ。そして我が立海も何度も全国優勝を果たしている強豪校だということ。
 あとは名前しか知らないが真田の話しにたまに出てくるライバル『手塚』、宍戸とジローの口から時折耳にする『跡部』、そして因縁の強豪校らしい『青学』、正直これくらいしか今の高校テニス界は分からない。
 後で朝真田からある意味譲り受けた月刊プロテニスとかいう雑誌に少し目を通そうかな、としわくちゃになった雑誌を思い浮かべた。

「あれ?ね、あれシャボン玉かな?」

 ふと友人のひとりが空を指差した。世人揃って顔を上げれば、確かに青い空の中キラキラ光るものが見えた。
 太陽に反射してる小さな光は、蛍のように現れたり消えたりを繰り返す。それは本当に綺麗で、思わず笑みがこぼれる光景だった。

「誰か授業サボって屋上でシャボン玉吹いてるんだ!」
「うらやましいなぁ〜…私だって今すぐにでも体育サボりたい」
「真雛の頭は常に楽へ楽へと動いてるからね、この怠けもん!真田君と柳生君を見習え!」
「じゃああのふたりの朝練付き合ってみなよ、自殺行為だから。本気で死にたいなら今すぐ真田とやぎゅーの所まで、みたいな感じだからね?修行の鬼に鬼畜眼鏡…」
「へえ、真雛さんは私と真田君をそんな目で見てたんですか」
「いやだって本当に……ん?」

 とてつもなく嫌な気配が後ろからした。
 ゆっくりゆっくりと首を後ろに回して見上げれば、水呑み場の上からこちらを見下ろしニッコリ微笑んでいる柳生、という名の鬼がそこにはいた。目が少し足りとも笑っていない。
 友人三人はちゃんと柳生の微笑みの黒さが見えているらしく、この最悪な状況の中で真雛やっちゃったねバッカ〜!なんて、お腹を抱えて笑っている。生憎だがここで一緒に適当に笑って誤魔化すという技は彼には通用しない。

「え…っと、あれ、やぎゅーテニスコートじゃなかったの?」
「完全に真田君の独壇場となっているので暇だったんです。水を飲みに来たらそれはそれは面白い話が聞こえてきたものですから」
「お、面白かった?よかっ…」
「その頭、レーザーで打ち抜いて差し上げるのと、ゴルフクラブで打たれるボールになるの、どちらがよろしいですか?」
「ごめんなさいすみません」

 テニスラケットを片手に翳してなお笑顔を浮かべている柳生は果たして紳士なのか。レーザーとは一体何を指してるのか分からないけれど、要するにゴルフクラブで頭を打ち抜かれるのと同じくらい効果がある仕打ちなんだろう。
 柳生の紳士ならぬ台詞を聞いた友人達は更に地面を叩きながら笑い続け、ついにはお腹が痛いどうしてくれると頭をはたかれた。この理不尽は何だろう。

「それはともかく、真田君が素人相手に全く手を抜かなくて困っているんです」
「え、全国区プレーヤーのくせにクラスメイト相手に本気出してるの?」
「風林火山こそ出しませんが、相手に一ポイントたりとも取らせません」
「(風林火山…?)全国区のくせに何て大人気ない…しかもあの顔のくせに」
「全国区だからこそ手抜きは許されないと先生の言う事も全く聞かないんですよ。勝ち抜き式の試合をやっているのにとても迷惑しています」
「私KYって言葉あんまり好きじゃないけど、それは見事に場も空気を読んでないね。物凄く真田らしいけど」
「いい加減顔に見合った精神年齢を持って頂きたいものですね」
「…あんた達仲が良い割にいつも真田君の事めっちゃくちゃに言うね」
「「真田(君)だから」」

 きっとこの場に幸村がいたとしても、きっと自分と同じことを言うだろう。幸村と話したことこそないが、真田と柳生の話を聞く限り彼は柳生をも超える腹黒のようだから。
 それにしても随分長い休憩時間だな、と、辺りを見渡せば、体育教師は楽しそうにクラスの女子達と談話していた。こっちも当分始まらなさそうですね、と、こぼした柳生のその言葉にその場には笑い声が響いた。
 今頃テニスコートではクラスの誰かしらの男子が泣きを見ているのだろう。大会に出る選手ですら真田の前に立てば足が竦むというのに、本当にご愁傷様としか言いようがない。

「でもさ、真雛と真田君と柳生君ってほんと不思議だよね」

 友人三人の中でも夜中メールで盛り上がったり休日出かけたりと一番仲がいい片倉優樹が笑いながらそう言った。
 突然の言葉に思わず真雛と柳生は顔を見合わせる。すると優樹はごめん、違う違う!と、首を振った。

「変な意味じゃなくってさ、テニス部鬼副部長の真田君と風紀委員長の柳生君、それに遅刻魔サボり魔の真雛って結構異様な組合せじゃない?なのにすっごく仲良いから」
「否定しなくても大丈夫ですよ片倉さん、確かに真田君と真雛さんは不思議で変ですから」
「私からしたらやぎゅーと真田が不思議で変だけど?まあそれは置いといて…一年の時私外部だったから知り合いいなかったじゃない?それで隣りの席が柳生だったの」
「そういえばそうだったね」

 ここにいる全員は、みな一年時から同じクラスだ。立海では文系の内部進学希望者はA組とB組に振り分けられていて、更に、一度クラスが決まれば三年間それが変わる事はない。
 途中外部受験希望に切り換えればE組以降の受験クラスに移されるも、そんな生徒は数年に一人いるかいないかだ。
 ちなみに真田の後輩でひとり、進学が危ない程どこまでも英語が出来ない子がいるらしい。確かアカヤ君とかなんとか言っていた気がするが、留年なんてすれば自然と内部進学の可能性は消え失せ、受験クラスへと配属される。
 アカヤ君とやらはそのまま立海大に内部進学したいらしく、なんとか留年しないようにテスト前には真田や柳生、それに他のテニス部の人達が付きっきりらしい。

「で、真田は入学してから一か月後くらいに知り合ったんだ。帽子が風に飛ばされてたから拾ってあげたのが最初かな」
「あ、真田君って外だといつもあの帽子してるよね。制服にスポーツ帽ってあれどうなんだか」
「風紀風紀うるさいわりに、あれって校則違反に入らないの?柳生君」
「うちの学校は校則が甘いですからね。ちなみに真田君は校則に関係なくモラル云々で注意をしたりもしますから」
「まず帽子を脱いでから言ってほしいね…モラルを語るなら」

 まさか水呑み場でこんなにも自分が非難されていることなど真田は知るよしもない。
 彼はきっと今頃も、素人を相手に完封なきまで叩き潰しているのだろう。きっとA組の男子で、これから先テニスに自ら興味を持つ者はこれでいなくなっただろうに。そんな彼の頭には今も噂の帽子が乗っかっている。
 そういえば、と先程のように上を見上げてみたが、目をこらしてもシャボン玉はもう見えなかった。
 代わりに時計の針が予鈴五分前を指している事に気付き、真雛は立ち上がってジャージについた砂を払った。友達三人も同じように立ち上がり砂を払うと、見計らったようなタイミングで集合ー!と、号令がかかる。

「まあ何にせよ、私は真田とやぎゅーが大好きだよ。それに何があったとしても信じてる。だから一緒にいるかな?」
「すごい簡単に纏めてみせながらすごい重たい発言だね…!」
「でもそれは私も同じです。ここにはいませんが真田君もきっと同じですよ」

 それでは私もコートへ戻りますね、と柳生は笑顔で去っていった。今度は黒いオーラも重たい圧力もない綺麗な笑顔で。
 へぇ〜…、とふたりのくさい言葉に感心の声しかあげられなかった三人に、真雛は付け加えるように続けた。

「例えば真田が妖精を見たって言うじゃない?信じるよ」
「いやいやちょっと待て真雛!?」
「あー、言い方がまずかった。もしその嘘みたいな話を真田が本気でしてるなら信じるってこと。冗談なら雰囲気で分かるし、そんな嘘はつかない」
「お互い何があっても絶対嘘はつかないってこと?」
「いや?たとえ嘘をついたとしても、それは相手の為を思ってついた嘘なんだよ。だから許せる嘘。ま、とりあえずお互いがお互いを信じてるって事でこの話はお開きね」

 え〜、と、ブーイングの声をあげる友人達に、ほら急いで並ばないと!と、急かして、話を強制的に終わらせた。
 真田と柳生と自分の信頼関係を語るとしたら、本当はこんな簡単な言葉では語るに語れない。嘘をつかないのが三人の友情かと聞かれればそれは違う。
 じゃあ本音を隠さないのが三人の友情かと聞かれてもそれも少し違う。本当は自分だってどう言い表せばいいのか分からない。ただ言い切れる事は自分がふたりに絶対の信頼を持っているということだ。友人となるまでだって本当はもっと複雑なことがあった。ただそれは何があっても『語れない』内容なのだ。
 内心言えなくてごめん、と友人達に謝ってから再び空を見上げた。

「(………あ、また)」

 シャボン玉がまた揺れていた。
 少しだけ、屋上のフェンスの向こうに銀色を見た気がした。
 ただそれはすぐ見えなくなってしまい、あの銀色は自分の目の錯覚だったかも分からなかった。ぐったり疲れ切ったA組の男子達と柳生、そして物足りなさそうに憤慨している真田が校庭の近くを通るまであと数分もないであろう。

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