「おれと、結婚しよう」

「……え?」
「おれが高校を卒業したら、結婚してほしい」
「どういうこと……?研磨」

 ナマエが動揺にたじろぐ。おれはナマエを、まっすぐに見つめた。

「もともと高校を卒業したらどうしようかずっと考えてた。おれ、大学生になったら起業しようと思ってる。結婚して、一緒に暮らそう。そしたらもう、ナマエに怖い思いはさせない」
「研磨、待って、」

 ナマエは話についていけないようだった。おれの腕の中で、おろおろとし続けるばかりだった。

「起業って……?」
「スポーツ用品の会社を立ち上げようと思ってる」
「け、研磨、本当……なの?だって私、来年はまだ高校生だよ?」

「高校生でももう結婚できる年齢でしょ。収入源はほかにも考えてある。ナマエに不自由な思いはさせないから」
「……研磨、ごめん、私混乱してて、」
「そうだと思う。家がゴタゴタしてるときに、いきなりそう言われるんだもん。ごめん、段取りとかなくて」
「ううん。研磨が私のことを考えてくれてたってことは、分かるから」

 おれはそっとナマエから体を離した。手を取り、握りしめる。

「お父さんのこと、おれにはすぐ解決してあげられない。でも、一年後……ほんの少しでも、ナマエの気持ちを軽くできるなら、嬉しい」
「研磨……。付き合ってるからって、研磨がそこまで考えてくれる必要は、ないんだよ」

 ナマエが、俯きながら言う。おれはぎゅっとナマエの手を握りしめている手に力を込めた。

「……おれはずっとナマエのことが好きだった。ナマエはいつだって笑ってた。おれはナマエの笑顔に、どこか救われてた」
「……研磨」
「これからもずっと、おれの横で笑っていてほしい。……それだけじゃ、理由にならない?」

 ナマエが、再び涙をこぼし始める。小さな手で雫を拭いながら、無言のまま、首を横に振った。

「考えることたくさんあって、大変だと思うけど……。すぐじゃなくていいから、返事、考えといてほしい」
「……うん、研磨」
「なに?」
「ありがとう、研磨。……少し時間がかかるかもしれないけど、ちゃんと考えるから」

 今日、家が嫌ならうちに泊まってく?とおれはナマエに尋ねた。けれどナマエは「ううん、もう遅いから」と少しだけ微笑んだ。
 おれはそっと手を離した。ナマエがもう一度「ありがとう、研磨」と小さな声で言う。

「夜中でもいいから、何かあったらすぐ連絡して」
「……うん」

 ナマエが、玄関に向かって歩いていく。ドアが閉められる瞬間、ナマエがドアの隙間から顔を覗かせる。

「おやすみ、研磨」

 おやすみ、とおれも呟く。ナマエはドアを閉じて、家の中に入っていった。


 次の日の昼休憩、おれはナマエが心配になって、ナマエのクラスを訪ねた。
 教室の出入り口付近でたむろしている男子に「ナマエ、いる?」と声をかけて、ナマエを呼んでもらう。ナマエはお弁当箱をしまうと、ぱたぱたとおれの元まで駆けてきた。

「研磨、どうしたの?」
「ううん、元気にしてるかなって、気になって」

 おれはふと、クラス中の視線が集まっているのを感じた。ナマエを誘い出し、屋上へ向かう。
 けれど、外は雨が振っていた。おれたちは屋根のある出入り口付近に、腰をかけた。

「研磨、昨日のことだけど……」
「ほんとに、昨日は突然でごめん。でも、ずっと考えていたことだから、ナマエに話した。ゆっくりでいいから、返事を考えてほしい」
「……うん、必ずお返事するから」

 おれはナマエの手を取って握った。ナマエが、ぼんやりと外を眺めながら続けた。

「どうなっちゃうんだろう、うち」

 その言葉は重たくコンクリートの壁に響いた。ナマエがおれのほうを振り向きながら、静かに言った。

「ねえ、研磨」
「うん?」
「私……研磨の重荷じゃない?」
「……なんで?」

 おれはなんのことなのかさっぱり分からなかった。しばらく考え、なんとなくナマエの考えていることを察する。

「重荷じゃないよ」

 ぎゅ、と離れないように手を握りしめる。ナマエは、泣きそうな顔で言った。

「研磨はきっと、これからどんどんいろんなことをしていくんだと思う。会社を起こしたり、ほかにも、色々」
「うん、まあ、会社を起こすこと以外にも色々考えてる、かな」
「そんなときに、さ。私がいたら、研磨の邪魔になっちゃわない?」
「……そんなこと考えてたの」

 おれはナマエの顔を覗き込んだ。ナマエの瞳は、不安に揺れていた。

「おれは本気だよ。そんな軽い気持ちで、プロポーズしてるわけじゃない」
「……研磨」
「ナマエのこと、重荷だなんて思わないよ。おれがナマエにしたいからしてる。それだけだから」
「……研磨、」
「ナマエはもうちょっと、おれのこと信用してよ」
「……ごめん、研磨」

 ナマエが、顔を伏せる。おれはさらに口を開いた。

「それともおれはそんなに頼りない?」
「……!そんなこと、ない……!」
「じゃあ、おれに頼ってよ」

 ナマエは逡巡するように視線を彷徨わせていた。そして、ごめん、ともう一度呟いた。

「ごめんじゃなくて、ありがとうが聞きたいな」
「……ありがとう、研磨」

 ナマエが久しぶりに見せたいつもの笑顔で、ふっと笑う。おれはナマエの頬に手を添えると、唇に軽く、キスをひとつ落とした。


 その日の帰り道。ナマエの家の前までたどり着くと、ナマエは足を止めた。
 手を繋いだまま、ふたりでしばらく佇み続ける。

「……ナマエ」

 強く、ナマエがおれの手を握る。家に帰りたくないのだろうということは、すぐに分かった。
 おれはナマエに提案していた。

「……帰りたくないなら。今日、おれの家に泊まる?」
「……え?いいの?」
「おれの家はいつでもいいよ」
「でも、突然研磨の家に泊まったら、おばさん迷惑にならない?」
「学校を出る前、もしかしたらナマエが泊まるかもって母さんには連絡しといたから、大丈夫」

 それを聞いてナエが、どこか安心したように微笑んだ。

「研磨は、私のことをなんでもお見通しだね。……じゃあ、お泊まりしちゃおうかな」

 準備してくるから待ってて、というとナマエは家の中に消えていった。数分後、小さなバッグを抱えたナマエが、家の中から出てくる。

「お父さんもお母さんもいなかったから、今日は泊まり込みで勉強するから研磨の家に泊まるって、置き手紙してきちゃった」
「そっか。あとでうちの母さんがナマエの家に連絡すると思うよ」
「うん」

 えへへ、と久しぶりにナマエが、嬉しそうに笑った。

「子どものときはよく研磨の家にお泊まりしてたけど、本当に久しぶりだね」

 手を繋いでおれの家まで帰る。するとおれの母親が、出迎えるようにおれたちを待っていた。

「ナマエちゃんがお泊まりするなんて久しぶりねえ」

 いらっしゃい、上がって上がってと母親がナマエを手招きする。お邪魔しますと言うとナマエは、靴を脱いで家に上がった。


「研磨、お風呂上がったよ」

 お風呂に入っていたナマエが、おれの部屋に入ってくる。おれはコントローラーを置くと、ナマエを振り返った。
 ナマエは濡れた髪をまとめ上げ、猫柄のパジャマを着ていた。湯上がりで頬が上気している。おれは心臓が逸るのを感じ、慌てて視線を逸らした。

「おれもお風呂に行ってくるね」
「うん」

 ナマエとすれ違い、おれも階段を降りて脱衣所へ向かう。脱衣所の扉を閉めると、おれは自分を落ち着かせるため大きく深呼吸をした。
 おれたちが家に帰って部屋に上がると、すでにおれの部屋には布団が用意されていた。子どもの頃からよく泊まりがけで遊んでいたとはいえ、もういい年齢になったのだからナマエは客間で寝るものだと思い込んでいた。
 だからといって今から客間にナマエの布団を運ぶわけにはいかない。別に同じ布団で眠るわけじゃないし、と自分に言い聞かせる。
 お風呂から上がると、ナマエはすでに布団を敷いていた。布団に腹這いになる格好でマリカーをしていて、キャラが曲がる方向に体が傾いている。

「研磨!見て、いま一位!」

 画面に「finish」という文字が表示され、ヨッシーが手を振り上げて喜ぶ。「よし、やった!」とナマエがおれを見る。

「研磨もやろう?」
「――うん」

 おれはおずおずとナマエの隣に座った。コントローラーを持ち、次に走るコースを選び始める。

「今日は私が勝つまで寝かせないから!」

 ナマエがブイサインをおれに突きつける。おれは――なんとも言えない気持ちになりながら、決定ボタンを押した。
 

 ナマエがなんとかおれに一勝したあと。時計の針は十一時を回っていた。
 おれは立ち上がって、スイッチに手をかけた。

「電気、消すよ」
「うん、おやすみ、研磨」
「おやすみ」

 ぱちん、と電気が消える。おれはベッドに潜り込み、落ち着かない心臓を宥めた。
 しばらくしても、おれは眠りにつくことができなかった。何度も寝返りを打ち、暗闇に瞼を開く。
 そのとき、不意にナマエの微かな嗚咽が聞こえたような気がした。
 おれは起き上がってナマエの布団に手を伸ばした。

「……ナマエ?」

 布団を剥ぐと、ナマエは体を丸め込むようにして横になり、声を押し殺しながら涙を流していた。

「……けん、ま、」

 ナマエが、小さな声でおれを呼んだ。おれはナマエの横に体を滑り込ませると、ナマエの頭を抱えるようにして抱きしめた。
 パジャマ代わりのスウェットの胸元が、見る間に涙で温かく濡れていく。
 ナマエが、鼻をすすりながら口を開いた。

「さっきまであんなに楽しかったのに。布団に入った途端に、涙が出てきちゃって」
「うん」
「ごめんね、研磨。起こしちゃった?」
「そんなことない。というか、ちゃんと起こしてよ、おれのこと」
「うん……。ありがとう、研磨」

 ナマエが、再びおれの胸に顔を埋めた。ひっくひっく、と痛々しく肩を跳ねらせながら、ナマエが泣き続ける。

「どうなっちゃうのか、怖いの」
「……うん」
「私、本当はお父さん苦手なの。ほとんど知らない人だし、いつも怒鳴ってるし。どうして、私たちに関わろうとするんだろう」
「……ねえ、ナマエ」
「研磨……?」

 ナマエが、涙で濡れた瞳でおれを見上げる。おれは涙の跡に指先で触れながら、言った。

「おれが、ナマエの怖いものから守るよ」
「……けん、ま」
「おれが高校生のうちはなんにもできないかもしれない。だけど、おれが必ずそばにいるから」
「研磨、」

 ぽろり、と涙の雫がナマエの瞳からこぼれ落ちる。おれはナマエの頬を撫でた。

「だから……もう一回言わせて。おれと、結婚してほしい」
「けん、ま……」
「……好きだよ、ナマエ。子どものときからずっと好きだった」

 おれはナマエの震える唇にそっと唇を重ね合わせた。ナマエの唇は、ほんのりと涙の味がした。

「研磨、私、研磨に甘えていいの……?」
「いいに決まってるでしょ」
「……研磨、」

 ナマエが再び声を上げて泣き始める。おれはナマエの髪を梳くようにして、頭を撫でる。

「……もし、私が本当におばあちゃんちに行くことになったら」
「うん」
「同じ高校には通えるけど、遠くなっちゃうから、研磨とあんまり一緒にはいられなくなっちゃうかもしれない」
「おれが会いにいくよ」
「……研磨、」
「ナマエのそばにいるから」
「……うん」

 しばらくすると、泣き疲れたのかナマエから穏やかな寝息が聞こえてきた。寝顔だけは穏やかなことに、おれはほっと安堵の息を吐く。
 おれはナマエの肩まで布団をかけると、ナマエを抱きしめ直し、瞼を閉じた。


 朝、カーテンの隙間から漏れ出す光に目を覚ました。目を擦ると、ナマエがすっと瞼を開く。

「……起きてたの」
「うん、ちょっと前から」
「よく眠れた?」
「うん、大丈夫……ねえ、研磨」
「どうしたの」

 ナマエがゆっくりと体を起こして布団に座る。そしてぽろぽろと静かに、涙をこぼし始めた。
 おれも勢いよく起き上がり、ナマエの頬を両手で挟むと覗き込んだ。

「また、怖くなっちゃった?」
「ううん、違うの」

 ナマエは首を横に振った。ナマエは涙を必死に拭いながら、おれに言った。

「私、研磨と結婚したい」
「……ナマエ」
「でも、研磨の負担にならないか、やっぱり怖くて」

 おれはナマエの手首を引き、腕の中に閉じこめた。

「ナマエは何にも心配しなくていいよ」
「……研磨」

 朝の光が、シーツの上にちらちらと揺れていた。おれはナマエの頭に頬を寄せ、力強く抱きしめた。

「おれと、結婚しよう」

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