「抱きしめても、いい?」

 今年の春は暖かかった。卒業式の日も穏やかに晴れた晴天で、クロたち三年生は卒業した。
 卒業式のあと。三年生を見送るために廊下にずらりと在校生が並ぶ。その列の中でナマエがひとり泣きながら立っているのを見つけて、おれはそばに近寄った。

「ナマエ」
「けん、ま」

 ナマエは目が溶けだしそうなほど泣いていた。おれは黙ったまま、ナマエの横に並んだ。
 夜久さんや海さんに続いて、クロが階段を降りてくる。クロは号泣しているナマエを見て、驚いたように目を見開いた。

「泣きすぎ」

 クロがナマエの頭を撫でるように叩く。そんなクロもちょっと泣きそうになっているのを、おれは見逃さなかった。

「……楽しかったよ、ナマエと研磨とバレー出来て」
「私、も、クロとインターハイと春高に行けてよかった……!」
「ああもう、そんなに泣きなさんなって」

 クロがそっとナマエを引き寄せる。軽くお互いにハグをしたあと、ゆっくり離れていく。

「研磨と幸せにな」
「……クロ、」
「また、遊ぼうぜ」
「……うん!」

 最後にバレーがしたい、と言い出したのはナマエだった。おれたち三人は放課後、体育館に集合した。

「バレーするの、久しぶり」
「ナマエ、足はもう大丈夫なの」
「あ、うん。全然痛くないよ」
「よし、上げんぞ」

 クロがボールをナマエに放る。ナマエは現役時代と変わらないアンダーでボールを上げると、おれはクロにトスを返した。

「子どものときみたいだね」

 ナマエが、ボールを追いながら言った。

「三人でバレーすんの、久しぶりだよな」
「子どものときはよく、河川敷でバレーして、研磨の家でDVD見てた」

 クロが返したボールが、ナマエの頭上高くを行く。ボールは開けっ放しにしていた体育館の出入り口から、ころころと外へ転がり出た。ナマエがボールを追いかけていき、クロが「悪い」と叫んだ。

「……なあ、研磨」

 クロが、ナマエの後ろ姿を見ながら呟いた。

「どうしたの、クロ」
「俺、やっぱりナマエのこと好きだわ」

 クロは、見たこともないくらい優しい表情で、ナマエを見つめていた。
 クロがいつからナマエのことを好きだったのかは分からない。けれど、親が知り合い同士ということもあり、おれより先にクロとナマエは出会っていて、付き合いは長い。
 気づいたときにはもう、クロもおれも、ナマエのことが好きだったと思う。ナマエを諦めろと誰かに言われて、はい分かりました、と簡単に頷けるかと言われれば、おれたちはどっちもそうじゃない。 

「……そっか」
「ナマエのこと、大事にしろよ、研磨」
「あたりまえでしょ」

 ナマエが、ボールを拾って笑顔で戻ってくる。そんな些細なことでもつい、可愛いな、と思ってしまう。
 ナマエはおれの太陽だった。きっと、それはクロにとっても。それでも――相手がクロといえども、これだけは譲れない。

「なんかあったら、奪うから」

 クロがおれを見ずにさらりとそう言った。決して口調は強くない。けれど、そこには断固とした強い意志があった。
 ナマエがボールをクロに投げる。クロはそれに応えると、おれにボールをトスした。


 謝恩会があるというクロと別れ、帰り道のバスの中。おれは隣同士で座っているナマエの手を取った。そっとナマエの顔を見ると、相変わらずナマエは頬を赤くさせていて、いつになっても慣れない。
 ――クロには、ハグまでさせたのに。
 あれが友情のハグであるということはおれにだって理解できる。けれどおれにはハグどころか手を繋ぐことも精一杯である様子を見せるナマエに、少しだけもやもやとした気持ちが広がってしまう。
 一緒にバスを降りる。ナマエがスマフォを見て「あ、」と声を上げた。

「今日うち、誰もいないみたい」

 ナマエの家はクロと似ていて、母親しか一緒に住んでいる家族はいない。その母親もバリバリのキャリアウーマンで、家にナマエを残すことはしょっちゅうだった。おれは自然と「うちでご飯食べていく?」とナマエに尋ね――そしてはっとした。
ナマエは気づいていないようだった。親が家にいないということの意味に。

「うーん、久しぶりにそうしよっかな!」

 ナマエの家の前を行きすぎ、おれの家に帰りつく。ナマエはいつものように「おばさん、こんばんはー」と靴を脱ぎ始める。
母親がひょっこりと顔を出した。

「あらナマエちゃん、ご飯食べてく?」
「いいですか?」
「もちろんよ」
「わーい!おばさんのご飯久しぶりです!」

 おれとナマエが付き合っているのは、親たちも知らなかった。だから母親も平気な顔をして「研磨の部屋に上がっててね」などと言う。
 ナマエと付き合ってから、おれの部屋の上がるのは初めてだった。ナマエはなにも気にした様子もなく、ぽすん、とおれの部屋のベッドに腰掛けた。

「ねえ研磨、マリカーしようよ」

 ――ああ、もう。

「研磨?どうしたの?」

 突っ立ったままのおれにナマエが尋ねる。おれはカバンを放り投げると、ナマエの隣に腰掛けた。

「けん、ま……?」

 おれの雰囲気が違うことを察したのか、ナマエが首を傾げる。おれはずい、とナマエに顔を近づけた。

「おれも男なんだけど」
「――!!!」

 ぼん、と音がしそうなほどたちまちナマエの顔が赤くなる。ナマエは慌てて立ち上がろうとし、おれはそれを、ナマエの手を掴むことで阻んだ。

「研磨、ごめ、」
「なんで謝るの」
「だ、だって」

 クロにはさせたのに、とおれは呟いた。ナマエの動きが、ぴたりと止まる。

「クロにはハグさせたのに、おれにはさせてくれないんだね」

 おれはわざと拗ねたような声で言った。ナマエが、息を呑んだように顔を上げる。

「……研磨、」
「……おれだってナマエのこと抱きしめたいんだけど」
「え、ええっと、」
「ねえ。……抱きしめても、いい?」

 ナマエは今にも燃えだしそうなほど顔を赤くさせた。研磨、と掠れた声で名前を呼び、ぎゅっと両目を閉じる。
 ナマエが、ゆっくりと頷いた。

「……ナマエ」

 おれはナマエを怖がらせないように、ゆっくりと両腕でナマエを抱きしめた。
 ナマエの体は温かくて柔らかかった。男の中では小柄なおれよりもナマエはずっと小さく、このまま抱き潰してしまえそうで怖かった。
 ナマエの心臓の鼓動が聞こえてきそうだった。多分、おれの心臓の鼓動も、ナマエに聞こえていたと思う。

「けん……ま、」

 ナマエが、恥ずかしさに目を潤ませながらおれを見上げる。おれはナマエを強く腕に閉じ込めた。

「あんまり可愛いこと、しないで」
「研磨、」
「おれだって一応、男なんだから」

 ぽんぽん、と頭を二、三度撫でてからゆっくりと体を離す。ナマエの顔は、見たこともないくらい真っ赤だった。


 ご飯を食べ、おれたちはしばらくマリカーで遊んだ(おれが全勝した)時計の針が二十一時を示すころになると、ナマエが「そろそろ帰ろうかな」と立ち上がった。

「送るよ」

 おれもコントローラーを置いて立ち上がる。ナマエが「え」という顔をした。ナマエに断られる前に、口を開く。

「彼氏なんだから、それくらいはさせて」
「……うん」

 ナマエと手を繋いで家を出る。今日は夜になっても温かくて、むわっとした春の熱気が、おれたちを包んだ。
 ナマエの家まで五分とかからない。その短い距離を、ナマエはにこにこしゃべりながら歩く。
 ナマエの家は、明かりがついていなかった。それもそのはずで、今日はナマエの家には誰もいない。

「……研磨」

 ナマエが、ぽつりと呟いた。

「どうしたの」

 ナマエが言いづらそうに顔を俯ける。俺はその顔に見覚えがあった。
 ナマエがうちで、母親がいない寂しさに泣いたことはよくあった。もちろん、小学生のころだ。わんわんと泣くナマエをおれとクロで必死に慰め、ナマエを誰もいない家まで見送ったことは、一度や二度じゃない。
 おれは、ナマエに切り出していた。

「……寝る前に、電話する?」
「……いいの?ゲームの邪魔じゃない?」

 ナマエが俯いたまま言う。その言葉を聞いて、おれは軽くため息をついた。
 なんというかナマエは、こういうところがある。

「さすがのおれも、ゲームより彼女のほうが大事なんだけど」

 もちろんいいに決まってるでしょ。そう言うと、ナマエはぱっと顔を上げた。

「ほんとに?」
「うん」
「……楽しみ。ありがとう、研磨」

ナマエが、足取り軽く暗い玄関に向かっていく。ドアが閉じられる瞬間、ナマエが隙間から顔を出して、まるで子どものように嬉しそうに笑いながら手を振った。

「それじゃあ、研磨、またあとでね」
「うん、またあとで」

 ナマエの姿が見えなくなるまで手を振り返す。腕にはまだ、ナマエの体の感触が残っているようだった。
 おれはポケットのスマフォを握りしめながら、家まで帰りついた。
 
 

 



 

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