おれの太陽 後半

 おれはナマエとクロに遅れて、地域バレーに参加するようになった。きっかけは、クロとナマエの些細な一言だった。
 その日も、ナマエとクロはバレーのDVDを持ってうちに遊びに……というより、押しかけていた。
 クロは自分が持って来たくせに数時間後にはうとうとし始めていて、画面を見ているのは、おれとナマエだけだった。
 おれたちは同時に声を上げた。

「――今っ、『見た』の見た!?」

 ナマエと顔を見合わせる。ナマエも意味が分かったらしく、目を驚いたようにぱちぱちとさせている。

「ライトの方一瞬見てそっちにあげると思いきや、レフトに上げた!」
「すごい……!セッターってかっこいい……!」

 画面に釘付けになるおれらに、クロが拗ねたような声を上げた。

「見るのもういいから外にいこうぜぇ〜」
「クロが持って来たんじゃん。ねえ先週見たやつもっかい持って来てよ」
「ええっ!?」

 そのとき、だるそうにしていたクロの顔が、突然なにか閃いたように輝いた。おれに向き直り、大きな声で言う。

「研磨やっぱお前セッターになれよ!参謀って感じでかっこいいぞ……!」
「そうだよ研磨くん、セッターってかっこいいよ!!」
「……!」

 おれのなかで「参謀」「かっこいい」の言葉が響いていた。クロはさらに続けた。

「それにセッターはあんまり動かなくていいポジションなんだぞ!」

 そのときのおれは、あれ、と首を傾げたナマエの意味に気づくべきだった。もちろん、セッターが動かなくていいなんて大嘘だった。

「おし、外行くぞ!」
「ええ〜」

 DVDが見たかったおれは、不満の声をあげた。クロとナマエが部屋のドアに駆け寄り、ナマエがふと、おれを振り返った。

「研磨くん、セッターの練習、しようよ!」

 ナマエが、ぱっとおれに手を差し出した。それでも外に行きたがらないおれに、笑いかける。

「セッターの研磨くん、絶対にかっこいいよ!」

 ね、研磨くん――そう満面の笑みで言われたら、おれも満更じゃない気分になってしまう。
 おれはナマエの手を取ると、外へと駆け出していった。河川敷まで走り、バレーボールを宙に放る。
 その日はボールが見えないほど暗くなるまで、オーバーの練習をした。


 脇に挟んでいた体温計が、ピピピと電子音を響かせる。表示されていたのは三十八度という数字で、おれはぽすんとベッドに寝転がった。
 もともとおれは体が弱かった。喘息もあったし、きつい練習や大会の後は、こうして熱を出して寝込むのはしょっちゅうだった。
 布団を被り、目を閉じた。ここまでしてクロとナマエのバレーに付き合う必要は、自分でもないと思う。
 けれど、おれをバレーに向かわせていたのは。
 ナマエの「セッターの研磨くん、絶対かっこいいよ!」という声が、脳裏に蘇る。試合中必死におれらを応援する、ナマエの姿も。
 もう一眠りしよう、とおれは眠ることに決めた。きっと夕方になれば、熱は下がっているはずだ。


 目が覚めると、部屋にはオレンジの光が満ちていた。時計は午後四時を示していて、ゆっくりと体を起こしてみる。体は思っていたよりもだるく、まだ熱がありそうだった。布団に戻り、再び体を横たえる。
 しばらくして、階下からナマエと母親の声が聞こえた。きっとナマエがお見舞いに来てくれたのだろう。とんとんとんと階段を登ってくる控えめな音がし、ドアがノックされる。

「……研磨くん?」
「……ナマエ?」

 がちゃり、とドアが開かれる。そこにはやはり、ナマエがいた。
 ナマエは心配そうな顔でベッドに駆け寄ってきた。

「研磨くん、大丈夫……?クロも心配してたよ」

 おれはそんなナマエを見て、どうしてか急に、パジャマ姿でベッドに横になっている自分が、情けなく思えた。

「大丈夫、だから」

 気づいたらおれは、そっけない声を出していた。目を閉じ、寝返りを打ってナマエに背中を向ける。
 どうしてだろう。なぜ、こんな気持ちになるのだろう。

「……研磨くん」

 ナマエが、しょんぼりした声で呟く。おれの胸は、情けなさと罪悪感でいっぱいだった。
 しばらく、無言の間が続いた。

「……無理しないでね」

 そう言うとナマエはおれの額に手を伸ばすと、後ろからそっと触れた。ナマエの手は、冷たくて心地よかった。
 おれははっとしてナマエの方を向いた。

「……ナマエ、ごめん……」
「ううん、大丈夫。まだお熱あるね。研磨くんは、頑張り屋さんだから」
「別に、バレー頑張ってるわけじゃないし……」
「そんなことないよ。研磨くんは、頑張ってるよ」

 ナマエが、おれを励ますように笑った。おれは布団を被りなおして、深く潜った。
 また一緒にバレーやろうね、早く元気になってね、ナマエが控えめに言いながら部屋を出て行く。おれはなんにも、ナマエに言えなかった。


 おれたちは年齢の順番に小学校を卒業し、中学校に入学した。ナマエは毎回おれらを見送る側で、いつも学校に残される側だった。

「クロぉ……」

 クロが小学校を卒業するとき、ナマエはまだ四年生だった。まだまだ幼さが残る手で、必死に涙を拭う。

「泣くなよナマエ!また遊ぼうぜ」

 クロは泣きじゃくるナマエの頭を撫でて、そう励ました。
 クロの次はおれの番だった。やはりナマエは、おれのときもわんわんと泣きじゃくっていた。

「クロも研磨もいなくなっちゃった……」

 もうその頃には、研磨くん、なんていう呼び方はしなくなっていた。引っ込み思案だったナマエは、次第にその本領を(本性とも言う)発揮して、クラスのリーダー的存在になることもしばしばだった。
 ナマエは、太陽のように明るい女の子だった。少しおてんばなくらいに。

「来年、待ってるよ」
「……うん」

 ナマエが涙を拭きながら笑う。おれはそう言ってナマエを慰めるだけで、精一杯だった。
 中学を全員卒業し、クロがキャプテンとして三年生を迎えたころ。ナマエはおれたちと同じ高校に入り、そしてバレーを辞めた。はっきり言えば、ナマエに運動のセンスがないのは明らかだった。
 けれどクロはナマエがバレーをやめるのに反対だった。クロは何度も、熱心に、ナマエにバレーを続けるように説得し続けた。
 この頃からクロもナマエのことが好きだったのだと思う。そしてナマエが心底バレーを好きだということを子どもの頃から知っていたのも、クロだった。
 かというおれは、ナマエに何か言える立場ではなかった。惰性でバレーを続けているおれに、好きだけど諦めようとしているナマエへ言えることは、何にもなかった。
 ある日、ぽろりとナマエが本心をこぼしたことがあった。

「本当は続けたいよ、バレー」

 西日の光がナマエの横顔を照らす、放課後の教室でのことだった。おれは黙って、ナマエのそばにいた。
 これがなんでもない他人だったら。勝手にすればいいのに、と思っていたことだろう。
 けれどナマエだったから。おれはゲームをする手を止めて、ナマエの話に耳を傾けた。

「でもバレー、好きだけど向いてないって気づいちゃった」

 ナマエがうつむく。おれは何を言ったらいいのか、分からなかった。

「でもね、それだけが道じゃないっていうことにも気づいたの。私ね、何かを頑張っている人を応援するような、そんなことが高校ではしたい。……クロも、分かってくれるといいんだけど」

 ナマエらしい、とおれは思った。きっとナマエにぴったりだと思うよ、と口にする代わりに、おれはナマエと二人で並んで帰った。
 その後クロとナマエは今までしたことのないような大喧嘩をしたのち、バレー部のマネージャーになるということで決着をした。
 バレー以外であんなに必死になるクロを、おれは初めて見たと思う。そしてこんなに本心からナマエとぶつかり合えるクロのことを、おれは羨ましいと思った。
 ナマエがバレーで大怪我したときも、小学校でいじめられていたときも、いつもクロはナマエを励ましていた。
 おれはそんなふたりのそばにいつもいるだけだった。 
 ふたりが両思いなのは、見ればすぐにわかった。

 
 春高、三日目。おれたちは烏野と対戦して、負けた。
 おれたちが試合を終えたとき。ナマエはおれたちに駆け寄ると、その場にいた誰よりも泣いていた。
 クロが「そんなに泣くなって」とナマエの肩を叩いて引きよせる。

「みんな、本当ににすごかった……!私、ここでみんなの応援ができて本当によかった……!ここまでこれたのは、みんなのおかげだよ……!」
「ありがとなあ、ナマエ」

 泣くな泣くな、とクロがナマエの頭をぐりぐりとする。ナマエは真っ赤な瞳で泣きながら笑い、おれを見た。そしてコートに座り込んでいるおれに向かって、真っ直ぐに手を伸ばした。

「研磨、本当にすごかったよ!頑張ったね!」

 おれはその笑顔を見ながら、ふと、ナマエがあの日こぼした「頑張っている人を応援できるようなことがしたい」という本音を思い出した。ナマエはここまで来られて応援できたのはみんなのおかげだと言う。けれど、今日おれが確かに感じた「楽しい」という感情は、クロとナマエがあのときおれを誘って、手を差し伸べてくれなければありえなかった。
 おれはナマエの手を取って立ち上がりながら言った。

「クロ、ナマエ。おれにバレーボール教えてくれてありがとう」

 クロが、虚をつかれたような顔で目を見開きながら「……あ、うん」「……は??」と呟く。
 おれはますます泣き出したナマエの頭を、ぽんぽん、と二回だけ撫でた。
 試合が終わった日の夜、おれはクロに呼び出されて、近所の公園まで出た。実は少し微熱が出はじめていたけれど、クロがわざわざ会って話したいと言うから、きっと何か大事な話しなのだろうと察した。

「……クロ」

 クロはブランコに揺られていた。手にはナマエが春高が始まる前に作ってくれた「必勝お守り」が握られていた。

「よお、研磨」
「どうしたの、クロ、こんな時間に」
「今日は、お疲れさん」
「……お疲れ様」

 座れよ、とクロに促されて隣のブランコに腰掛ける。錆びた鎖が、軋んだ音を立てた。

「……あいつ、俺らより泣いてたな」

 クロが手のひらの中のお守りを弄りながら言う。その仕草から、クロが言いたいことを言おうかどうか、迷っているのが分かった。

「……どうしたの、クロ」

 おれは再びクロに尋ねた。クロが数回、ブランコを軽く漕ぐ。

「単刀直入に言うと、俺、あいつにフラれたわ」

 音が、一瞬だけ消えた。クロはおれに構わず、続けた。

「さっき、ナマエ呼び出してさ。ここで『好きです』って告ったわけですよ?」

 クロが、おどけたように言う。けれどおれは少しも笑えなかった。

「それが玉砕。あーあ、試合に負けるし、フラれるし、ダメですねえ」
「……ナマエは、クロのことが好きだと思ってた」

 そうかぁ?とクロが笑う。おれはどうしてクロが笑うのか分からなかった。

「勝率は五分五分かなって感じだったよ、最初はね。それが有無を言わさずフラれるんだから、完敗だよ、研磨に」

 どうしてここでおれの名前が出てくるのだろう。「……どういうこと、クロ」と呟いたおれに、クロが「お前なあ」と苦笑いする。

「ここまで言って分かんないかなあ。ほんとお前、ナマエに対してだけは鈍感だよな。……ナマエは研磨のことが好きなんだよ」

 どくんと、心臓が痛いほどに鳴った。おれはクロがなにを言っているのか理解できないまま、クロを見つめた。
 あーもう、と言いながらクロがブランコから立ち上がる。そしておれの手首を掴むと、勢いよく立ち上がらせた。

「ナマエのことに関してはヘタレで鈍感な研磨クン!?今すぐナマエのとこに行かねえと、怒んぞ!?」
「ク、クロ……!?」
「あいつ『研磨は私のこと好きじゃないから』って、泣いてた」

 とん、とクロに背中を押される。おれは二、三歩よろけたあと、クロを振り返った。

「……クロ、」
「いけよほら……。ああもう、なーんで俺は敵に塩を送るようなことしてんのかねえ。……でもまあ、おまえらふたりだからいいわ」

 クロが再び笑う。おれはクロに「ありがとう」と呟くと、夜の公園を走って飛び出した。
 ナマエの家までそう遠くはない。けれど試合後の発熱し始めた体に、この距離は長かった。おれは息を切らせながらナマエの家の玄関までたどり着いた。迷惑になるかもしれないと一瞬躊躇しながら、ピンポンを鳴らす。

「はーい、どちら様……って、研磨、どうしたのこんな時間に、それにすごい汗……」

 出てきたのはナマエだった。ナマエはドアを開けた途端、いつものように笑った。瞼が少し、赤く腫れていた。

「……ナマエ、」
「ど、どうしたの研磨」

 ナマエが戸惑ったような顔をする。おれは手のひらを握りしめて呼吸を整えた。

「ナマエのことが、ずっとずっと好きだった」
「けん、ま……?」

 ナマエの目が、驚きに見開かれる。そのとき、おれの足から力が抜けた。立っていられず、膝ががくんと折れてその場に崩れ落ちる。ナマエが「研磨!」とおれの体を支えた。
 熱がどんどん上がっているのが分かる。でもこれだけは――ナマエに伝えたかった。
 おれは近所迷惑も考えず、ナマエの肩を掴むと、叫ぶようにして言っていた。

「おれと、付き合って欲しい」

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