「手、繋ご」

 こどものときは、よくナマエと手を繋いでいた。それはクロも同じで、ナマエを真ん中にして三人で手を繋ぐこともしばしばだった。手を繋ぐとき、大抵はナマエから手を差し伸べてくれたけれど、大きくなるにつれ次第に手を繋ぐことはもちろんなくなっていた。
 ナマエと付き合い始めて二週間が経つ頃。部内ではあっというまにおれとナマエが付き合っていることが広まった。部員の反応は様々で「やっとかよ」という反応が大半だった。
 付き合い始めても、おれとナマエの関係はほとんど変わらなかった。朝はクロと三人で漫画やバレーの話をしながら登校し、三人とも学年がばらばらだから日中は別行動。放課後になれば今まではクロとナマエと体育館へ移動していたけれど、クロが引退した今はナマエと体育館へ向かう。そして部活を終えてみんなでバスに乗り、最寄りのバス停にナマエとふたりで降りて家まで帰りつくまでが、やっと二人きりになることができる時間だった。
 おれたちはいつものように並んで歩いていた。車道側がおれ、住宅街側がナマエ。別に男が車道を歩くべきとか思わないけれど、自然とこういう形で歩くようになった。
 ナマエが、白い息を吐きながらたわいもないことを話す。バス停からナマエの家までは、五分とかからない。けれど、ナマエとふたりになれる唯一の時間だった。
 ナマエの最近の話題は、こないだおれが教えた「マリカー」のことだった。ゲームをほとんどしたことがないナマエに、自分でもできそうなゲームはないかと先週聞かれ、教えてあげたのが「マリカー」だった。
 とはいえナマエはおれが想像していた以上に不器用だった。未だにロケットスタートができずにスタートが出遅れることを、ナマエが、嘆きながら話す。

「タイミングさえ掴めればできるはずなんだけど……」
「それが難しいの!なんで研磨はそんなに速く走って甲羅をぶつけられるの!?」
「まあ、今作はアイテム運次第なところもあるし……」

ナマエがむむむと難しい顔をする。次第にナマエの家の屋根が見えてきて、おれたちは立ち止まった。

「……それじゃあ、また明日ね、研磨」
「うん、じゃあね」

 ナマエが、名残惜しそうに手を振りながら家の中へと入っていく(変わったことと言えば、ナマエが帰り際に手を振るようになったことだ)おれはナマエの姿が見えなくなるまで見送ってから、自分の家へと歩きはじめた。
 二週間。まだ焦り始めるような時期ではないと思う。ナマエとは、自然とそうなっていけばいい。
 寒さに鼻を赤くしながら手を振るナマエの姿を思い出す。そういう仕草がいちいち、可愛くて仕方がない。


 とはいえバレンタインデー一週間前になっても手を繋ぐことさえ一度もなかったことに、さすがのおれも焦りというか、じれったさを感じていた。それはクロも察していたようで、学校の廊下でクロと出会ったとき、クロは意地悪い笑みを浮かべていた。

「研磨、どーよ最近」
「どーよって、別に、言葉通りなんもないけど」
「ふーん、なんもない、ねえ」
「何が言いたいわけ、クロ」
「そろそろ付き合って一か月なのに?」
「……そうだけど」

 ふーん、とクロが笑みを深くする。だからなんなの、とおれは眉間に皺を寄せた。

「ま、小さいころからの幼馴染だから、なかなか進展がないってのも分かりますよ?」
「……おれだってなんにも考えてないわけじゃない」
「それならいいけどさ。ま、頑張れよ」

 そう言ってクロはおれの背中を軽く叩くと、廊下を歩いていく。その姿を、一体なんなんだと思いながら見送った。
 その日の帰り道は雨が降っていた。最寄りのバス停から降りて、ナマエと傘を差しながら、いつものようにその日あったことを話しながら家路につく。やはりというべきか、今日もふたりとも手を繋ぐきっかけがつかめずに、次第にナマエの家の屋根が見え始めたころだった。
 後ろから一台のトラックが、水たまりを跳ね散らかしながら迫ってきていた。ナマエが、「研磨」とおれを呼んだ。ぐい、と引っ張られる感じがして、思わずおれは、ナマエの方を見た。
 ナマエの手が、おれの服を掴んでいた。

「濡れちゃうよ」
「う、うん」

 おれはナマエのほうに寄り、立ち止まってトラックをやり過ごした。布越しにナマエの手がおれに触れていた。いつもよりナマエとの距離が近く、傘の下でナマエの長いまつげがよく見えた。形のいい唇も。小さくつんとした鼻も。

「……」

 おれたちは一瞬だけ目が合った。ナマエが、慌てたように手をぱっと離した。

「ご、ごめん研磨、掴んじゃって」
「……ううん、全然平気だから」

 ナマエの手が離れていく。おれたちはいつもの距離感に戻って、再びなんてことなかったかのように歩き始めた。


 次の日の部活動の前。おれがクロと話していると、エプロン姿のナマエが、遠くからぱたぱたと駆けてきた。
「研磨、クロ!調理実習で作ったの。よかったらもらってくれる?」
 ナマエの手には、調理実習で作ったというクッキーが、小分けにラッピングされていた。
 ナマエがにこにこ笑いながら「はい研磨、クロ」と順番に渡される。

「これマジでナマエが作ったの?」
「そうだよ!ちゃんと私が作りました!クロ、受験勉強大詰めでしょ?頑張ってね!」
「これ食って頑張るわ」

 ナマエとクロの関係は、おれたちが付き合うってからも何も変わっていない。おれはそのことに安堵しながらも、二人の姿に、ちりちりとした痛みを感じていた。
 どうかしている、と思う。三人が前と変わらず仲良くいられること。それがナマエの望みで、おれにも異存はない。
 けれど。

「……研磨?どうしたの?」

 ナマエが、黙っているおれを不安そうに覗き込む。おれは慌てて口を開いた。

「なんでもない。ありがと、ナマエ」

 けれどナマエの表情は曇っていた。ナマエは後片付けがあるからと、再び調理室へと戻っていく。
 クロが、肘でおれをつついた。

「もうちょっとなんか言うことあるだろ」
「……うるさいな」
「素直になんないと、進まんねえぞ」
「……分かってるよ」

 分かっている。なにもかも。クロとナマエが相変わらず仲がいいことも。一歩踏み出すべきなのも。
 けれどきっかけが掴めない。なんせ小さいころからの幼馴染なのだ。
 おれはぱたぱたと走るナマエの後ろ姿を、じっと見つめていた。


 部活動が終わったあと、ナマエが先生に呼ばれ、おれたちは先に校門のところで待っていた。けれどしばらく待ってもナマエは戻ってこない。バスの時間もあるし、おれはみんなを先に行かせてナマエを呼びに校舎へ戻った。
昇降口に差し掛かると、ちょうどナマエが、靴箱の前で靴を履いていた。おれに気づいて、ぱっと顔を上げる。

「研磨、お待たせ!」

 ナマエが慌てたように昇降口から走ってくる。そのとき、ふっとナマエの体ががくんと前のめりになった。ナマエの瞳が、一瞬で驚きに見開かれる。
 ナマエは、右足を縺れさせていた。

「ナマエ!!」

 おれはこのときばかりスポーツをしていてよかったと思ったことはなかった。おれは両手を前に差し出し、倒れこむナマエの体をなんとか抱きとめた。

「ナマエ、だいじょう……」

 大丈夫、と最後まで言いかけておれの口は止まった。ナマエが、すっぱりと腕の中にいる。
 ナマエはぎゅっと閉じていた瞼を開くと、おれを見上げた。すぐそこで、ナマエの瞳の中におれが映っていた。

「ご、ごめん研磨!!」

 ナマエが急いで離れようとし「いたっ」と顔を顰めた。

「もしかして、足、捻った?」
「……そうみたい」
「見せて」

 おれはナマエを段差に座らせた。捻ったらしい右足首を掴み、靴下を脱がせる。幸いなことに腫れてはいなかったけれど、応急処置をしておいたほうがいい。
 おれはリュックからテーピングを取り出した。ナマエの足を膝の上に乗せ、テープを巻いていく。

「ほんとは冷やした方がいいけど、そんなにひどい捻挫じゃなさそうだから。こうしとけば、歩けるようにはなるよ」
「け、研磨」

 その声に、おれははっと顔を上げた。ナマエの顔は、真っ赤だった。途端にナマエの肌に触れている指先が、熱を持っていく。
おれはぱっと足首を掴んでいた手を離した。

「ご、ごめん、ナマエ」 
「ううん、私の方こそ、ありがとう」
「歩けそう?」
「うん……大丈夫そう」

 靴下を履いたナマエが、ゆっくりと立ち上がって、二、三歩歩く。とりあえず、帰るまでは歩けそうだった。

「家に帰ったらすぐ冷やして」
「ありがとう、研磨」

 ほんとバカだよね私、とナマエが笑ってカバンを持ち上げる。ナマエの足首を掴んでいた指先から、熱が引いていく。

「……」
「……研磨?」

 バスはもうとっくに出発しているころだろう。ということは、校門に戻っても誰もいない。二人きりの時間が、今日は少しだけ長い。
 ナマエからクッキーをもらって嬉しそうだったクロの顔を思い出す。あの時確かに感じた、ちり、という痛みも。
 おれはナマエの荷物を奪い去るようにして取りあげると、肩に掛けた。そして思い切って、ナマエの手を、掴むように握った。

「け、研磨……!?」

 ナマエが、大げさなほどびくりと肩を揺らす。見る間に顔が赤くなっていき、おれは握る手に力を込めながら言った。

「また転ぶと、いけないから」

 それはきっかけを作るための言い訳に過ぎなかった。本当はおれが、ナマエと手を繋ぎたかった。

「けん、ま……」
「手、繋ご」

 ナマエの小さな手が、おれの手をそっと握り返したのが分かった。
 おれたちはゆっくりと歩きながら校門を出た。ナマエは真っ赤な顔のままで、おれたちはぎくしゃくと無言のまま歩き続けた。お互いの心臓の音が、てのひらを伝わって聞こえてきそうだった。
 バスを待っている間も、バスの中でも、おれはナマエの手を握って離さなかった。ナマエはおれのすぐそばで、真っ赤な顔を俯かせながら、おれの手を握っていた。
 バスを降りても会話は弾まなかった。けれど嫌な雰囲気ではなく、ずっとナマエが緊張しているのが、握る手の強さで分かった。
 ナマエの家にたどり着くと、ナマエはおれの手をそっと離して、小走りで玄関に入っていった。 
ナマエが小さく、恥ずかしそうに笑いながら、さっきまで握っていた小さな手を振る。

「……研磨、また、明日ね」
「……うん、また明日」

おれも手を振り返し、ナマエの後ろ姿をドアが閉められるまで見送る。ナマエの姿が完全に見えなくなったあと。おれは熱を持つ顔を、マフラーの中に埋めて笑った。



 

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