やっと付き合う二人の話

 ナマエの匂いがして、おれはゆっくりと瞼を開けた。知っているような、知らないような、そんな天井が目の前に広がっていた。額に、冷たいものが張りつけられている。おれはゆっくりと手を伸ばして額の冷えピタに触れ、あたりを見回した。
 ここはナマエの部屋だった。ナマエはベッドに突っ伏して眠っていて、おれはがばりと勢いよく、寝かされていたナマエのベッドから上半身を起こした。

「けん、ま、」

 ナマエのベッドで眠っていた。そんなおれの動揺に気づいているのかいないのか、ナマエが瞼を擦りながら目を覚ます。

「ナマエ、おれ、」
「……研磨、大丈夫?熱は?」
「……まだ少しある、けど」

 そっか、少し下がったならよかった、とナマエが微笑んだ。

「研磨、いきなり私の家に来て、倒れちゃったんだよ。熱もあるし、本当にびっくりしたし心配したんだから。研磨の家に電話を掛けて、それで体調が落ち着くまでうちで寝かせますってことになって」
「……ごめん、そうだったんだ、ありがと」
「自分の家で休んだ方がいいよ。私もついていくから、一緒に帰ろう」

 カーテンの隙間からは朝の光がこぼれていた。ということは、一晩中ナマエのベッドで眠っていたことになる。
 ナマエがゆっくりと立ち上がる。そして「研磨」と呟いた。

「……お返事は、少し待っていて欲しいの」

 おれは動きを止めた。なんのことなのか一瞬で分かるけれど、少し待っていて欲しい、とは少しも予想していなかった答えだった。

「研磨のことが、嫌いとかそういうことじゃないの。……ただ、ごめん、時間が欲しくて」

 ナマエの表情は、なにか思いつめているかのように暗かった。おれは「どうして」と開きかけた口を閉じた。

「……分かった、待ってる。おれにできる相談なら、乗るから」
「うん、ごめん、ありがとう……研磨」

 ナマエはそう言うと、顔をあげて微かに笑った。
 始業式まで、しばらくオフが続いた。それまでおれはクロともナマエとも顔を合わすことなく、上がったり下がったりする熱に寝込みながら過ごしていた。
 始業式の日の朝、家の前でナマエとクロと待ち合わせをする。クロとナマエは、いつものように話をしながら、遅いおれを待っていた。

「おはよ、研磨。始業式だね」
「研磨、始業式から遅刻するかと思っただろ」
「うん……おはよ」

 おれは戸惑いながら、ふたりに返事を返す。ナマエにはこのあいだのような暗い表情はない。「時間が欲しい」とナマエは言っていた。あれはどういうことなのか、おれのなかで、疑問がうずまいていた。


 始業式はただただめんどうくさかった。長いだけでつまらない校長の話も、生徒指導の説教も聞き流しながら、おれはぼうっと、ナマエのことを考えていた。
 午前中で授業を終え、弁当を食べ、部活をしに体育館へ向かったときだった。体育館にはすでに人影があって、おれは思わず、ドアの陰に隠れた。
 ナマエと、クロだった。
 クロは春高で部活を引退している。ということは、ナマエがクロを体育館に呼び出したのだろう。
 ナマエとクロは肩を寄せ合いながら、なにやら耳打ちするように会話していた。ふと、ナマエがうつむく。きらきらとしたものが零れ落ち、ナマエが、泣いているのだと分かった。けれどすぐさまクロがナマエの肩を抱き寄せ、ナマエの表情は泣き笑いの顔に変わる。
 ナマエがクロになにか悩み事を打ち明けているのだということは、すぐに分かった。そしてその相手がおれではないことに、おれは、暗い感情が膨らんでくるのを抑えきれなかった。

「…………」

 クロとナマエは親が知り合い同士のこともあり、今までふたりがどれだけ仲良さそうにしていても、おれは気にしたことがなかった。それはいつものことだったし、いつだってふたりはおれがやってくると輪の中にいれてくれた。
 けれど今日は違った。おれがわざと足音を立てながら二人に近づくと、ナマエは慌てたようにおれから顔を背けて涙を拭うと、部室の方へと走っていった。
 ――おれには、言いたくないってこと?

「…………」
「……よ、よう、研磨、なんでそんな怖い顔してんだよ」
「……別に」

 おれは早足にその場を離れると、部室に向かった。おれは、クロに嫉妬していた。


「研磨、あのね」

 部活動終了後。おれはナマエに呼び止められて、汗を拭きながらいつものように振り返った、つもりだった。けれどナマエはおれの顔を見ると、びくりと肩を揺らして今にも泣きそうな表情をした。

「……あの、ごめん……。ちょっと話があるから、残ってもらっても、いい?」
「……分かった」

 おれはそれだけ言うと着替えるために部室まで向かった。ナマエのさっきまでの悲しそうな顔が、脳裏に残っていた。
 着替え終わり、最小限のライトだけが灯った体育館で、ナマエを待つ。駆け寄ってくるような足音が聞こえ、おれはナマエの方を向いた。

「研磨、あのね」

 それはナマエの口癖だった。なにか言いづらいことがあるとき、ナマエは大抵、あのね、と続ける。
 ナマエが、顔を俯けながら言った。

「……ごめんなさい」

 心臓が、いやな音を立てる。指先から血の気が引いていく。

「……クロと付き合うの?」
「……え?」
「とぼけなくてもいいよ。クロにも、告白されたんでしょ」

 ナマエが、ぽかんとした表情をする。おれはだんだん、クロにもナマエにも、こんなことを言おうとしている自分にも、腹立たしくなってきた。

「……よかったね、両思いで」

 おれはそう言い残して体育館をあとにしようとした。ナマエが慌てたように、おれのあと追う。

「け、研磨、ちょっと待って」
「……なに」

 ナマエがおれを呼び止める。おれは立ち止まって、振り返った。

「研磨、きっと誤解してる」
「……え?」
「研磨の告白、なかなかお返事ができなくてごめんなさい。私、研磨と付き合うのが……怖かった」
「怖いって、なんで」
「……クロじゃなくて研磨と付き合うことで、クロを蔑ろにしているような気持ちになった。それに、今までみたいに三人で仲良くいられなくなったらどうしようって……二人の仲が私のせいで悪くなったらと思ったら、怖かった」

 だから、すぐには研磨の告白に応えられなかった。ごめんなさい。
 ナマエが再び顔を俯かせる。おれは点と点が繋がって線になっていくのを感じながら、口を開いた。

「じゃあ、今日体育館でクロと話してたのは」
「研磨に告白されたことを話してた。私が研磨と付き合うことで、二人の仲が悪くなってしまわないか、相談してた。そしたらクロは笑って『そんなことあるわけないでしょ』て、言ってくれた」

 おれは公園での一件を思い出した。おれの背中を押してくれたのはクロだ。だから、おれたちの仲が険悪になったりすることはない。けれど、ナマエはそのことを知らない。

「研磨、誤解されるようなことをして、ごめんなさい」
「ごめん、おれも……さっきひどいこと言った」

 ううん、はっきりしない私が悪いから、とナマエが呟くように言う。
ナマエは大きく息を吸い込むと、まっすぐにおれを見つめた。

「まだ、告白のお返事、してもいい?」

 ナマエの顔は、真っ赤だった。おれはなんとか「……うん」と頷いた。

「私も研磨のことが、子どもの頃からずっと好きだった。私でよかったら……私と、付き合ってください」


体育館を出ると、みんなはもうバス停に行ったらしい。おれらを待っていたのは、なんとクロだった。

「クロ、ずっと学校にいたの」
 ナマエが声を上げて驚く。クロはにやにや笑いながら俺らの首に腕を回した。
「んー?親友ふたりの華々しい門出を、見ようと思って。おめでとさん、ふたりとも」

 ナマエが、今にも泣きそうな声で「クロ……」と呟く。クロがナマエの頭を、くしゃくしゃと撫でた。

「やーっとかよ、ほんとに」
「やっとってなに、クロ」
「そのまんまの意味。これで俺も安心して卒業できるわ」

 その日は三人でいつものようにくだらない話をしながら家まで帰った。けれどクロはもう引退しているし、こうやって三人で家まで帰るのは、多分そんなにない。
まるで小さいころに戻ったかのように、ナマエはずっと笑っていた。おれは笑い合うふたりを見ながら――クロにこっそりと、感謝していた。

 
 







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