灰谷蘭は見た

 ははん、と蘭は思った。これはなにかあるな、と。というのも、竜胆がリビングのソファで、眉間に皺を寄せながら文庫本を読んでいるのである。自慢できることではないが、蘭にも竜胆にも読書をするなんていう習慣はない。弟が読書をする姿を初めて見たくらいだ。蘭には竜胆が読書する理由にピンと来ていた。ほとんど、兄としての勘だった。

「りんど〜、何読んでんだよ」

 さりげなく竜胆の背後に近づき、ひょいと文庫本を取り上げる。竜胆が「なにすんだよ、兄貴」と声を上げる。

「……『吾輩は猫である』?」

 蘭がタイトルを読み上げると、竜胆に文庫本を取り返された。ほのかに頬が赤いし、やけに慌てている。ははん、やっぱりそういうことか、と蘭は笑みを深くした。要するに――最近やけに出入りしている図書室で、何かあるということだ。

「最近どうしたんだよ、竜胆」
「兄貴には関係ないだろ」
「つれね〜なあ。教えてくれたっていいだろ?」
「ぜっってぇ教えねえ」

 竜胆はひときわ協調してそう言うと、文庫本に視線を戻した。「兄貴に対して反抗期かぁ?」とからかうも、竜胆は顔を上げない。蘭は決め手の一言を放った。

「最近図書室に入り浸ってんだろ?図書委員会にも入って」
「……なっ、なんで兄貴が知ってんだよ!?」

 今度こそ竜胆が文庫本から顔を上げた。その表情が、言葉にせずともすべてを答えていた。

「そりゃあまあ、休み時間にコソコソなにやってんのかなあって、兄貴としては気になるだろ?それにオレが知ってんのは図書室に入り浸っていることだけ。それ以外なんも言ってねえけど」
「……兄貴、マジウザい」

 今度こそ竜胆は――蘭に対して無視を決め込んだ。蘭が「なあなあ」とつついても、頑なに顔を上げない。蘭は諦めて、ははん、と笑いながら自室へと戻った。扉の隙間から竜胆を見ると、竜胆は相変わらず、難しい顔をして本と取っ組み合っていた。


 次の日の放課後、蘭はこそこそと教室を後にする竜胆のあとを追った。行先は分かっている。図書室だろう。そしてその図書室で誰と出会っているのか――それが問題だった。
 竜胆が図書室に入ってからしばらく。ひとりの女子生徒が、階段を下りてきた。蘭は壁に凭れかかってケータイを弄るふりをしながら、そっとその女子生徒を盗み見た。うちの学校の図書委員長であるミョウジナマエだった。おいおい、まさかな、と蘭は図書室をそっと覗いた。

「竜胆くん、お待たせ」
「待ってねえって、オレの方こそ委員会の仕事手伝ってもらってんだし」
「本は読んできた?『吾輩は猫である』」
「一応最後まで読んだ」
「そっか、どうだった?」

 ミョウジが、ぱっと笑顔になる。その笑顔を見て竜胆は、あからさまに視線を反らした。蘭には分かる――竜胆はこういうとき、大抵照れている。

「――まあまあ、面白かったかな」

 嘘である。昨日は一晩かかって読み通し、そのあいだじゅう、ずっとしかめ面をしていた。とはいえここは「男」として、面白かったと言うしかないだろう。蘭は笑いを堪えるので必死になった。

「よかった!じゃあ一緒に、今度図書室のイベントで使うPOPを作ろう。私がイラスト書くから、あらすじは竜胆くんが考えてくれる?」
「お、おう」

 ミョウジがカバンから紙切れを取り出し、竜胆に見せる。竜胆は言われるがまま、ペンを手に持った。

「竜胆くん、字、綺麗だね!」
 竜胆の方に顔を寄せたミョウジが、手元を覗き込みながら笑う。明らかに竜胆はその距離感に戸惑っていた。
「んなこと初めて言われたけど」
「えー、ほんとに?上手だよ?」
「……ありがとな」

 蘭はミョウジと竜胆のやりとりに、胸の中で「中坊の青春かよ」と突っ込んだ。蘭はミョウジの容姿をじっと見つめた。黒髪にひざ丈のスカート。校則通りの真っ白いソックスにきちんと絞められたブレザーのリボン。化粧っけはなく、どちらかと言えば地味なほうだ。ただ、黒目がちの瞳はぱっちりとしていて、確かに竜胆の好みだった。蘭は兄貴ながら情けなくなっていた。今まで女なんて使い捨ててきたような竜胆が。一度も女に困ったことのない竜胆が。こんな地味でどこにでもいるような女にタジタジになっている。

「……ミョウジさんもイラスト、うまくね?」
「竜胆くんも猫、描く?」
「オレイラストなんてかけねえけど」
「ちょっとスペースあまっちゃったから、竜胆くんも描いてよ」
「あー、下手でいいなら、描く」

 竜胆はそういうと、ミョウジからペンを受け取った。ミョウジの視線が竜胆の手元に集中する。蘭には、手に取るように竜胆が緊張しているのが分かった。

「……あは、可愛い!」
「……可愛いか?これ」
「可愛いよ。ちょっと不細工なところが、本の中に出てくる猫とそっくりって感じ」
「……おーよ」
「(もっとなんか気の利いたこと言えねえのかよ、アイツは)」 

 蘭はそっとその場を離れた。校門へ向かい、物陰に隠れるようにして立つ。しばらくすると、下校時間を知らせるチャイムが鳴り響いた。昇降口から、わらわらと学生たちが出てくる。その中に混じって、蘭はミョウジと竜胆を見つけた。手は繋いでいなかったが、竜胆がタイミングを見計らおうとしてソワソワしているのは明らかだった。

「ミョウジさん、家、どこ?」
「駅の方だけど、どしたの?」
「送ってく」
「……え、でも、遠回りになったりしない?」
「いーよ、暗いから、危ねえだろ」
「……それじゃあ、一緒に帰ろっか」

 何やってんだよ竜胆、頑張れ、と蘭は心の中で声を張り上げる。校門に差し掛かるころ、竜胆が、思い切った様子で口を開いた。

「……手、繋がね?」

 ミョウジが目を見開いて驚いたように赤くなる。竜胆の顔も真っ赤だった。蘭は胸の中で、ガッツポーズを決めた。



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -