怖いときにはそばにいて1

 真夜中のことだった。私はすでにベッドに入っていて、暗闇の中、瞼を閉じていた。部屋はしんと静かで、物音ひとつしない。うとうとと眠りに落ちかけたころ、玄関のドアが鈍い音を立てて開かれた。こんな夜中に訪ねてくる人物はひとりしかいない。春千夜の仕事のことを考えたら仕方ないのかもしれないけれど、文句のひとつでも言いたくなる気持ちは分かってもらえると思う。私は眠たい目をこすりな
がら上半身を起こした。

「うーん……春千夜……?」

 いつもだったら眠っている私にお構いなく春千夜は上がってくる。けれど、玄関のほうからは物音ひとつせず、私は首を傾げた。1LDKの安アパートだから、そんなに広い家というわけでもない。

「春千夜?春千夜でしょ?」

 なんだろう、新手のどっきりだろうか。いや春千夜がそんなことをするタイプだとは思えない。そんなことがあった日には雪が降るだろう。そんなことを考えつつも、私はベッドからのそのそと起き上がった。どうせ春千夜だろう、もしかしたら酔っぱらってでもいるのかもしれない。「もう、一体どうしたの――」と私はぱちりと部屋の電気を付けた。
 そしてそこにいた人物に、私は叫び声すら上げることができなかった。
 そこにいたのは、全身黒ずくめの、全く見知らぬ男だった。

「だっ、ひっ――」

 目深に被られたニット帽の下。そこにある一対の男の暗い瞳と目が合う。私は反射的に、背後にあるベランダから逃げようと振り返った。けれどクレセント錠に手が届く前に、男の無骨な手に肩を掴まれてしまう。私は振り払うこともできず、仰向けのまま床に力づくで押し倒された。後頭部を激しく打ち付け、視界がちらちらと瞬く。
 私はパニックに陥った。

「やっ……!!」

 足を蹴り上げ、両手を振り回し、あらんかぎりの力で抵抗をする。私の突っ張った右手がニット帽をかすり、男の顔が電灯の明るい光の下に露になった。太った、浅黒い肌の男だった。私は大きく息を吸い込み、悲鳴を上げようとした。

「むごっ……!!」

 男の大きな手が私の口と鼻をふさいだ。呼吸ができず、必死でもがく。

「んむっ――」

 体が、全力で酸素を求めているのが分かる。口元を覆う男の手に手をかけても、びくりともしない。それどころか、さらに男は力を込めてくる。
 あ、だめだ、死ぬ。――春千夜。
 そのときだった。ごつん、という鈍い音がしたかと思うと、突然男の手が緩んだ。そのまま男の体が力なく覆いかぶさってくる。私は顔にかかる手を払いのけ、全力で重たい男の体の下から這い出た。

「――ひ、は、ひっ……」

 大きく口を開けて酸素を吸い込む。横たわった床の上から見たのは、春千夜の、鬼のような顔だった。

「――テメェ」

 春千夜の持つ拳銃には、べったりと赤い血が付着していた。きっと、それで男の頭を殴ったのだろう。男は春千夜に踏みつけられながら頭部を抱え込み、うめき声を上げて床にのたうち回っていた。

「――ぶっ殺してやる」

 春千夜が、拳銃を持っている方の手を振り上げる。二度、三度と振り下ろされるたびに、聞いたことのないような鈍い音が部屋に響き、血が飛び散る。
 四度目が振り下ろされる前、私は春千夜の名前を呼んだ。

「はるち、よ――」

 ぴたりと春千夜の動きが止まる。春千夜の瞳孔は開ききっていた。
 男は気絶したのか、それとも死んでいるのか、ぴたりと動かなくなっていた。春千夜は足で男を仰向けにさせると、首に指をあてて脈を確かめた。そのままスマフォを取り出し、どこかに電話をかけはじめる。
 春千夜は電話が終わるとスマフォをそこのへんに投げ出し、私に近づくとそっと体を抱き起した。両頬を血で濡れた春千夜の手で挟まれ、顔を覗き込まれる。

「落ち着け――」
「はっ、ひっ、はっ――」
「ゆっくり息できるか、」
「はっ、はっ、はるち、よっ……!」
「オレがいんだろ、もう終わった」
「はるっ、はるちよっ、こわかっ、たっ……」

 涙で、春千夜の顔がぐしゃぐしゃに滲む。私は自分の呼吸がめちゃくちゃに――過呼吸になっていることに、ようやく気が付いた。

「はっ、はるちよっ、息、すえなっ」

 私は春千夜のスーツの胸元を縋るように握りしめた。春千夜が、小さく舌打ちをする。

「あー、もう」

 春千夜の唇が、私の唇に重なった。強く春千夜に抱きしめられる。春千夜の体温と、いつもの香水のにおいを感じて、私は安堵に、さらに大粒の涙を零した。

「――ん、は、」
「大丈夫だから」
「はるち、よ」
「オレがいる、な」
「はるち、よ……!!」

 唇を離すと、私は腕を伸ばして春千夜の首に抱き着いた。まだかすかに震える呼吸で、何度も春千夜の名前を呼ぶ。

「こわかっ、こわかった……!春千夜……!!」

 春千夜は何も言わず、私を抱きしめてくれていた。私は涙を春千夜の首筋にこすりつけながら、しがみつくようにして、春千夜に抱きついていた。

「春千夜かと、思ったの……でも、ちが、たっ」
「なんでこんな夜中に男を家に上げたんだよ」

 春千夜に言われて思考を巡らせ、そういえばと思い当たる。

「わたしっ、今日、鍵をかけ忘れてた……」
「ほんとバカか」

 しばらくそうしていると、ふたたび、玄関のドアが開かれる音がした。反射的に体をびくつかせる私の背中を、春千夜が撫でてくれる。

「三途さん」

 現れたのは、数人の黒服の男たちだった。男たちはそれ以上何も言わず、無言のまま男を外へと担いで運び出していく。

「今夜はうちに泊まれ」
「……うん」

 最後のひとりが静かに部屋を出ていくと、春千夜は着ていたコートを私にかけて、そのまま抱き上げた。

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