3.初雪が降るまでに

「方法はいくつかあるんだ」ジェームズが言った。そう、どんなときも方法はいつもなにかしらある。実行できるかどうか、問題はそこだ。
「まず手始めに、月を打ち落とすとかね。いや、そこまでしなくても、要は、満ちなければいい、球じゃなくなればいいんだ。たとえば月の一部分に歯形を残せれば」
「次の方法は?」と彼女が訊いた。ジェームズの提案はまだひとつめだが、すでに不安そうだった。ビスケットみたいに月を齧ろうとはジェームズも本気で思っていなかったらしく、すぐに切り替えた。
「僕たちがリーマスと同じ狼人間になるんだ」
「ええっ」と素直に怯えたのはピーターだけだった。「それって、狼に噛まれるってこと? ちょっと怖いよ……でしょ?」
「狼に変身したリーマスに加減ができればだけれど。でないと、僕たちはみんなきみに喰われて一巻の終わりだからね」
やや考えてから、「当然だけど、保証はできない」とリーマスは言った。「それに、できたとしても、きみたちを僕みたいにするつもりはないよ」
「満月の夜も一緒にいられるようになるよ? 仲間がこれだけいれば、自分を傷つけずに済むはずだ」
リーマスは、しかし首を横に振った。「そんなことまで望んでない」
そばで一緒に聞いていた彼女の手を、大きな手で包むようにして掴んだ。まるでそうすると彼に精神安定剤的な効果があるみたいだった。
シリウスたちが歩み寄ろうとしても、リーマスは頑なに両手を出して突っぱねていた。そこまでしなくていい、もう十分だといわんばかりに、だ。助けがいるのは明らかなのに、ただ見ていることしかできないなんて、そんなのは友だち甲斐がないではないか。一言か二言、言いたくなったが、シリウスはぐっと堪えた。口先だけでは、なにを言っても意味がないのだ。行動が伴わなければ。
「それで? ジェームズ」これで終わりではないだろう、とシリウスは促した。
「次で最後さ。月を打ち落とすほど難しくないし、狼に噛まれるほどリスクも高くない。その代わり、どんな結果になるかはわからない。前例もないし、うまくいったとしても、膨大な時間を無駄にするだけかもしれない」
「やる価値はあるのか?」
「あると思うね」ジェームズは断言した。彼がなにかしらの選挙に立候補していれば、思わず投票したくなるようなふてぶてしさと頼もしさがあった。
「極めて専門的な治療薬の研究をこれからはじめるよりは、可能性もある。なによりこっちのほうが僕たちらしくて断然、面白いと思うよ」

ひとしきり透明マントに感動したあと、彼女は、「わざわざ夜中に忍び込む必要がある?」とシリウスに訊ねた。
雪化粧とクリスマスの飾りつけで煌びやかになったホグワーツ城の中で、図書館だけはいつもどおりだった。浮かれることなく、暗闇を横たわらせ、ひっそりと静まり返っている。
「先生に許可さえもらえば、閲覧禁止の棚にある本も借りられるんだし」と彼女が喋るたびに溢れる息が、白く染まっては消えた。

「貸出履歴から俺たちがしようとしていることがバレたら困るだろ」
ふと見ると、彼女はなにか言いたげな目でシリウスを見ていた。
「なんだよ、夜中の図書館が思っていたより不気味なんで、怖気ついたのか?」
「そうじゃないよ」
「ああ」とシリウスは少し顎を上げた。「なるほど、親にバレるのが怖いんだろ? 校則を破るって、優等生ちゃんには一大事だもんな。だったら、どうする? 俺はこのまま戻ってもかまわないけど」脱いだばかりの透明マントを持ち上げてみせた。
彼女は少しむっとして、「優等生ちゃんっていうのやめて」ときっぱり言いきると、自ら進んで閲覧禁止の棚に向かった。シリウスもあとに続いた。にやけた顔を隠す理由もなかった。

みんなで話し合ったあと、“動物もどき”の習得方法は調べればすぐにわかった。閲覧禁止の棚に侵入するまでもなく、教科書の“上級変身術”にも載っている。問題はすぐに持ち上がった。それは大きく分けても、ふたつあった。
ひとつめ、“動物もどき”は、“魔法薬学”や“変身術”の技術だけでは決してなり得ない。なによりも忍耐力が求められるという点だ。
魔法薬を生成するためにはまず、マンドレイクの葉を口に含み、その状態で一ヶ月間、過ごさなければならない。それすらまだ、シリウスたちのうち、だれも成功した試しがなかった。飲み込まず、吐き出しておくこともできないのに、葉っぱが口の中にある間、どうやって食事をしろというんだ? 歯磨きは? そうして一ヶ月を乗り越えたとして、次にマンドレイクの葉を瓶に移して月光浴をさせるわけだが、ここで必要な満月が運に見放されて曇っていたりすると、最初からやり直さなければならない。つまり、ふりだしへ戻る、一ヶ月間の努力が無駄になる、ということだ。手順を読む限り、これでもまだ完成の半分にもならないので、こんなところで心が折れていたら話にならない。自分たちのほかに、だれがこんなことを繰り返して“動物もどき”になろうとするのか、シリウスにはわからなかった。同時に、なるほど、と納得もできた。これだけ面白い力であるのに、この世界が“動物もどき”だらけにならないわけだ。

「うーん、これにも載ってない」彼女は読んでいた本の頁から、杖先の明かりを離した。「この本、“動物もどき”に失敗して半人半獣になった魔法使いの自伝って、どういうことだろう。半人半獣になっても本が書けるってこと?」
「狼に噛まれるほどのリスクはない、とジェームズは言ってたけどな」
「リスクはしっかりあるよ。最初の変身に伴う痛みや不快感で自分を見失うと、心まで動物にとられてしまうんだから」彼女は深刻そうに言った。「ジェームズは、それでも“面白い”って言ったのかな」
「あいつはそういうやつだよ。そもそもこの、まわりくどい工程がうまくいったとして」
「仮に?」
「ああ、仮に。“動物もどき”を習得したら、俺は何に変身すると思う?」
「気になるよね」
「まあな、変身する人物によって変わるって言われちゃうとな」
「でも、現時点で、“動物もどき”なんて絶対に不可能なんだよ」
「わかってるよ、呪文だろ? “動物もどきの呪文”がわからないことには、薬は一生、完成しない」ふたつめの問題だ、とシリウスは思った。薬の完成と最初の変身に呪文が要ることはわかっている。だが、なんて唱えればいいのか。
「なんでどこにも載ってないんだろう。魔法省の規制も厳しいし、悪用されないために、口頭伝承されているとか?」
「確実に知っているのは、マクゴナガルというわけだ」
シリウスのその言葉を聞いて、彼女は真剣な目で彼を見た。「そのことなんだけど」
「マクゴナガルが俺たちに教えるわけがないけどな」
「それはそうだろうけど」と彼女は言った。「ちゃんと正式に申し込んでみたらいいんじゃない? 先生みたいに、“動物もどき”を習得したいですって。そうすれば、自分たちだけでやるより、ずっと安全だし、歯磨きのコツも教えてもらえるかもしれないよ」
「なんて言われるか、当ててやるよ」
「なんて言われるの?」
「“若すぎるから待ちなさい”。そう言われて、おまえは待てるのか?」

ふたりともしばらく黙りこんだ。途方もない壁が、自分たちの前に立ちはだかっているような気分だった。
ジェームズの計画を、リーマスは恐らく本気にしていなかった。学生に“動物もどき”の習得は無理だと思ったのだろうし、実際にそんなことを口にした。だからこそ、どうしても成功させたい。シリウスはそう思った。
いずれにせよ、道のりは遠いものになりそうだ。最後の仕上げに使う呪文の心配より、いまはマンドレイクの葉を誤飲しない食事方法を身につけるほうに集中するべきだろう。
彼女は書架に並んでいる背表紙を、ひとつずつなぞるように見ている。目標までの先行きを見通したい気持ちはわからないでもないが。

「この本も調べてくれ」

シリウスは、近くの書架からそこそこ分厚い本を抜き取ると、彼女のほうへ下から放った。彼女は杖を操り、軌道の途中で本を静止させると、自分のほうへゆっくりと引き寄せた。

「前に、私の鞄を勝手に取り上げて、ピーターに投げたの覚えてる?」
「そんな昔のことは忘れた」
「ついこないだの話だよ」
「いいから、その本を確認してくれ」
「自分で見たらいいのに」

彼女が本を開いたとたん、絶叫する男の声が図書館の静けさを切り裂いた。全身で驚いた彼女の腕の中で、本が何度か跳ねて、床に落ちた。紙面から飛び出してくる人型の顔が、なおも叫び声をあげ続けている。彼女は膝を使い、全体重をかけてなんとか本を閉じた。シリウスの肩がくつくつと震えていた。
「なんでこんなことするの?」髪の乱れた彼女が情けない声と戸惑い顔で見上げてきて、シリウスはもう堪えきれず笑い声をあげた。「私をからかってそんなに楽しい?」と彼女は本気で批判しているつもりだろうが、拗ねている子どもくらいの迫力しかない。
「なに?」彼女が小動物のような素早い動きで、背後を振り返った。「いま、なにか聞こえたよね」
「何もねえよ」シリウスは涙を拭った。
「早く、早く戻ろう、人が来る前に」と透明マントを引っ張ってくる。
「だれもこないって。破いたら、ジェームズにもう貸してもらえなくなるぞ」
「“優等生ちゃん”でもいい、私はシリウスみたいに、こういうことに慣れてないんだって」
「よかったな、これでおまえも不良の仲間入りだよ」
シリウスは先にマントを頭から被り、彼女が入りやすいように腕で裾を持ち上げた。
「シリウスたちって、普段は私と関わらないようにしているよね」と彼女が言った。
「そうしろって、ジェームズに言われたからな。仲が良いと思われたら困るんだと」
「それ、すごく助かってるよ。こんなところ、ほかの女の子に見られたら、なにを言われるかわからないもの」

シリウスは忘れてなどいなかった。ピーターに連れてこられた彼女の困ったような顔も、そのくせリーマスのことに話が及ぶと、暗闇の中から静かにこちらを見据えてくるような目に変わったことも。シリウスに詰め寄られ、あれは半ば八つ当たりだったのだが、たとえ相手が自分よりずっと体格のよい男子生徒でも毅然とした態度で言い返してきたことは、彼女を少し見直すきっかけになった。
リーマスといるときに垣間見せる笑顔から、いったいだれが彼女の静かな猛りを想像できただろう。すべてを飲み込んだ優しげな笑顔がいま、目の前にあって、シリウスに向けられていた。彼の罪悪感を煽った。
あのとき、彼女を責めるつもりはシリウスになかった。責められる理由などないのだから。ただ、リーマスにずっと嘘を吐かれていたことがショックで、ジェームズに言われるまでそのことに気づかず、馬鹿みたいに信じていた自分を消し去りたくて足掻いていたのだ。それを知ってか知らずか、最悪の第一印象を彼女は水に流しているように見えた。いつか謝ることがあっても、彼女はもう気にしていないと言うかもしれない。そう思わせるなにかがあり、不思議だが、一緒にいて居心地が悪いことはなかった。
「それから」と彼女は言った。「私に両親はいないよ。お祖母ちゃんだけ」
シリウスは、「ふうん」と言い、「置いてくぞ」と仕草で促した。
彼女はマントの下に潜り、シリウスの腕の下にえい、と収まった。


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