2.この熱は消えぬまま

ピーターが人待ち顔で立っているのに気づいたのは、ひとりで夕食に向かう途中だった。
ピーターとは、リーマスが休みのとき、魔法薬の授業で席が隣になることが何度かあった。座学のときはまだいいが、実際に鍋を火にかけて調合を行う実習となると、彼が失敗するところを見たいのか、後ろの席からポッターとブラックが茶々を入れてからかうのだ。課題の薬が無事に調合できることより、彼らに笑ってもらうことのほうが重要みたいにしているピーターを何度か庇ったが、彼らの下世話な野次を盛り上げるだけに過ぎなかった。
彼らの言いなりになっているピーターに連れてこられた空き教室にはもちろん、そのふたりが待っていた。
「ちょっと話があるんだ」ジェームズ・ポッターが、まるで我が家に迎え入れるように両手を広げて言った。その手の中から、黒い翼がバサバサと音を立てて、勢いよく飛び出した。出口のない部屋の中を慌ただしく旋回している。
「こうもり? 大広間の飾りつけの?」
「本物なのかどうか気になったから、失敬してきたんだ」
羽音がぴたりと止んだ、跡形もなく。ポッターが杖を振ったのだ。こうもりは、本物だったのだろうか。それともハロウィンらしく、亡霊だったのか、それにどれくらいのちがいがあるのか、答えを確かめる気にはなれなかった。

「ポッターくん、私……」
「ジェームズでいいよ」
「私、夕食がまだだから」
「すぐに済むよ、恐らくね。きみ次第かな」

彼のそばにいた、シリウス・ブラックが無言で杖を一振りした。彼女が知っている浮遊呪文とはちがった。彼女のかばんがひとりでに彼のほうへ飛んでいったのだ。ブラックは鞄を取り上げ、「重いな」と不可解そうに言った。「なにが入ってるんだ」
「辞書だろ」彼女の代わりに答えるポッターは、鼻で笑うようだった。「前から気になってたんだけど、なんで辞書なわけ? 翻訳呪文も魔法道具もあるのにさ」
「話ってそれ?」

かばんを取られた以上、無視して教室を出ていくわけにはいかなくなった。もちろん、こうもりで気を引いたときから、彼らもそのつもりなのだろうが、やり方に慣れがあっていい気分ではない。
友人の友だちを印象だけで判断するのはよくないが、ポッターの笑顔はいつ見ても薄っぺらいし、ブラックの仏頂面からは敵意のようなものまで感じられる。どんな好感も持てず、彼女に身の置きどころがないのは明らかだった。が、リーマスはちがう。彼らのなかに居場所を見つけたのだ。せめて彼女は、困惑や嫌悪感が顔に出ないようにと努めた。あと少しの嫉妬も。
「辞書はもう持ち歩いてないよ」と彼女は言った。「鞄が重いのは、自分のノートとは別に、リーマスのノートも入ってるからだと思う」
「リーマスのノートね」ブラックが、持っていた彼女の鞄をピーターに向かって放った。胸と腕を使って、ピーターはなんとか落とさずに受け止めたが、変な咳をした。
「おまえも、気づいているんだろ?」
「なにが?」彼女は意識して、顔を上げた。綺麗な顔をしているブラックに間近で凄まれると、春の嵐に巻き込まれるような迫力があった。だが、ここで怯むのはなんとなく癪だと思った。人の私物をぞんざいに扱う態度が腹立たしいからではない。
ブラックの苛立ちは、彼女の苛立ちだった。

「毎月のように、リーマスはいなくなるよな」
「お母さんのお見舞いのために、家に帰ってるんだよ」
「母親の見舞いに行って、なんであんな怪我して戻ってくるんだよ」
「お母さんが病気で暴れるから、仕方ないんだって」
「おまえ、本気で信じてるわけ?」
「信じるもなにも、リーマスがそう言ってるんだから」

そうして彼女が必死に、そう必死になだめつづけているそれを、ブラックはどうしてもめちゃくちゃに踏み荒らしたいらしい。
なんて愚直で単純明快なのだろう。感情に身を任せているのは明らかで、そのために目の前にいる相手を軽んじて傷つけることができるのだから、彼のことが少し羨ましいとさえ思う。もちろんそれは後々、考え直すことになるが。
ブラックの無作法を彼女に我慢できる理由は、ひとつしかなかった。彼なりにリーマスを心配しているとわかるからだ。
「でもさ」とポッターの、場違いなにこやかな声がした。すっかり日が落ちて、暗いが青白い光が充満した窓の外を親指で差していた。「今夜は、満月だよ」
動揺するな。自分に言い聞かせる。
しかし、胸が捲れるような失望を、隠しきることはできない。

「きみも、リーマスが姿を消す日の夜が必ず満月だって気づいてるのかなって、訊きたかっただけなんだ、僕たちは」

私はきっと、この先も彼の人を喰ったような眼差しに慣れないのだろう、と彼女は思った。
黙り込んだ彼女に向かって、ブラックがとどめを刺すかのように、「おまえも」と言った。「気づいていたのに、いままでずっと、見て見ぬふりをしていたのか」
「リーマスを心配しているのは、自分たちだけだなんて思わないで」
棘を含んだ自分の声を、彼女は聞いた。

リーマス、と心の中で言わずにはいられなかった。私は怒ってるよ。がっかりもしてるよ。
リーマスの理解者は、自分じゃなくてもいいと思っていたのだ。嘘をつく必要のないだれかが彼を支えてくれていると思ったから、少しくらい寂しくても馬鹿みたいに笑ってきたのだ。
ここにいる私たちは、みんな一緒だった。笑っていても、怒っていても、なだめていても、あの月を打ち落とす方法を探している。そしてリーマスの嘘を責めるには、あまりに非力な子どもだった。


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