氷上の天使

「見てごらん、リーマス」

冷たい風に身を丸めて、踏みならされた雪の上をとぼとぼ進む自分の足ばかり見ていると、ジェームズの吐いた白い息が視界の隅を掠めた。渋々、顔を上げる。ジェームズの横顔は、鼻と頬を赤くなっていて、寒々しかったが、満足そうに微笑んでいた。

「天使たちが下界に降りてきているみたいだ」

彼の視線を辿り、首を捻る。凍った湖の上でスケートに興じる生徒が何人かいる。ほとんどが下級生のようだった。その楽しげな様子に、年齢はほとんど変わらないはずなのに、若いなあ、と思う。あんな元気は自分にはない。今日だって、ジェームズにこうして連れ出されることさえなければ、一日、暖かい暖炉の前で毛布に包まってバタービールを飲んでいたかった。
ジェームズが言う、「天使たち」はすぐに見つかった。はしゃいでいる下級生に混じって、妙に腰が引けた格好のまま、まったく動かないふたり組は、否が応にも目立っていた。
リリーと彼女は、広く分厚い氷の真ん中で、固く手を取り合い、立ち往生していた。どちらかが一方に付き添っているというより、滑れない者同士が支え合っているらしく、まるで風前のトランプタワーの如く、絶妙な重心で均衡を保っている様子は、見るからに危なっかしい。
「リリー、そんなに強く握らないで」彼女が泣き笑いのような、ある意味、悲痛な声をあげる。「手が痛いよ」
「私たちはもう、一生このままなんだわ」リリーが嘆いているのが聞こえてきた。ほとんど本気で諦めたような言い方に、彼女が堪えきれず噴き出す。弾みでバランスを崩すと、もちろんリリーに支えられずはずもなく、ふたりして氷の上に尻餅をついた。すぐに、ふたりぶんの笑い声が響く。「痛い」「立てないよ」「どうしよう」「どうにもならないわ」「こうなったら這ってでも」滑れないながらも、ふたりで四苦八苦しているだけでじゅうぶん、たぶん誰よりも楽しそうだった。
変わった遊び方だ、と半ば呆れてしまうが、彼女たちから過ぎ去ろうとしていた、無邪気な少女の顔を垣間見た気がして、安堵にも似た思いからこちらまで頬が緩んでいた。

「天使でもあんなふうに転ぶかな」
「ここでは背中の羽が使えないんだから、仕方ないさ」
「なるほどね」僕は面倒臭くなってしまい、適当に相槌を打つ。そんな相手の反応を物ともせず、「リーマス、競争しようか」とジェームズは張り切りだした。

「気が進まないな。ひとりでやりなよ」
「ひとりでどうやって競争するんだい」
「きみに不可能はないだろ?」
「そりゃあ、ないけども」

ジェームズは足を持ち上げ、自分の靴の裏に杖先を向けた。氷がカチカチと音を立てて、スケート靴の歯の部分を形取っていく。「どちらが先に自分の天使を捕まえられるか、競争だ」
「もう勝負はついているじゃないか。リリーはきみの顔を見た瞬間、逃げ出すし」
「それはどうかな」まるでなにか考えがあるような余裕の笑みを浮かべるが、恐らくなにも策はないのだろう。リーマスでさえ、もう少しうまくやればいいのに、と呆れるほど、愛の告白を愚直に繰り返して、ここまできたのだから。

「きみだって油断できないはずだ」
「彼女は僕から逃げ出したりしないよ」
「だろうね。だけど、あんまり悠長にしていると、だれかに攫われるかもしれないぞ」

氷上に降り立ち、軽く蹴って滑り出すと、あっという間に岸辺から離れていく。慣性に身を任せながら、くるりと振り返った。「最近、どんどん綺麗になっているしね」
上手に滑るものだな、と感心してしまう。

「僕は、きみのように忍耐強くないし、欲しいものは必ず手に入れるよ」

そのとき、身体を丸めている彼女の背中に掴まって、なんとか立ち上がるところまできたリリーが、ただならぬ気配を敏感に察知して、首だけで素早く振り返った。
「うわ」と漏らしたリリーは、まるで気色が悪い虫を見るかのような顔をする。そして気色が悪い虫が自分のほうに向かって飛んできたら、ほとんどの人がそうするように、逃げ出した。
多少、まごついたものの、火事場の馬鹿力とでもいうのか、要領を得て滑り出したリリーの行動は俊敏だった。さっきまでの鈍臭さはなんだったのだ、とさすがにジェームズも驚いている。あまりに驚きを露わにしているので、もしかして氷の上ならリリーが動けないから好きにできると思って競争など言い出したのでは、と疑ってしまう。疑った瞬間、確信もあった。なるほど策はあったわけだ。わりと下劣で最低だけど。

「あっちに行って、ポッター!」
「待ってくれよ、リリー。きみってば、上手に滑れるじゃないか」
「あなたって本当に、言葉が通じないのね! 気安く呼ばないでって言ってるでしょ!」

大声で言い合うものだから、周りの視線を集めている。が、彼らもいつものことだと慣れているので、笑っているものもいる。
僕はため息をつくと、さきほどのジェームズと同じように靴の裏に氷の歯を作った。

「リーマス」滑ってくる僕に気づき、立ち上がるのを諦めて座り込んだままの彼女が笑顔で手を振る。

「リーマスも上手に滑れるんだね」
「きみたちの転倒っぷりも見応えがあったよ」
「思いっきり腰打っちゃった」
「手を貸すよ」

彼女の両腕を掴み、呼吸を合わせて、引っ張り上げる。足場が滑るので一瞬、リリーのように共崩れになるのではないかと過ったが、男の力を以ってすれば、彼女は羽が生えたかのように軽かった。立ち上がった途端、慌ててしがみついてくる。
「僕にくっついていたら、滑れないよ」そう言いながら、彼女を懐に抱き寄せる。どこまで追いかけていったのか知らないが、ジェームズが見たら悔しがるかもしれない。
「待って、離さないでね」彼女が自分の足元を確認しながら、何度も念を押す。
「離さないよ、絶対」僕は強く目を閉じて言う。


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