「んー、騙すつもりはなかったんだ。君は俺の運命の人じゃなかった。それだけ」
とある喫茶店にて。ヒロトは携帯を操作し、一人の女性のデータを消去した。そのまま何事もなかったかのように珈琲を口に含む。
一体、これまで何人の女性の人生を狂わせてきただろうか。世間ではヒロトのような人間は最低な男と認識されるだろう。
しかし、ヒロトにその自覚はない。あくまで、己の運命の相手となる人物を探し求めているだけだ。
「早く新しい相手を探そ……ん?」
ペラペラと捲っていた雑誌の一つの記事に目を留める。
「爆発的な人気、ネットアイドル…?」
聞き慣れない単語に、ヒロトは興味を惹かれてその記事を読んだ。
動画サイトに投稿される歌とダンスを披露する人々。その中で特に人気の高い投稿者はまるで、芸能人並の扱いを受ける。中にはそのまま芸能界に入るアイドルもいるらしい。
その記事では数名のネットアイドルが紹介されていて、その中の一人に釘付けになる。
「レーゼ?……変な名前」
ふんわりとした黒髪のボブショートでダンスをするショットを掲載されたアイドル。
ネットの中でも1位2位を争う人気らしい。
「ふーん…」
その時は大した興味を示していなかったのだが、帰宅したヒロトはふとレーゼの事を思い出してパソコンを立ち上げた。
そして、動画サイトにアクセスしてレーゼの投稿動画を見る。
「…………見つけた」
それは確信に近いものだった。
「俺の運命の人はこの子に間違いない」
「うーん…」
ファーストフード店でポテトをくわえつつ、コンビニで買った求職情報紙と睨み合いをしながら緑川は唸る。
情報の一つ一つに首を傾げる度に一つに結われた緑髪がゆらりと揺れていた。
「なかなか良いのがないなぁ」
情報紙を投げ出し、上体を逸らす緑川に向かいに座っていた風丸が頬杖を付いてポツリと呟いた。
「デビューすれば?」
「絶対嫌だ。それにアレは俺じゃない」
「遊びで動画アップしただけなのにあんなに人気になるとはな」
レーゼ。
それは緑川のもう一つの呼び名。仲間内で遊びの延長で緑川に女装をさせて動画をアップしたら瞬く間に人気になり、何だかんだと引き返せなくなったのだ。
「一回で止めとけば良かったのに…円堂君が調子に乗るから」
「まさかの鬼道まで、面白がって協力する始末……あ」
携帯を弄っていた風丸は眉根を寄せた。
「何?」
「今、お前のサイト見てたんだけどまた面白いコメント来てるぞ…お前は運命の人らしい」
「…そんな危ない奴シカトしてて」
「はいはい。つか、何でお前のサイトを俺が運営してるんだよ」
「風丸、ネカマ得意じゃん」
「ネカマ言うな」
緑川…レーゼのサイトを鬼道が作り、それを風丸がレーゼに成り済ましてブログなどを更新している。最初は緑川が頑張っていたのだが放置し始めた為に円堂の要請で風丸が引き継いだのだ。
「あ、この面接受けようっと」
情報元を雑誌からネットに切り替えていた緑川はメモ用紙に書き込んだ。
「大変だな、ニートは」
「うっさい」
吉良財閥。
緑川が受けようとしているのはその社長秘書。
大した資格条件もなかったのは不審に思ったが給料も良いし、待遇も良い。
ダメ元で受けてみよう!
基本的にポジティブ思考の緑川は、数日後には吉良財閥本社に来ていた。
「…面接は社長室って、普通なのか?」
緑川はキョロキョロと辺りを見渡す。
階段…どこだろう。
社長室は最上階。普通ならばエレベーターで行くところだが緑川にはエレベーターを利用出来ない理由があった。
「んー、ヤバイ。時間ない」
暫く探し回ったが見付からず、時計に目をやる。素直に人に聞けば良かったのだが今さら後悔しても遅い。
「頑張る…か」
緑川は生唾を飲み込み、エレベーターの中へと足を踏み入れた。
扉が閉まりそうになった瞬間「待って!」という声と共に人が入ってきた。
「はぁっ、間に合った…ごめんね?……あれ、君は」
「……」
入ってきた人物は目にかかった赤い髪を軽く払うと、眼鏡を押し上げて緑川を見て動きを止めた。
しかし、エレベーターの扉が閉まり、動き出した今…緑川に大した反応をする余裕はなかった。
「………っ」
段々と動悸が激しくなる。呼吸も浅くなる…。
「…?君、大丈夫?」
先程の人物の声がする…しかし、理解出来ない……
視界が……
狭く…
「緑川君っ!?」
誰かが自分の名前を呼んだ気がした…。
「ん…」
「目が覚めたか」
「ここは…」
「医務室だ。お前はエレベーターの中でいきなり倒れたらしいが…大丈夫か?」
「はい…」
「具合が悪いなら病院にでも…」
「あ、いぇ…ちょっと……狭いところが苦手なだけで、もう大丈夫です」
「…閉所恐怖症か?」
「恥ずかしながら…知り合いとかと一緒なら割と大丈夫なんですが、今回は初めての場所だし、一人だしで……ところで、俺はどうやってここに?」
緑川の疑問にベッド脇に座っていた男は説明してくれた。あの赤髪の男が運んでくれたらしい。
「私は涼野風介だ。お前、面接に来たのだろう?……合格だそうだ」
「そうですか…」
一度、風介の台詞を聞き流して頭の中で理解した瞬間に混乱する。
「……はい?」
「社長が決めた事だ」
「いや、あの…俺、面接してないんですけど」
「私に言われても困る」
「はぁ…」
「ところで、お前…」
「あ、目を覚ましたんだ?良かった」
風介が何かを言いかけたとき、医務室の扉が開かれて先程の男が入ってきた。
「風介、晴矢が怒ってたよ…仕事押し付けんなって」
「何の事だか」
風介は立ち上がると、肩を竦めて扉に向かう。
「…ヒロト。ソイツに迷惑かけない方が良いぞ」
「おや、風介は緑川君の事気に入ったのかな?」
ヒロトと呼ばれた男がからかうように笑うと風介はニヤリと笑う。
「いや…私はお前の持っていない情報を持っているだけだ」
そう意味深な言葉を残していなくなった風介に緑川は首を傾げ、ヒロトは暫し考え込む。
ややあって、先程まで風介が座っていた椅子に腰かけるとヒロトは緑川ににっこりと笑いかける。
「もう平気?緑川君」
「あ、はい……あの、何で俺の名前」
「あぁ、履歴書見たから」
「え?」
「あ、名前を言ってなかったね…俺は吉良ヒロト。一応社長をやっててね」
「えぇっ!?」
「君さ…似てるから気に入っちゃった」
「似てる?」
「レーゼ、って知ってる?俺、あの子好きなんだよねー」
「!?」
「?」
緑川は目に見えて動揺する。まさか、ここでレーゼの名前を聞くことになるとは…、
「知ってるの?レーゼ」
「あーっと…名前は聞いたことあるような、無いような…」
「可愛い子なんだよー」
「ソウデスカ」
とりあえず今日のところは帰ってもらって、また後日。
という形になり、緑川は帰宅する。
そして、数日後。
緑川の教育係には風介が指名され、様々な説明を受ける。
ある程度の説明が終わったところで風介が一息ついた。
「ここまでで何か質問はあるか?レーゼ」
「いえ、特に………え?」
緑川は目を見開いて風介を見る。風介はニヤリと笑い「やはりな…」と言う。
「なっ、ななな…何のこと」
「風丸とはちょっとした知り合いでな。面白い事をやってるみたいなのは聞いていた。お前の写真を履歴書で見た時は驚いたぞ」
「…短い間でしたが、お世話になりました」
緑川が回れ右をして帰ろうとするのを風介が呼び止める。
「ウチの社長は最近レーゼにご執心でな」
「は?」
思わず振り返った緑川に、風介は悪どい笑顔で続ける。
「お前がそのレーゼだと知ったらアイツは何をするか…男だろうがお構い無しに手を出すかも」
「何が…言いたいんだ?」
「社長秘書がコロコロ変わられると私の仕事が増える」
「……」
「末長くよろしく頼むよ………レーゼちゃん?」
「かぁぜまるぅーっ!!」
風丸の自宅に押し掛け、扉が開かれた瞬間に風丸に詰め寄ってズカズカと中に入る。
「お前っ、何で他人に言ったんだ!」
「いや、まさか涼野がお前の面接先の奴だなんて知らなかったんだよ」
「そのせいで俺………何でお前がここに居るんだ!?」
「やぁ」
リビングまで上がり込むと、そこには当然のように風介がいて緑川に手を上げて挨拶する。
「先輩に対する言葉遣いがなってねぇなぁ」
その隣には緑川の知らない男がいて「誰だお前」と視線をやればその男はニヤニヤ笑う。
「俺は南雲晴矢。お前の先輩だよレーゼちゃん」
「風丸…」
「俺じゃない!南雲に言ったのは俺じゃない!」
「私だ…」
「お前だったのかっ!?」
「暇をもて余した…」
「神々の…」
「乗らないよっ!!」
「ノリ悪いなぁ…」
「全くだ」
悪びれしない二人に緑川はイライラを募らせ、風丸は溜め息をついた。
「あ、そう 言えば前にサイトに書き込みしてきた危ない奴…どうやら吉良ヒロトらしい」
「はぁ?」
最早、色んな事が起こりすぎて処理しきれない。
緑川はこめかみを押さえつつ「何が」と風丸を見た。
「お前の事を運命の人呼ばわりの…」
「……頭痛い」
「世の中狭いな」
晴矢がケラケラと笑い、風介は「ふっ…」と笑う。
「ヒロトにバレたら面白い事になりそうだ」
「仕事やめたい…」
「まだ始めてもいないのに」
晴矢は「冗談だろ」と笑って緑川の肩を叩く。
風丸は3人の様子を申し訳なさそうな表情で見守っていた。
それから、レーゼの所在を捜し続けるヒロト。誤魔化しまくる緑川。見て笑う風介と晴矢の図式が出来上がる事となる…。