お前は今日からヒロトだよ
「……下手くそ」
「…んぐっ」
バーンの髪を鷲掴み、激しく揺さぶる。くぐもった苦しそうな嗚咽が聞こえてくるがそんなのはどうでも良い。
眠くなってきたな…、
グランはそんな事を考えながら、バーンの口内へ放った。
「ゴホッ…ケホッ…」
「……」
「…ぐっ」
乱れた服を直したグランは、うずくまるバーンを無言で蹴り飛ばす。
バーンは呼吸を荒くしながらも顔は上げない。
「誰が吐き出して良いって言ったの?」
片膝をついてバーンの髪を引っ張り、無理やり上向かせる。久しぶりに視線が交わり、バーンはグランを睨み付けた。
「生意気だね」
「…死ね」
バシッ
頬を平手で殴る。口の中が切れたらしく、バーンが吐き出した唾は赤くなっていた。
「どうせ逆らえないのに、そろそろ従順になったら?」
「身体はお前の好きなようにどうにでもすれば良い…でも、俺の意思までお前にくれてやる義理はない」
「………そう」
つまらなそうに呟き、立ち上がる。そのままバーンを見下ろせば僅かに身構えるのが見てとれた。
「ヤる気がなくなった…今日は帰って」
「……」
背を向けたグランの言葉にバーンは怪訝な表情を浮かべる。
グランがジェネシスに選ばれて以来、こうやって呼び出された時にはバーンがどんなに嫌がっても無理やり身体を重ねられた。
このように途中で帰されるのは初めてだ。
しかし、回避出来るものならそれにこしたことはない。
グランの気が変わらない内にとバーンは口元を拭って立ち上がり、足早に部屋を出た。
グランは音と気配でバーンがいなくなったのを確認して軽く息をつく。
エイリアで頂点になったところで一番欲しいものは手に入らない…、
高くアップにされた髪をグシャグシャにしてから、普段の髪型に戻す。
窓に映った自分を見て自嘲気味に笑った。
「君は誰なの?」
ジェネシスのキャプテンのグラン…
でも、そんなのはただの通称
父さんがくれた“ヒロト”という名前
でも、俺は…
机の引き出しから一枚の写真を取り出す。そこに写るのは自分の顔をした知らない彼
父さんの為に“ヒロト”になる努力をした。
“ヒロト”の癖は?口調は?好きな物は?嫌いな物は?何を見てどんな気持ちになる?
けど、
どんなに“ヒロト”を演じても
「本物のヒロトは君じゃないか…じゃあ、俺は誰なの?」
ヒラッ、
と、手から滑り落ちる写真。
床に落ちたソレを見ながら、先程のバーンの言葉を思い出す。
『俺の意思までお前にくれてやる義理はない』
その通りだ…
俺には“俺”の意思さえないのに、他人からの愛情や優しさを望むなんておこがましい
でも、
それでも…
繋がりくらい望んでも良いじゃないか、
向けられる感情が憎しみでも良い、蔑みでも良い、
その感情を向けられる間だけでも、俺の事を考えてくれるなら
それ以上は望んじゃいけない。
ねぇ、バーン…
お願いだ。俺を赦さないで、
それしか君と俺を繋ぐものが無いんだ…
『 無 様 だ ね 』
写真の中で笑うヒロトが、そう言った気がした…。