徳川と保科
徳川家綱+保科正経
「良いんだよ、"松平"を名乗って」
「ねぇ、正経」
ころころと笑いながらそう言う従兄弟は、不思議そうにこちらを眺める。
父の時から数えて、断るのは何度目になるだろうか。将軍家の親藩として松平姓を名乗る許可を貰った。でも父も自分も断り続け未だ保科姓を名乗っている。
「お気持ちは非常に嬉しく思います」
「じゃあ」
「ですが、」
別に松平姓を嫌っているわけではない。父は本家の保科に恩があるから、独立してからも保科姓を名乗り続けた。
自分は、そうだ。あの人が知らない自分になりたくなくて保科姓を名乗っている。
あの人は"保科正経"は知っている、だが"松平正経"は知らない。時は永遠に止まったままだから。
「まだ"松平"を名乗ることは出来ません」
あの人の、綱勝殿の知らない自分になるのが恐ろしい。いつか綱勝殿のことを忘れてしまうのかもしれない、そんな自分も恐ろしい。
このまま自分の時すらも、止まってしまえばいいのに。
(そうしたら、記憶はいつも色鮮やかなままだ)