「今日の御飯は美味しくないね」
「…そうですね」
「せっかく五郎八と一緒なのに、残念」

膳に箸を進めながらも幼子のように口を尖らせる忠輝の言いたいことは、少し感覚を鋭くすれば五郎八にもすぐわかることだった。忠輝も五郎八なら自分が何を言いたいのか、それをわかってくれることを知っているからあえて直接的な表現と瞬時の行動を避ける。

二人は視線を合わせ、ニコリと笑った。そして五郎八が膳に箸を置いた瞬間、忠輝は部屋から消えた。










「秀忠兄上もそろそろ諦めて欲しいなぁ」

ズルリと屋根に転がった動かぬ体を引きずり、駆けつけた義雄に向かって落とした。あとは優秀な忠輝の甥が何事もなかったように片付けてくれるだろう。
ひとつ小さな溜め息をつき、忠輝は一通り屋敷の敷地内を見て回る。吉成や義雄は手慣れた様子で他の人間に指示を出しており、侍女達は姫様、姫様、と五郎八の身を案じていた。
そういえば床の下にも気配がしていたことを思い出したが、忠輝は慌てることもなく元居た部屋へと戻った。



「いーろはっ」
「遅いですよ、上総介様」
「ん、少し周り見て来たから」

ぴょこりと庭から顔を出した忠輝に、これまた五郎八は食事の時と同じように笑ってみせた。そして何も言わずに忠輝の顔を拭い、髪についた木の葉を取り除く。忠輝は忠輝で少しずれてしまった五郎八の飾りを直す。

五郎八自身も度々やって来る刺客達は全て忠輝の兄秀忠が遣わして来る者だと知っているし、そのことについての発端は忠輝への私怨だというのも理解している。
それだから五郎八は自分も巻き込まれ狙われても忠輝に否は無いし、守ろうとしてくれているから何も言わなかった。それが忠輝はひどく嬉しかった、何故ならこれは自分一人の決断と行動で解決出来る問題ではなかったから。

「何ともない?」
「女子と甘く見ていたのでしょう、なんてことありませんでした」
「五郎八に何かあると、竹に怒られるからね」
「上総介様に何かあっても困ります」

流石はあの独眼龍と称する伊達政宗の息女とでもいうべきか、五郎八は女子ながら武芸にも秀で、それなりの武士にも勝るとも劣らない実力だった。
だから忠輝も少しぐらいなら五郎八を平然と敵の中に一人で置いて行くし、今回のように敵の気配がしてもその場は五郎八に任せてしまう。五郎八も人並み外れた身体能力を持つ忠輝の足手まといにならないよういつも努力していた。

「五郎八、今度一緒に町へ行こう」

唐突に忠輝がそんなことを言うものだから、思わず五郎八は目を丸くしてしまった。

忠輝は異母兄秀忠に嫌われている。その為忠輝にどんな些細なことがあっても、それを弱みとして握る為の情報網を持っている秀忠には何もかも筒抜けなのだ。そして何に言いがかりをつけてくるかは誰にもわからない。
それもあって花井親子には必要以外は外出禁止と言われている。だが忠輝が少しやる気を出せば高い塀だって難なく乗り越えるし、力ずくで止めることもほぼ不可能。忠輝には意味の成さない戒めだった。

「平気、なのですか?」
「平気じゃないよ、だからこっそり行こう」

五郎八だって忠輝の正室として屋敷を出られない人質の身である。
何かあったらどうするのだろう。そんな五郎八の心配をよそにして、あっさりと忠輝は言ってみせた。また今度も花井親子が頭を抱えるのが五郎八にも容易に想像出来た。
そして残るもうひとつの問題。

「秀忠公に叱られますよ?」
「見つからなければいいんだよ」

恐らく屋敷は見張られているだろう。外に出ればすぐに知られてしまうような状態で、一体忠輝がどんな手段を使うのかわからない五郎八は首を傾げる。
でもすぐに考えること自体が無駄な気がして考えることを止めてしまった。それは忠輝なら何とかすると信じているから。

「…それもそうですね」
「じゃあ決まり!」

嬉しそうに無邪気に笑う忠輝につられ、五郎八も顔を綻ばせる。



忠輝は五郎八や花井たちが笑っていられればそれでいいと思うし、五郎八は忠輝が自分の思うがままに生きてくれればいいと思っている。
だがそれを存続するも断絶するも、たった一人の人間が握っているのだった。





つきまとう影、ふりそそぐ光



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