何が怖いのだろう。
もう全部手放してしまったから何も持ってなんかいないのに。残っているのはきっと、誰より信頼している義兄弟だけ。
他は弟にあげてしまった。いいや、初めから全て弟のものだったんだ。だって自分とは血が違うのだから。
父様も家臣も、家も何もかもがこの手に残るはずがなかった。
「…どうした」
「別に」
誰よりも望まれて生まれたのに、それは少しの間だけのこと。所詮半分は正統な血じゃない、かといって母様を恨んでいる訳でもない。むしろ感謝しているくらいだ。
それなのに何故、こんな感覚が襲って来るのだろう。
「秀宗、」
「なんじゃ」
「欲しいものは欲しいと言えばいい」
直孝が何を言いたいのか、突然すぎて意図が掴めない。頭を必死に回転させるが情報が少ないから答えを導き出せなかった。
しかし、欲しいと主張したことはないと気付いた。自分のものだと、取られないようにすることはあってもねだったことはない。
「直孝は?」
「俺は、こいつがあるからいい」
目の前に出される鮮やかな朱の刀、刀身以外は全てその朱に染まる。
直孝が何より大事にし、最初で最後に欲しいと願って手に入れたただ一振。井伊の名に相応しく、そしてその存在を主張する色。
少しくらいならば、望んでもいいだろうか。
「…儂は、直孝にずっと義兄弟で居て欲しい」
他は手に入るものなら欲しい、でも届かないものにまで手を伸ばすつもりはない。届かないのに無理をすれば、自分を含め誰もが不幸になるのだ。
それはかつて、朝鮮まで我が物にしようとした太閤殿下のように。
だから自分はこの手の届く範囲だけでいい。
珍しく、直孝が笑った。
「よろしく、義兄弟」
これからもよろしく