あなたの未来を描く筆になりたい






後ろを振り向くな。立ち止まるな。後退するな。全部全部、彼は駄目だと言わなかった。もう一度向きを直し、前へと歩き出せばそれで良いと言ったのだ。それは一種の救いだった。受け入れてくれる、というよりは受け止めてくれる。しかし彼がそんなことを言うようになったのは、何がきっかけだったのか。
「やあ。珍しいね、君がこの島に来るなんて」
海にほど近い樹の上、さざなみの音を聞きながら頬を撫でる柔らかな風を感じる。贅沢を言ってしまえば代わり映えのしない、平和すぎる毎日。そこにひとつの刺激を与える人間の足音。一時期嫌というほど聞いたそれは記憶の中で消えずに残り、誰のものかと判別することは赤子の手を捻るほど容易い。そうだ。これは僕の隣に居た、彼のもの。
"君が"とは言ったものの、そもそもこの島に人が来ること自体珍しいことなのだ。島の管理や調査でフィフスセクターの関係者がやって来ることは稀にあったが、それ以外の人間が来ることはほとんど無かった。何せここは隔離された施設が造られるような離島。生活する人間も居ない以上、船や飛行機の定期便などあるはずもない。
「力が必要なんだ」
「どうして?」
「サッカーを、守るために」
顔も見ずにそれを問うのは間違いだったかもしれない。でもわかっていた。白竜はそれを、何があってもやり遂げると決めたからわざわざここまで来たのだと。
しかし僕は彼のそんな決意に水を差し、あるいは踏みにじるように突き飛ばす。
「君がやらなくたって誰かがやってくれるはずだ。雷門なんかはそうだろう?」
「人の努力と苦労の上にただ胡座をかいていろと? そんなもの、絶対に御免だ」
するりと降りた目の前には白。僕は逢いたかったのだろうか。自分の中に疑問をひとつ落とせば底に着く前に弾き返される。そうだ、叶うのなら逢いたかった。逢いに、来て欲しかった。(だって、僕は、)
紅がきらりと揺れる。声が振動となり音になる。そしてゆっくりと差し出される白い手。
「お前の力が、必要なんだ」
「……白竜は、変わらないね。変わらないことが、嬉しくもあり淋しくもある」
「何が言いたい」
「なんでもないよ」
でも僕はその手を取らない。正確には、取れないのだけれど。本当は差し出された手を取ってしまいたかった。けれど僕は施設が稼働して彼の隣に居た頃より遥かに脆弱な存在となってしまった。白竜は、そのことを知らない。
彼が、彼らが島を出てから太陽が昇り沈むさまを何度見ただろう。何日何週間何ヵ月振りかなんて覚えていないしそんなもの必要も無い。それでも彼はあの時と同じだった。その現実に胸が締め付けられ、意味のわからない痛みを主張する。痛みこそが生きている証拠だと言うのなら、これは何だ? 僕は何者だ?
「ではひとつ、そんな君へ僕からの贈り物だ」
白竜は何故、遠路はるばるわざわざこんな僕の所まで来たのか。可能性のひとつとして考えられるのは即戦力として使えるから。この島で行っていた特訓は良くも悪くも僕らの関係を密にした。互いに最適なポジション取り、強力な合体技、そして高難易度だと言われた化身合体。似たものを抱えながら無いものを補い合う。それが全部、頭であれこれ考えるより体が先に動いて実行出来る。
始めは利害の一致で利用し合っていたはずなのにいつの間にかこんなにも歪んでしまった。後悔はしていないけれど、これで良かったのかは未だわからないでいる。
「贈り物?」
「そう。暗黒神、ダークエクソダス……!」
「なっ、」
「……白き竜を、貫けっ!」
僕が片手をゆるりと上げ、それに合わせて地の底からじわじわと這い上がる黒い化身。これから何をされるのか予想も出来ず、目を丸くする白竜に避ける暇など与えやしない。ただ真っ直ぐ大剣に酷似した斧を黒い化身が振り下ろし、躊躇い無くその白い身体を貫く。
一瞬だけ響いた地響きを伴う激しい音。彼を飲み込んだ黒い影。次の瞬間そこから現れたのは白竜であって白竜ではない者。
「……なんだこれは、何をした?」
透けてしまいそうな白髪は見事なまでに黒へと染まり、長い後ろ髪もばっさりと短くなった。その変化に白竜自身が酷く驚いているようで、自分の顔や髪に触れては未知なる現象を理解しようと必死みたいだった。
あれこれと考えている白竜の様子があまりにも微笑ましくて、思わず僕が小さく笑えばたちまち彼は不機嫌そうに表情を歪める。だから僕はそんな彼の機嫌を直そうと贈り物の種明かしをするのだ。
「ミキシマックス。僕のオーラを、白竜にあげる」
僕は君の隣に居られないから、代わりに僕のような影を押し付けよう。完璧な自己満足の利己主義。でも要らないのならば勝手に捨てれば良い。もし必要になったら自由に使えば良い。それはもう、君のものだから。どろどろとした、僕が人間であった証のような影。これがあれば僕の化身であるダークエクソダスだって出せる。そして化身アームドを取得すれば、後は。
「君に、僕は必要無いから」
どうしてこの関係は歪んでしまったのだろう。初めて会ったあの時のままだったら、こんなにも悪足掻きしなくて済んだのに。


++++++++++


それから何日過ぎただろう。閉鎖されたはずの施設の一部を特別に解放してもらい、数日衣食を共にしてひたすら特訓に明け暮れた。化身アームド自体なら白竜はものの数時間であっさりと取得してしまった。しかしそれを思い通りに使いこなせるようになるまで少々時間がかかった。
でも、人は完璧ではないからこそ幾多の可能性があることを知っている。そのことを教えてくれたのは雷門の人たちとここに居た彼らだ。
「お前は、もう俺の隣には居ないんだな」
ある日、彼は突然そんなことを口にする。僕にすればやっと気付いてくれたのか、と安堵する反面とても怖くなった。白竜が、忘れてしまう。僕という存在を、時の流れと共に忘れてしまう。だから押し付けた。縋るように、足掻くように。
「……うん、そうだね」
「だがシュウが後ろに在るだけで、それだけで、」
人差し指で彼の唇を軽く押さえ、続くはずであった言葉を遮りそのまま飲み込ませる。その先は、聞きたくないから。
「大袈裟だよ」
きっと白竜には僕の力など要らない。こんなものが無くとも彼は強く立派な活躍を世間に見せ付けてくれるだろう。僕という足枷を物ともせずに。
でも本当は僕自身が行きたかった。彼が言った「お前の力が、必要なんだ」という、ただそれだけが、嬉しくて仕方なかった。自分に嘘をついて思い込ませて、無理矢理納得させる。
「今の君に、僕は必要無いから」
「いや、必要だった。これまでも、これからも」
「あくまでも過去形なんだね」
「不満か?」
「いいや、君らしいよ」
さあ帰る時間だ、と言わんばかりに船の稼動音が響き僕らを急かす。ゆっくり背中を押してひらりひらりと手を振る。
「いってらっしゃい、白竜」
船が汽笛を鳴らす。ゆっくりゆっくりと水上を走るように島から離れていく。見送るのはこれで二度目になる、彼の白い背中。
最後に一度だけ振り返った白竜が音も無く発した言葉は、僕が望んでいたものだった。




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