きみがぼくの日本語を不自由にする






彼を輝かせているのは、底の見えないようなどす黒い闇だ。触れようとしたら簡単に飲み込まれる、そんな危うさを持った闇。その濁った黒さはまるで人間みたいだった。人間の、欲望嫉妬執着偽善私怨――それらを集約した、汚いけれど誰もが持ち得る黒。
「白竜、もうちょっとゆっくり走ってよ」
「は?」
「振り返らなくて良いからさ、そんなに生き急がないで」
「お前の言っている意味がわからない」
眉間に皺を寄せて不機嫌そうにこちらを見る彼の視線は、次の瞬間には呆れたと言いたげに逸らされる。きちんと日本語を話しているはずなのに、大抵一日に一回は「意味がわからない」と言われている気がする。それは僕の文法や言葉選びが悪いのか、はたまた白竜の理解能力の問題か。下手したらどちらも有り得るのかもしれない。
前の白竜は、こんな闇を持っていなかったのに。違和感に気付いたのはゴッドエデンが閉鎖されて彼が島から帰って来た時だった。何とはわからないがやけに重たいものを引き摺っている、そんな印象。それが確信に変わったのはそう、新生イナズマジャパンとして同じチームになった時。引き摺っていたはずの闇は重さを無くした代わりにどす黒く濁っていた。しかし何故か、彼は以前よりも綺麗に、清々しいくらいの笑顔で笑うようになっていたのだ。
「それに、どちらかと言えば生き急いでいるのはお前の方だろう」
「そうかな? 僕にしたら君もあまり変わらないと思うけれど」
「どこが」
「人の忠告を聞かずに無理しようとする所、とか」
しばらくすると僕の中でひとつの答えが出た。あの闇は人のオーラだ、と。僕がタイムトラベルを経て孔明さんのオーラを貰ったように、白竜も誰かのオーラを持っている。でも白竜はそのことを口にはしないし、チーム練習や試合で使った所も見たことが無い。
でもそれ以外の場所で僕は一度だけ見たことがある。新生イナズマジャパンの合宿中、夜に一人で特訓していた彼に声を掛けようとしたその時だった。白竜の持つ闇が彼を飲み込み覆い隠した。その刹那、闇から現れたのは白竜であって白竜じゃない見知らぬ誰か。光に透けそうだった白と薄紫の長い髪は夜空を映したような短い黒髪になり、今まで見たこともない化身を彼は纏っていた。
「羨ましいなぁ」
「今度は何だ、藪から棒に」
声を掛けるよりも瞬きですら忘れたように、その時の僕は突如現れた初めて見る白竜の姿に目を奪われていた。白い彼が黒に染まる、そんな非日常的な光景。何がとか、どんな風にとか、そんなものは僕の貧相な語彙力では到底表現出来ない。でもただただ、瞼の裏に焼き付くほどそれは美しかった。
見蕩れるうちに彼はいつもの姿に戻ってしまい、結局その日は声を掛けられないまま部屋へと帰った。次の日も白竜は相変わらず軽々と練習メニューや紅白戦をこなし、また夜には一人で特訓することもあったがあの姿を見ることは二度と無かった。オーラのことも、化身のことも、白竜が言わないから僕も訊かない。あの夜見た光景は自分の中にそっと仕舞って、時折一人で思い出すだけにした。きっと、話せる時が来たら白竜は自ら話してくれるはずだと信じて。
「格好良くて強くて素敵な白竜の傍に居られるなんて、羨ましいなって!」
「太陽、今日も病院行くか。精神科で」
「えっ、ちょっと酷い! 何てこと言うのさ!」
「お前の言っている意味がわからない」
本日何度目かもわからない「意味がわからない」の言葉を再び頂く。そんな他愛の無いやり取りをするのが楽しくて、こんな時間がずっと続けば良いのに、そう思わずにはいられなかった。あの闇は、いつの日か彼自身を飲み込んでしまわないかと、勝手にひとり不安で仕方ないから。
でも僕だけが知っていればいい。人間に酷似した闇を持つ白竜が、あんなにも素敵だなんてこと。美術品じゃない、無機物じゃないが故に持ち得る人間としての魅力。勝ちたい、強くなりたいと思うその欲は、全てが悪だとは決して言えない。
「君にしかこんなこと言わないけど」
「それは何だ、俺がお前の言葉を理解出来ないのが悪いとでも言いたいのか?」
「そんなこと言ってないよ?」
「……もういい、太陽なんか知らん!」
「えぇっ!? それは困る!」
不意に走り出した彼の背中をワンテンポ遅れて追い掛ける。白竜の背中を追い掛けるという、この感覚を僕はよく知っている。だから言ったのだ。彼に「もうちょっとゆっくり走って」なんてことを。
僕がどんなに努力したって彼の隣には立てない。天才と言われる自分の能力に胡座をかくつもりは毛頭無いが、白竜は他人の倍以上に努力をしているから凄まじいスピードで実力の差をつけられてしまう。僕がその差を埋めようと必死になって、近付いたと思ったらまた突き放されて。改めてそう考えたら、何だかすごく怖くなった。白竜が、どこか遠くに行ってしまうのではないかと。
「嫌だっ、白竜待って!」
「待たない」
「酷いよ淋しくて死んじゃう」
「お前は兎じゃないだろう。大丈夫だ死なない」
「そういう問題じゃなくて!」
そんな不安を紛らわせるべく手を伸ばして掴もうとしたけれど、彼の腕はするりと逃げてしまって触れることすら出来やしない。だからもう一度精一杯手を伸ばしたら、今度は掴めた白い腕。渋々振り返る白竜と、かち合う視線。ほっ、と胸を撫で下ろすと聞こえた小さな溜息ひとつ。
「……太陽と喋っていたら疲れる」
「僕と喋るの、嫌?」
「う……嫌、ではないが……」
「本当!? 本当に!?」
ぐぐっと覗き込むように問えば、近い、と押し退けられつつもきちんと答えてくれた。
僕が「好き」と言えば、彼は「嫌いじゃない」と言って笑ってくれる。弱音を吐きそうになったら、手を差し伸べてくれる。白竜はこんなにも、優しいから。もう少しだけ自分にも優しくなれたら良いけれど、それが出来ないから僕が一生懸命彼を受け止めてあげよう。
「……嘘、じゃない」
「良かったー! ありがとう白竜大好き!」



白い白竜も黒い白竜も、目を逸らせないくらい綺麗だ。素敵の意味はそう、君だった。あの時の衝動を忘れられない僕は、君に囚われ不自由だけれど確かに幸せなのだ。




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