積もりゆく疑氷






初めて出た施設の外には、何も無かった。完全に隔離された研究施設。太陽だけがさんさんと照っていて鳥の声ひとつしなかった。聞こえるのは乾いた葉が風に揺れる音、それだけ。

『ここを真っ直ぐ行くと稲妻町という町があるんだ、そこで一緒に暮らそう?』

『プロジェクトはもう終わったから……だから"普通"の生活をしよう、雪村』

泣きそうな顔をして、吹雪さんは俺にそう言ったのだ。そして差し出された手を取って、町では初めて見る研究者以外のたくさんの人にただ戸惑っていた。同年代の子供たち、さまざまな色や形の自動車、建ち並ぶ高層ビル。全部写真でしか見たことのなかったものでそれが今、目の前にある。離れないように、はぐれないようにと繋いだ手をしっかりと握って歩いていた。

『でもそんな人間が君のことを利用しているとしたらどうするの?』
『処分されるはずだった俺たちが生きている、これが証拠だ』

そこに突然思い出した実験体の言葉。考えなくていいことまで考えてしまって頭の中がぐちゃぐちゃになる。否定したくて答えを求めたのに、結局吹雪さんにははぐらかされてしまう。何を信じたらいい?何が真実?ぐらぐらと揺れる、信じたいのに答えが見付からない。

普段ならば授業や学校での用事が終われば寄り道もせず大人しく家に帰る。帰宅時間が大体決まっているからそれより遅れる時は連絡を入れるようにしているのだが、今日は自然と足が家とは逆の方向へ向いていた。
ただ心配させたかったのかもしれない。本当は俺のことを見付けてくれるか試したのかもしれない。携帯の電源を落として連絡手段を断ち、ふらりふらりと星の瞬きだした空の下を一人で歩いていた。










小さな遊具がひとつふたつあるだけで公園とはとても言えないような空き地のブランコに座り、ギィギィと錆び付いた音を鳴らしながらぼんやりと空を見上げた。
小さい頃は吹雪さんに手を引かれながら近所の公園によく行った。ブランコに乗る時は背中を押してくれたし、滑り台を降りる時は下で受け止めてくれた。ジャングルジムに登った時なんかはすごく心配そうな顔をしながらも「すごいね、雪村」と誉めてくれたのを今でも覚えている。
何をしても、何をするにしても、俺の中にはあの人が居る。例え信じられなくなったって忘れられるはずなんかなかった。俺の全ては吹雪さんに与えられたものだ。日常も普通の生活も、喜怒哀楽も好きも嫌いも命でさえも。

「――……雪村っ…!」

声がした。聞き間違えるはずもない、あの声だ。
俯いていた顔を上げてその姿を確認しようとした瞬間、勢いよく抱きしめられる。隠そうとはしているみたいだけれど、震えているのは確かだった。

「すごく心配したんだ…何時になっても帰らないし携帯は繋がらない。だから僕は、僕は……っ、」
「……吹雪さん…どうして俺は、まだ生かされているのですか?」

こんな俺のことでも心配してくれたんだ。捜してくれたんだ、迎えに来てくれたんだ。嬉しかったその事実を大人しく享受すればいいものを、疑念を抱いたこの思考はそれを無視して容赦無く自分の言い分を押し付ける。
吹雪さんの気持ちを蔑ろにするかもしれない、今度こそ嫌われて捨てられてしまうかもしれない。それでもやっぱり答えが欲しかった。

「どうして、そんなこと言うの…?」
「だって貴方にとって、俺が存在することのメリットが無いじゃないですか」

意味がわからない、と言いたげにぐらぐらと揺れる瞳。あぁ、俺と一緒だ。遺伝子レベルなのか何なのか、ちょっとした仕草に現れる同じ癖や習慣。だからお互いのことなどすぐにわかってしまう。これは吹雪さんも酷く動揺している証拠だ。
元々吹雪さんはプロジェクトの上層部に属する研究者だった。本来遺伝子提供を行うのはもっと下層の人間であり、吹雪さんがクローン実験に参加したのはほんの気紛れでしかなかった。そんな中で出来た俺は偶然の産物。他の試験体と比べ、比較的好調に成育したから破棄されずに生かされた。本当なら、それだけのはずだったのに。

「ごめんね、ごめんね雪村っ…!」
「どうして貴方が謝るんですか、おかしいでしょう」
「そんなことない……僕が君の同一存在だったばっかりに、君は僕のことを殺せないんだ…!」

違います、それは違います吹雪さん。俺は貴方を殺したいわけじゃない。吹雪さんこそ、たかが試験体のひとつで人間ですらない俺なんかと同一存在だったから、俺のことをずっと殺すに殺せないでいたはずだ。俺のことを本当に殺したかったのは、むしろ貴方の方だろう。
そう、上手く作れたから使うだけ使って実験体を作るためのデータ収集に利用されるはずだった試験体。それなのにまさか、それが遺伝子提供した本人と同一存在になるだなんて認めたくない事実だったはずだ。

「僕たちは君の命を弄びすぎた、それは許されることなんかじゃない」
「……吹雪さんこそ、俺を殺したかったんじゃないんですか?」

使い捨ての命。用済みになったら破棄して、また新しいものを作って、そういうサイクルのはずだった。
歯車のひとつが本来とは別の場所に何故かぴたりと合致し、そのまま止まることなく動き出してしまった。動き出した歯車は止められない。試験体である俺を殺せば同一存在である吹雪さんも死んでしまうから。

「違うよ雪村、そんなこと無い」

提示した疑問に対し即座に否定される回答。揺れていた瞳の色が変わり、それが嘘じゃないと証明する。見上げるような視線に堪え切れなくなって、俺は喉にひっかかったままだった言葉を少しずつ吐き出していく。
俺が全てを出してしまえば、必ず吹雪さんも返してくれるはずだから。

「俺、もう何が正しいのかわからないんです。吹雪さんのことも信じたい、なのにどこか疑ってる自分が居る」

「だから教えてください…貴方が知ってることも思っていることも全部全部…!」

知るということは時に恐ろしいことである。だが知らないということの方がもっと怖いのだ。
離さないように、離れないようにと掴んだ手をぎゅうと握り締めた。




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