その瞬間、再び君は人になる






「試験体、」

名前では無いが、僕がそう呼ぶと彼はぼんやりとした視線をこちらに向けた。
このゼロプロジェクト第二段階において唯一成功したクローン。試験体9-46、首に入れられた刺青はその証拠。摂理能力、身体能力、情報処理能力…何を取ってもクローンとしては完璧な出来だった。それ故にどの部署の研究者も試験体のデータを欲しがった。
部屋の隅で小さくなっている彼に一歩、また一歩とゆっくり近付き、同じ目線になるようしゃがみ込む。そうして気付いたことがひとつ。

「吹雪、さん…?」
「また何か薬でも打たれた?」
「データを、取るためですから」

触れた頬はいつもより少し赤みを増していて、体温も普段より何度か高い気がする。ぎゅうと抱きしめられたその手には僕があげた狼と雪豹のぬいぐるみ。

「チーフが、午後の実験に薬がどれだけ影響するか、と言ってました」
「水圧実験と能力値測定、か」

彼は僕の遺伝子データを元に作ってあるからか、能力の基礎は同じだ。水素を中心に水を扱い、その温度・質量・分子構築を意のままにして氷へと変化させて扱うのを得意とする。
通常の能力はAとして、何らかの薬品を使った後をBとする。更に同一存在の僕と一緒の時をCとして差分や影響指数などを出してデータ分析、及び次の実験を行う。
しかしそれも実験体1号と2号が出来てからは少し緩くなった。試験体に対しても相変わらず実験は続いているが、多くの研究者が好奇の目を実験体に向けたため、以前より実験内容も軽くなり回数も減った。

「ねぇ、試験体」
「…なんですか?」
「名前を付けてあげる」

僕が脈絡も無くいきなりそんなことを言うものだから、彼は状況が理解出来ずに目を丸くしている。
それもそのはず、この施設に試験体は彼一体しか存在しないし、仮に複数居たとしても実験体のように数字を割り振ればいいだけの話だ。名前など無くとも何等不便はしない。それなのに突如僕が「名前を付ける」などと言い始めたのだから、これは正しい反応である。

「雪豹、学名"Panthera uncia"…そして英名"snow-leopard"から"雪村豹牙"ってどうかな?」
「……俺に、名前…?」
「実験の時は試験体だけど、それ以外の時はそう呼んであげる」

自分としてはいっぱい頭を使って考えた名前だったのだが気に入らなかっただろうか、そう心配して顔を覗き込むが彼はどうやら僕に返す言葉を必死に考えているらしい。先程より余計に力が入っているのか、抱きしめているぬいぐるみがぐにゃりと歪んでいた。
ふと白衣のポケットに手を入れたら飴玉がいくつか出てきた。そのうちの一つを差し出すが、彼は首を横に振って受け取ってはくれない。「チーフに"言われたもの以外口にするな"と、言われています」と言って。
漸く言葉がまとまったのか、彼はゆっくりと口を開く。こちらを見て、はっきりと言うのだ。

「どうして貴方は、俺を人間のように扱うのですか?貴方の同一存在だから?」
「……じゃあどうして、試験体を人間として扱ってはいけないのかな?」

作られた命。それは紛れもない真実だけれど、だからといってこの命をそんじょそこらの実験台と同じに扱うことは出来なかった。
しかし試験体は試験体。人間とは見ずに物として扱う研究者がこの施設には圧倒的に多い。だがそれが世の中では至極一般的で当たり前だろう。試験管や培養液の中で成育した個体がいくら人の形をしていたとしても、それを人間と認識し扱うことはほとんど有り得ない。

「試験体はあくまで試験体です。不要となれば破棄されるモルモットも同然でしかない」

このゼロプロジェクトでも何人何十人と数も忘れるぐらいの試験体や実験体、研究者たちが消えていった。その中でも試験体や実験体は特に命が軽く扱われている。換えの利く使い捨ての命。
僕たち研究者が"破棄"と決めたなら、ボタンひとつで消されるそんな存在だ。

「――ねぇ雪村、君は知らないだろうけれど、人体実験は犯罪なんだよ」

「悪いことだとわかって僕らはやってる。だから君にも、笑ったり怒ったり泣いたり、僕たちを恨む権利があるんだと思うんだ」

手を伸ばしゆっくりと触れる。そっと頭を撫でれば、雪村は小さく小さく笑ってくれた。それが僕には堪らなく、嬉しかったんだ。




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