跼天蹐地






雪村の様子が、どこかおかしい。僕の目の届かない場所で操力を使ったあの日から、何かが変わった。これまでと同じように愛くるしい笑顔を向けてくれる、時に口の悪さが目立ちながらも優しくしてくれる、好きだと言って引き寄せれば腕の中に収まってくれる。でも、でも。
二人の間に壁こそ無いものの、見えないボーダーラインが引かれているみたいだった。無言の不可侵条約が一方的に締結されてしまった、そんな感覚。

「…まだ帰って来ない」

ここ最近雪村の帰りが遅い。しかしどんなに遅いと言っても19時には帰って来ることを踏まえれば、一般的な高校生として普通だろう。でも定期考査前でもないのにあの子は何をしているのか。現状が現状なだけに気にならないわけがなかった。
今日こそ聞こう、今日こそ聞いてみよう。何度もそう思うくせに彼が「待っててください」と言ったその言葉が引っ掛かって結局は何も言えなくなる。

そんなことを思いつつぼんやりと時計を眺めていたら、小さくガチャンと音が聞こえたのですぐさま玄関まで走り「ただいま」と口を開こうとした彼を抱きしめた。

「…吹雪、さん…?」
「おかえり」
「た、ただいま」

きょとんと目を丸くする彼になおもおかえり、と繰り返した。この家に、この腕の中に、帰って来てくれることが嬉しかった。
おずおずと僕の背中に手を回し、どうしたものかと考えている姿がただ愛しかった。

「吹雪さん?どうしたんですか?」
「何でもないよ」
「本当、に…?」
「うん…冷めちゃうし、御飯食べようか」

僕が離れると何か言いたげに口を開いた彼に「着替えておいで」と背を押して部屋へ行かせる。
聞こうと思えばいつだって聞ける。でもそれを実行しないのは僕が臆病なのと、彼を信じているから。例えば逆に僕を信じて欲しいと言ってもそれは至極難しい話だろう。自分のしたことを忘れたわけじゃない、これは命を弄んだ僕への罰だ。










「吹雪さん、今日はやっぱり変だ」
「雪村のことばっかり考えてるから、かな」
「ばっ、馬鹿なこと言わないでください!」
「そう?嘘じゃないんだけどなぁ」

嘘じゃない。365日24時間彼のことを考えてるといっても過言じゃないくらい、僕の頭の中は雪村でいっぱいだった。明日のお弁当には何を入れてあげようだとか、雑誌を見ればこんな服を着せてみたいだとか、ただ純粋に何をしたら彼が喜んでくれるだろうか、とか。だから雪村の居ない生活なんて全く想像出来ない。
あの頃の自分に見せてみたいものだ。あんなに小さかったこの子がこんなに大きくなったのだ、と。

「俺、聞きたいことがあるんです」
「僕に答えられることならどうぞ」

手にしていたホットミルクをそっとテーブルの上に置き直し、改まった様子で口を開く彼の次の言葉を待っていた。この様子だとおおよそ聞いて来るのはプロジェクト関係だ。

「…どうして、"ゼロプロジェクト"は行われたんですか?」

ほら、思った通り。

「――まず科学者という人種はね、自分の知識や技術を世に知らしめ評価されたい生き物なんだ。そんな奴らがある日偶然、かつて全ての摂理を自由自在に扱っていた人間の遺伝子を手に入れてしまった」

ただ保管して研究するだけでは到底わからないことなど山程ある、それが生物ならば尚更。だから僕たちは考えてしまったのだ。
「この遺伝子を利用して新たな人間を作ろう。それこそが我々人類の系譜における究極の操力者だ」
いきなりオリジナルの遺伝子を使って失敗するのは避けたかった。だからまずは研究員の遺伝子を元にクローンを完璧に作る所から始めた。その為にもたくさんの人間を実験の犠牲にした。中には人の形にすらなれず廃棄された者も居た。そんな数多のクローンの中でも唯一無事に成長してくれたのが雪村だった。

「だから俺は、"試験体"だった…?」
「そう、試験体はあくまでも試験体。メインの実験体は最終的に生物兵器にでも仕立てたかったんじゃないかな」
「生物兵器って、戦争でも起こすつもりだったんですか!?」
「パトロンが国家権力欲しさに言い出したのさ。「この実験体を戦闘用に仕立て上げれば、この国は世界のトップに立てる」って」

科学者とは評価され認められたい生き物だ。尽きることの無い実験費用と研究成果を評価してくれる場所があれば、例えそれがどんな使われ方をしようとどうでも良かった。
実験体を生物兵器へと仕立てる為にあらゆる手段を使って追い込み、ひたすらに人を殺させ続けた。いくら犠牲を出そうと、人道的ではないことを繰り返しても、感覚の麻痺した科学者たちは誰も止めようとはしなかった。

「…ねぇ、雪村は覚えてる?プロジェクトが終わった時のこと」
「知らないんです、何故かそれだけ」

言ってしまっても良いことだろうか、彼を傷付けないだろうか。そう考えてしまうと言葉が出せなくなる。知ることは必要だ、でも時としてそれは正しいのかわからなくなる。

「吹雪さん?」
「ごめんね、この話の続きはまた今度だ」

臆病な僕はこうしてまた、逃げる。




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