震える心をひとりぼっちにしないで






悲しいのか、と言われればわからなくて。
淋しいのか、と言われてもわからなくて。
苦しいのか、と言われてもわからない。

ただわかることは、胸に埋めようの無い穴がぽっかりと開いてしまった。それだけだった。この感情の名前は知らないし、付ける気もなかった。
ゴッドエデンを出てからというもの、技量を買われ今は雷門に所属しているのだが長らくあの隔離された施設に籠っていたからか、外の世界は何を見ても新鮮ではあった。



「あっ、あのさ白竜」
「どうした」
「無理、してない…?」
「体力的には問題ないが」
「そうじゃなくて、」

ある日練習が終わり部室に戻ろうとしたら松風に引き止められた。どこか心配した様子で続く言葉。

「だったら何だ」
「シュウのこと、本当に無理してない?」

「白竜、気付いてないかもしれないけど、こっちに来てからあまり笑ってないんだよ…?」

はっきりと届いた言葉の意味を、俺は理解することが出来なかった。突如襲い掛かる何かを抉られるような感覚。本能がそれ以上話を聞きたくないと告げたから、曖昧で適当な返事を返して部室に戻り急いで着替えて学校を出た。途中剣城が俺を呼ぶ声が聞こえたがそれも無視して走った。そして耳を塞いだ、誰の声も聞こえないようにと。
走って、走って走って着いたのは剣城が島を出た後初めて再会した鉄塔広場。今日も夕日は街並みを綺麗に照らすけれど、やっぱりあの島で見た海に沈む太陽の方が綺麗だと思う。



本当は認めたくないだけだった。わかっていながらわからないふりをしていた。好きなサッカーを好きなだけプレー出来る、管理されていない自由なサッカーは楽しい。
でも、隣にあいつが居ない。

『こっちに来てからあまり笑ってないんだよ…?』

(そんなの、わかっているっ…!)

自分でもそれは感じていた、確かに笑えなくなっているのだ。それも日を置けば置くほど段々と笑えなくなっている。
だから次第に愛想笑いをするようになった。周りに最低限不快だと思わせない程度にはいつも笑えているはずだ。なのに何故、気付かれた。

ゴッドエデンが閉鎖されて島を出て、暫くしてからシュウのことを聞いた。本当はこの世に居るはずのない存在だったこと、妹を自分の所為で犠牲にしてしまったこと、誰よりもサッカーを恨めしく思っていたこと。でも松風たちと接触を繰り返すうちに自分の弱さを認められるようになったこと、少しずつでもサッカーを好きになれたこと、全部全部あいつじゃなくて他人の口から聞いた話。
瞼を閉じれば思い出す、最後に見たシュウの笑顔はやけに晴れやかで淋しそうで、綺麗だった。

(逢いたい、逢いたい、なのに逢えない)
(お前が居ないから苦しいんだ、シュウ)










忘れようと、考えないようにと、毎日ただひたすらサッカーに没頭した。ボールを蹴っている間は何も考えなくて済む、だから例え身体悲鳴を上げても押し通した。立ち止まったらまた考えてしまうから。
気にかけてくれた松風や剣城の声を聞き流し、誰も居なくなった夜のグラウンドでひたすら練習に明け暮れる。体力も限界を越えたらしく疲労も痛覚も麻痺していたが、それでもボールを蹴ることを止める気にはなれなかった。

(血の味がし始めた…)

口の中が切れたのか血の味が広がる。そのことに気を取られ、走り出したなら途端に足が縺れて派手に転んだ。立ち上がれない、立ち上がるだけの体力も無い。嫌だ、余計なことを考えてしまう。嫌だ、嫌だ―――





「――…相変わらず君は無茶ばかりするね、あの時と一緒だ」

声が、する。聞き間違えるはずもない。聞きたいと、逢いたいと願ったあいつの声だ。あぁついに幻聴まで聞こえるようになってしまった、もう救いようがないほどの末期症状じゃないか。

「こんなボロボロになるまでボールを蹴って、血反吐吐くまで練習してさ」

重い瞼を無理矢理開ける。黒い民族衣装、自分のブーツと同じ色の靴、触れて来るのはあの褐色の指。幻聴に加えて幻覚まで見えるようになったのなら、もしかしたらここは彼岸かもしれない。
彼岸なら、今度は連れて行って。離れて息苦しさに思い悩む日々を与えられるくらいならいっそ殺して同じ世界に共存させてくれないか。

「僕の妹がね、『お兄ちゃんを必要としている人が居るから、行ってあげて』って言うんだ」

「可愛い可愛い妹の頼みだもの、断れないよね」

反響する声は甘く優しい。しかし頭の中に響く別の声は現実を見ろと警笛を鳴らす。嫌だ、現実はいつだって冷酷で人を容赦無く絶望の泥沼に突き落とすから。
言葉が喉に引っ掛かって音にならない。口は辛うじて動くのに声が出ない。でも確かにこいつは返事をしたのだ、「夢じゃないよ」と。
刹那、縋るように掴んだ腕は温かかった。

「でも本当は、僕が君に逢いたかった。逢いたくて会いたくて仕方なかった」

ゆっくりと抱き起こされそのまま抱きしめられた。決して高くはない体温がじわじわと浸透する、懐かしい匂いがほんのりと香る。シュウが、ここに居る。
逢いたいと願っていた、会いたいと思ってくれていた、逢えないと嘆いていた、会いに来てくれた。
怠い腕を持ち上げて目の前の首に回す。

「…俺、だっ、て、お前に…逢い、たかった…!」

喉に溜まった言葉を吐き出すように引き摺り出した。掠れてみっともない声、それでも構わない。優しく触れて来る手に答えるように強く抱きしめる。この想いも感情も願いも何もかも、全部全部融けて伝わればいいのに。

「うん、独りにしてごめんね」
「謝るな、っ、」
「待っててくれたんだよね、ありがとう」
「待ってない…!」
「もう大丈夫だよ、これからは僕が居るから」

引っ掛かっていた言葉が次々に零れ出す。今の自分は恐らく酷い顔を晒しているのだろうと思ったが、泣きそうな顔をして笑っているのはシュウの方だった。より一層強く抱きしめられ、「痛い」と言っても聞き入れてもらえやしない。
だから今はこれだけを届けよう。

「…シュウ、おかえり」
「ただいま、白竜」

感謝の言葉よりも先に、好きだという言葉よりも先に、この言葉をたった一人の君に。





悲しくはなかったけれど笑うことが出来なくなっていた。
淋しくはなかったけれど埋められない空白感があった。
呼吸は出来ていたけれどひとりは苦しくて仕方なかった。

でも二人なら、もう苦しくないから。










title:寡黙(旧:hmr)さま




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